« ガンガン2007年02月号 鋼の錬金術師第67話「この国のかたち」 ネタバレ感想3 | トップページ | ガンガン2007年03月号 鋼の錬金術師第68話「家族の肖像」 ネタバレ感想1 »

努力すれば叶うのか

本当は歌猫さまの記事にコメントしようと思って書いていたんですが。
長くなり過ぎたうえに、ちょっと歌猫さまの記事の趣旨とはズレてきたので、自分の処へ。
「ぱふ 3月号」のインタビューに則した内容ですので、一部鋼のラストに関するネタバレを含みます。「ぱふ 3月号」を未読の方はご注意ください。
 
 
エドとアルが元の身体に戻れる、というのは私の中でずっと懐疑的でした。
感情的にはとっても嬉しいし喜ばしいことなんだけど。
 
エド達の身体を元に戻すというのは、すごくデリケートな問題だと思っている。
 
エドの機械鎧は、昔、牛様のバイト先の義手義足(どっち?)の方に会った事がきっかけで。というようなインタビューを読んだ事があったので、そういう人を知った上で、その人たちの目を見て、艱難辛苦の末エドの手足は元に戻りました。と描けるのかな?
それが疑問だった。
 
現実では、死んだ人が生き返らないように、失った手足も元には戻りません(移植という方法はあるかもしれませんが)。
 
それを夢物語のように努力すれば叶う、と描くのは。
ひどく残酷な事ではないのか? 
 
 
そして。
少年漫画だから。対象年齢が15歳前後だから。それを免罪符にしてしまって、本当にいいのか?
 
努力すれば叶う。それを描くのも少年漫画だけれど。
努力しても叶わない事はある、問題はそれをどう乗り越えていくかだ。と描くのもまた少年漫画のあり方だと思う。
 
どんなに善人だろうと、どれほど努力しようと、叶わない事は必ずある。
それが現実だ。
それでもなお「努力すれば必ず叶う」とおためごかしに言われれば「やめてくれ」と叫びたくなるかもしれない。
 
 
 
つまり。
牛様がしようとしているのは。
現実では「絶望から這い上がり乗り越えること」に重きを置く事柄に対し「努力すれば元に戻れる」と描こうとしている、そういうことだ。
 
すごい精神力が必要だと思う。
 
夢物語にしたらいけない。ご都合主義であってもいけない。
軽んじてもいけない。読者が納得する理屈でなければいけない。
いくつもの縛りが生じる。
 
ぶっちゃけ、「元に戻らない」と描いても「そういう終わり方もありだろう」と読者は納得すると思う。
現にアニメでエドの手足は機械鎧のまま終わっている。
 
 
それでも牛様は描くんだよね。
 
その心意気だけを買って、今「すごいね、牛様って偉いね」とは言いたくない。
でも描ききって欲しいと思うし、描ききったそんな納得のいく最終話を読みたいと思っている。
そして、その時に「やっぱり、牛様ってすごいよね」って。そんな風に言えたらいいなと思っています。

« ガンガン2007年02月号 鋼の錬金術師第67話「この国のかたち」 ネタバレ感想3 | トップページ | ガンガン2007年03月号 鋼の錬金術師第68話「家族の肖像」 ネタバレ感想1 »

コメント

りほ様こんにちは。
エドの手足については、私も色々と・・・(苦笑)。

荒川先生は最初は「手足の無いキャラ」を描くことを、それほど深くは考えていなかったと思うのですよ。
それは荒川先生の偏見の無さからも来るもので。
まあたかがマンガだし。
だから1-2巻まではエドの機械鎧は「罪の象徴」だった。
それを5巻のパニーニャではっきりと修正した。

だから、エドが手足を取り戻すのは、物語の最初からある結末だと、私は思うのです。
マンガの定番。目的を果たして終わる。

だから、たかがマンガの位置から少しずつ現実へのリンクを強めてゆく作品に(イシュ編のみならず、アルの「不幸じゃない、哀れまれるいわれは無いよ」発言とか)。
最初からできていた結末は動かせない、という作り手としてのプライドとかジレンマとか、そういうのもあるんじゃないかと思う。
周りがどう言おうと、自分がどう迷おうと、物語って最初からそこにあって作者でさえ動かせないってところ、あるじゃないですか。

>どんなに善人だろうと、どれほど努力しようと、叶わない事は必ずある。
>それが現実だ。
うん。
だから。
「作り話だからこそ、本来なら救いの無い話にも救いを作ってあげられる」

「たかがマンガ」だからこそ、描けることがある。
だから、りほ様おっしゃるとおり、私もそれを描ききって欲しいと思うし、きっと描ききってくれるだろうと楽しみにしているんです。

>作り話だからこそ

は、確か12巻の折返しに書かれた言葉でしたよね。
私もあの言葉はとても印象的で、
希望の光にもなりました。

きっと私は、今後もこの光を胸に灯して
この作品を読み進めてゆくのだと思います。

だからアルの体はきっと取り戻せる、そう信じています!
歌猫様も
(恐らく、なんですが)「アルの体は元に戻れる」前提でエドの手足のことを考えておられる気がするのは私の希望的観測?

