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電撃ムービーフェスティバル レビュー

電撃文庫ムービーフェスティバル
まずはお断り。
原作ありきの作品でありながら。
3作とも全て原作未読の為、例えストーリー展開が良くとも、それが原作者の功労なのか、脚本家の功労なのかが分かりません。
なのでストーリーの良し悪しのみで語る事は避けています。
「灼眼のシャナ」のみアニメは見ていますが。
そういう人間が観ての感想です。
また、自分のように原作未読でこれから観る方の為、なるべく具体的なストーリーの掲載については避けているため、多少隔靴掻痒のきらいがあるのはご勘弁を。
 
 
■劇場版 灼眼のシャナ
Cmini_7
まず、絵が綺麗だった事に驚いた。TV版は中盤あたりから絵が平坦になり、水着や浴衣など本来サービスシーンなんだろうなと思われる絵すらちょっと「?」だったのが、今回、最初から最後まで絵が崩れる事無く、しっかり描き込まれていたので安心して観ることが出来た。
シャナの笑顔などかなり力が入っているようで、戦いの後、悠二に見せた笑みなど特に愛らしかった。
今回はサービスシーンとしては、シャナのパンチラがあったが。それもホンの一瞬。残像に残る程度にしか観えなかったので。
男性陣にはDVDでコマ送りチェックするという楽しみ方もあるのかもしれない(笑)。
 
 
釘宮ファンとしては、あちらこちらの好きだった台詞がシーンごとカットされ残念ではあったけれど、お馴染みの「うるさい、うるさい、うるさい」の台詞も健在。メロンパンを食べるシーンもある(カリモフを語るシーンはないが)。
 
また、劇場版はフリアグネ編と前情報が流れていたので、一度アニメで観たものをやるというのもどうかと疑わしく思っていたが、それはいい意味で裏切られた。
 
ストーリー展開はまったく同じなのに、どこに視点を置くかでこうも変わるものなのか?
 
TV版はシャナと悠二の心の揺れがメインだった。
フリアグネとマリアンヌはその為のスパイスで、言ってしまえばフリアグネはピグマリオン趣味の変態じみた奴、という印象しか無かった。
 
ところがどうだろう。
劇場版はまるで様相が違った。TV版の使い回しと思しき絵はいくつもあった。
同じ台詞、同じストーリー展開。にもかかわらず。
劇場版は、フリアグネとマリアンヌの成就されない恋愛模様といった趣があった。
マリアンヌが大切だからずっと側にいて欲しい。願う事はただそれだけ。その為なら何だって出来る。何をすることも厭わない。
そんなフリアグネの気持ちが伝わり感情移入さえしてしまった。
 
その分、気持ちを掻き乱され戦いに支障を来たすようになっても悠二を捨てられないシャナの苦悩や、地上に止まれる残された時間に何を残せるのか必死に捜そうとする悠二のあがきはおざなりになった観は拭えない。
それによりシャナの感情と行動がちぐはくになってしまったシーンがあった事も否めない(それともサービスショットを優先したのか?)。
 
しかし、シャナとマージョリーとの共同戦線というTV版には無かったシーンが挿入され、TV版とは違う展開をわくわくしながら観る事が出来る。
個人的には、お馴染みマルコシアスの馬鹿笑いを聞けたのも楽しかった。
シーンによってはTV版より原作寄りな展開に描き直してあるのも楽しみのひとつ。
TV版を観た人も所詮焼き増し版と思わず、新鮮味をもって観ることが出来、TV版と劇場版と一粒で二度美味しいそんな仕上がりになっている。
 
難を言えば、エンディングに絵が無かった事は残念。
I'veの歌は、一見アニメの主題歌とは思えない曲でありながら、歌詞の中に物語のキーワードとなる単語が埋め込まれ、パンピーとのカラオケで歌えそうで歌えない歌、という印象が私にはある。
やはり彼女たちの歌はその作品の為の歌なのだ。
絵が動いている中であの歌がどんな風に流れるのか、楽しみにしていただけに残念である。
余談だが、川田まみの挿入歌は、TV版の使いまわしシーンだったにも関わらず、彼女の歌が相乗効果を与え少し涙ぐんでしまった。
  
    
■キノの旅 病気の国ーFor Youー
Cmini_8
シャナがあれやこれやと詰め込んだ幕の内弁当だったのに対し、キノは3作品中もっともシンプルなつくりだった。
とりあえず劇場版を観た後、TV版1話を視聴。
作品による違いはあるかもしれないが、TV版に比べかなり叙情的な作りになっているように思う。
 
