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劇場版感想再び

今でも時々頭の中で映画を反芻するのだけど。
アルがもし記憶があったならエドに付いていかなかったと思う。
という発想がどこから来るのか実は自分でも良く分からずに書いていたりしたのだけど。
なんとなくつらつらと考えてみた。

記憶を失くしたアルは、エドが自分のことを愛してくれているという実感を持っていない子なのだよね。
アルの記憶は、兄さんと一緒に母さんを錬成しようとしたそこから、母さんも兄さんもいない状態に繋がる。
アルからしてみれば。
錬成に成功し、自分が気を失っている間に兄さんは母さんと2人でどこかへ行ってしまった。
あるいは。
錬成に失敗し、兄さんは母さんの元に行ってしまった。
そう受け取れる状況だ。。
兄さんは母さんと一緒にいる。なのに自分はここにいる。
自分は捨てられた。自分はいらない子なのだと。
あの場で誰の説明も受けなければ、そう思ってしまってもおかしくない。
だとしたら。
エドに捨てられるのはあれで二度目だ。
我侭とか、アメストリスの状況を放り出してとか。
そんな事を考える余裕などどこにもなかっただろう。
もう二度と捨てられるまいとただただ必死だったのだと思う。

もしアルに記憶があったなら。
アルに側にいて欲しいが為に、エドが自分の右腕を差し出した事を知っていた。
自分がエドの作った偽物などではなく、ちゃんとアルフォンス・エルリックという存在として愛してくれている事を知ってた。
その記憶さえあれば。
エドはアルの為を思って行動する人なのだと。
エドが自分を捨てるなんて事がありえないと、誰に言われずとも分かっていたはずなのにね。

そこが、2人のアルの違いなのだと思う。
記憶の無いアルはエドに捨てられた記憶しかないから、付いていく事に躊躇がない。
自分の魂がエドによって繋ぎとめられた事を知っていたアルなら、どんなに離れていても心は繋がっていると、別の方法で取り戻そうと先に進む事を考えたに違いない。

ならば。
最後に記憶の戻ったアルはどう考えただろう?
感情に任せて付いてきてしまった。その後に4年間の記憶を一気に思い出してしまったのなら。
無理やりついていかなくてもエドは自分を捨てたりしない。
それどころか、錬金術世界に残っていれば、エドを取り戻す別の方法がいつか見つかったかもしれない。
自分がそれをゼロにしてしまった。
その事を後悔しなかったわけはないと思う。
それでも。
記憶が戻れば15歳だったアルの記憶の最後は、エドの死だ。
あの時。エドの人体錬成が成功したかどうかも知らないまま、アルは門の中に行ってしまったのだから。
ロゼから聞いて一度生き返ったと理解はしていても、記憶のないアルには自分が鎧の身体で過ごしていた事と同じくらい、実感が伴わなかっただろう。
その人が、今、目の前で生きて、呼吸して、動いて、笑っている。
これに勝るものなど無かったんじゃないだろうか?
後悔など出来ようはずがないよね。そんな風にちょっと思った。

はっ、しまった今月のガンガンの感想まだ書いてないぞ!

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