だからりほ様、アルは大丈夫よ!
きっと大丈夫!! アルはね。

でも「何の犠牲もなしに」アルの体を取り戻せるとは
思えないんです。

りほ様の危惧のとおりに。

いくら「犠牲なしに進みたい」が兄弟の希望だったとしても、
その「ご都合主義」を牛様が描くとはやっぱり思えないです。

(抽象的な言い方で申し訳ないんですけど)
私はこの物語、どこかで
作品の起点というか出発点に向かって結実するような
そんな気がしています。

そう思うのは、伏線や循環の上手な作者様だから。

例えば「犠牲なしに何かを得ることは出来ない」の言葉だったり、兄弟の立ち位置だったりするのかな。

アルの体が戻って来るその瞬間に、
兄弟が何を代償として失うのか
(エドの手足?それともパパ?)わからないですけど、

きっと失ったものの向こうに
希望の光を見い出せる、そんなラストになる。

>「やっぱり、牛様ってすごいよね」って。
そんな風に言える日が来ると思うんですよ。
楽しみに待っています。

かなりのおひさしぶりです。ともえあやです。

>作り話だからこそ、本来なら救いの無い話にも救いを作ってあげられる

これは、皆様と違って私としてはちょっぴりがっくりしてしまった言葉でした。というのも、なんとなくネタバレを垣間見てしまったようで(苦笑)。牛さんは大丈夫だと信じてしまうことが、マンガを読む楽しみの半減を招くようで面白くない(苦笑)。物語の臨場感を楽しみたいので。

すみません。だけどエドやアルたちには、彼ら自身が納得いく結果を得てほしいとは切実に思っています。そして、悔いのないように。

元に戻ろうとも戻らないとしても、それが納得の行く理由が描かれていればそれはそれで満足です。ただ、頑張っているから、という目に見えない努力の結果とかいう理由じゃなくて、それこそ錬金術における実験や検証の過程のように明確な理由をつけてほしい。なので錬丹術にシフトした今の展開がかなり面白いのですが。

なんにせよ、ニーナの理不尽な死やリアルなイシュバールの内乱を描いてしまった以上、「元に戻る」という結末にいたる道で読者を納得させるのに、かなり高いハードルになっていると思います。

死んだものは生き返らない。これが真理だといわせておいて、失った体は元に戻るのか。生きた人間のような表情をとる真理からもぎとるのか(仮に真理がエド自身であれば真理自体をエドに融合させちゃえば可能のような気もしますけど)。

そこをいかにマンガの全ての技法を駆使して どれほど多くの 読者を納得させるか。後味すっきりにさせるか。信じてついてきている荒川ファンからライトな鋼読者まで。かなり高いハードルです。たかがマンガ、されどマンガ。「救いをつくってあげられる」というのは、私には漫画家としての高い目標だととらえました。

長々とすみませんでした。
私の中で元に戻って欲しいというのと、よっぽどのことじゃないと納得できないわ、という相反する気持ちが両方あって、素直になれなくて困ってます(苦笑)。

>歌猫さま
こんばんは 反応早っ(笑)
>「たかがマンガ」だからこそ、描けることがある。
うん。
そういう作品を描いてこそ、という気負いが牛様にはあるように思うんです。

少年漫画らしい潔さや、読みやすさを重視したすっきりとした相関。
不必要な人死にはなく、迎えるのは主人公にとっての大団円。
その、主人公=読者にはあくまでも甘い世界・甘い設定。
これを維持し続けるのは、いうなれば手枷足枷のようなもの。茨の道を歩くようなもの。

それでもなお。 
「最終的にキャラクターの幸せを考える」。
牛様のその姿勢は、読者のこちらが心配になるくらい真摯に見えます。
主人公=読者の幸せをまず第一に考える様は、自分が辛くても弟の心配をしてしまうエドにどこか被って見えてきたり。
昔、アシスタントさんが牛様はどんな人かというインタビューに「漢」と答えたのが、「あ、こういうところなのかな」と思ったり。
あれ? また捻じ曲がってきたぞ(笑)。

歌猫さまの記事を読んで。うん、うん。そうそう、と頷いて。
でも、それは牛様が、天才的にマンガを描く事が上手いから描けるのではなく。
その為に、精神的にも肉体的にも多大な努力を払ってすごいものに仕上げているんだよね、という事が書きたかったみたいです(ここまで、書いてやっと自分が何を言いたかった思い当たりました・笑)。


>もみじさま
長くても大歓迎ですよ~。
>(恐らく、なんですが)「アルの体は元に戻れる」前提でエドの手足のことを考えておられる気がするのは私の希望的観測?
今月号の「ぱふ」には、具体的に「元の身体に戻れる」とは勿論一言も書いてありませんが、そう解釈出来るヒントがたくさんちりばめられていますよっ。

>兄弟が何を代償として失うのか(エドの手足?それともパパ?)わからないですけど、
代償で一番怖いのはアレですね。エドとアルがそのうち道を分かつ事になる、というような事を昔牛様がインタビューで答えられていた事です。
それが精神的なものか、物理的なものか分かりませんが。
物理的ならそれってまさに、TVアニメの最終話だし。
今月号のネタバレ感想3でも書いた通り、アニメとマンガで錬金術のエネルギーの源が実はあまり違っていなかったような感じですし。そうなると。
「あれはアニメ設定」となかなかふん切れないものがあります~。


>ともえあやさま
お久しぶりです。
>なんとなくネタバレを垣間見てしまったようで
確かに(笑)。
でも例えば、シンデレラの魔法が24時で切れたり、
地球滅亡まであと1年だったり。
そういった約束事があるからこそ「今こんな状況下でいるのにどうやってそこまで持って行くんだろう」とはらはらドキドキを楽しめる、というのもあるんですけどね。

>元に戻って欲しいというのと、
>よっぽどのことじゃないと納得できないわ、
>という相反する気持ちが両方あって、
分かりますっ。私もです!!(握手、握手)
期待が大きい分、妥協が出来ないんですっ。
「こういう手があったか」と膝を打ちたくなるような、打ちのめされてしまいたいような。
そんな理屈であり、状況であり、技法であり、後味を希望。
本当に期待ばかりが膨れ上がって困ります。

どれもとってもうなずける記事+コメントですね。

直観的にはアルは元に戻って兄は機械鎧なのかなぁと思っていますが、クイズじゃないので当たり外れを予測するのは無意味です。

大団円と共に「御伽噺」を上回る納得感を期待するのみです。

>りほさま
こんばんは。
りほさんの前の記事にTBさせていただいた拙記事に(インタビューとは関係ないのですが)、似た内容のことを書いたので、私見の詳細は省かせていただきます。
大団円って、読者それぞれに思っている落ちどころが違うかもしれないから、なんともいえませんね。「ぱふ」は、歌猫さんのところで書き逃げてきたように(苦笑)本日本誌早売りとともにゲットして、未読なのですが、

>「こういう手があったか」と膝を打ちたくなるような、打ちのめされてしまいたいような。
>そんな理屈であり、状況であり、技法であり、後味を希望。

同感です。
そして、「失ったもの」なのか「与えられたもの」なのか。
それを「取り戻す」のか「受け入れて前に進む」のか。
そこにどうしてもこだわってしまうので、個人的には、私は真朱さんの直感に近いです。
うう、いつもうまく言えなくてごめんなさい。
ぱふを熟読してから、もう一度考えてみます。
のわこ

>真朱さま
レスが遅くなってすみませんっ。
>直観的にはアルは元に戻って兄は機械鎧なのかなぁと思っていますが
私も、落としどころとしては多分それが一番綺麗だと思っています。
全てが叶うわけではないけれど、全てが叶わないわけではない、というのが。
でも、牛様は人の斜め上を行く方ですから想像が難しいです(笑)。
これもまた、想像の範囲ですが。
エドの手足はまだエドと繋がっているといった記述が「ぱふ」にありましたので、錬丹術の理屈からいくと取り戻す事は物理的に可能なはずなんですよね。
 
>のわこさま
こんばんは レスが遅くてすみません。
今回の「ぱふ」にエドは手足を「失ったわけではない」と読み取れる文があった為、これはもしかして本気で取り戻させるつもりなのか? と思ったのが発端です。
真朱さまあてのレスにも書きましたが、予定調和な終わり方を狙うなら、アルは元の身体に戻りエドは機械鎧のまま、だと私も思います。
多分、読者を納得させることが一番容易いラストでしょう。
だからこそ、牛様がそこに落としこむか、読者の予想外を狙うか、それが楽しみでもあります。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 努力すれば叶うのか:

« ガンガン2007年02月号 鋼の錬金術師第67話「この国のかたち」 ネタバレ感想3 | トップページ | ガンガン2007年03月号 鋼の錬金術師第68話「家族の肖像」 ネタバレ感想1 »