エルメスはあまり変わらないようだが、キノのしゃべりはTV版よりいたって無感情。
台詞の間の取り方、場面を切り替える間の取り方など、一見すると眠たくなるくらいとろいようにも思えるが、観る者に余韻を与え、それがいい味わいになっている。
 
視聴者は、息を飲んだり感情を突き動かされたりする事もないまま、淡々と物語は流れていく。
何かがあるのだろうと予兆を感じさせながらも、表面だけは穏やかに流れる為じわじわと真綿で首をしめられている事に気が付かないまま、この国の実態は明かされる。
 
効果として一箇所、場面切り替えの為の効果なのか、実際にその国で行われているシステムが描かれているのか、分かりづらい表現があり未読者にはちょっと辛かった。伏線と見るべきか否か判断に迷う。ストーリーを魅せる作品なだけにちょっとスタッフのうかつさに首をかしげ、一度集中が途切れてしまった。
 
鳥の木彫りや、トマト柄のパジャマなど、直截的な小道具を使いこの国の世界観を分かりやすく伝えている。
そうでありながら、最後の最後で、あのラストシーンが、私には理解出来なかった。
 
キノはある切羽詰まった状態に陥るが、次のシーンでは国を出てまた旅を続ける。
その間に何が起きたのかは一切語られていない。
それは視聴者が想像すればいい、そういうことなのだろう。そう思った。
 
ところが、ラストシーンで、病気の少女イナーシャが手紙の封を切り、その文面は手紙の主の声で読み上げられる。
 
後で、ここのみ小説を確認してみたのだがこのシーンはほぼ原作と変わらない。
違いは、手紙の書き手が明らかにされているかどうか、ただそれだけだ。
 
しかしこの声により、キノがどうして旅を続けられる事になったのか、その選択肢はひとつに絞られてしまった。
そしてそれは、私の想像した中では一番詰まらない選択肢だった。
 
これは本当に原作者の意図する結末だったのだろうか?
「キノの旅」について検索すると「後味の悪さ」という言葉が目に付く。
何をして後味が悪いとするかは人それぞれだろうが、少なくとも声が無い方がより後味の悪い終わり方になったと思うのだが。
 
原作ファンならばさらっと答えが出るのだろうか。
未読者が1話のみ見ただけでは分からない。
他の国の話を読み、その結末を知ればまた違う感想が出るのかもしれない。
 
  
■いぬかみっ!THE MOVIE
Cmini_9
お下劣ネタのドタバタコメディは苦手です。それゆえ、あまり好感が持てなかった事は否定できない。
TVアニメの公式サイトをざっと見た限りでは、TV版はそれなりに根底にストーリーがあったようなので、今回の劇場版は完全に番外編物という位置に該当するのだろう。
 
それゆえ、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが。
ストーリー展開に面白味も無く、ただひたすら像印ばかりの画面にはドン引き状態だった。
ラストの伏線回収も、そもそも啓太がどんな技をもっている人間なのかなど知らない(描かれていない)ので、未読者には伏線が伏線の意味を成していなかった。
 
色々な遊び心があり、スタッフが楽しんで作った事は伝わる。
エンディングのクレジットの馬鹿馬鹿しさなども笑えた。
けれど、ただそれだけだ。
 
尺の問題もあっただろう。
凝ったストーリー展開にするならばキャラクターの数を絞らなければならない。
ならば、ファンサービスを主体とし、メインキャラを全て登場させる話を、ということなのだろう。
 
正直な処、21日の公開日、上映後に舞台挨拶のある回のチケットを取ってしまった事を後悔した。  
この作品で萎えた後に、テンションをあげられるのか、かなり不安なのだが・・・。
逆に、舞台挨拶が清涼剤になってくれるだろうか(笑)。
  
 
■総評   
今回の劇場版アニメ化は、原作ファンへの感謝の意としての映画化なのではないだろうか。
 
集客率を良くする為の3本立てなのだろうが。
果たしてこのラインナップ。
この3作全てのファンであるという読者が多数いるとはとても思えない。
にも関わらず、新しい読者を増やす事を目的としていないように思えるのだ。
どの作品も世界観の説明に対して不親切であり、それを未読者に伝える事をあらかじめ放棄している。
自分の好きな作品に対しては楽しめたが、他の2作品には置いてきぼりを食らった気分だった。
そんな感想が多くなりそうなそんな予感がする。
   
  
実は。
まさかそれらは全てわざとであり、そうやって原作に興味を持たせようという意図があるのだとしたら。
映画視聴後、とりあえずシャナとキノの小説を読んでみた自分は、まんまとその魂胆に乗せられていることになるのだろう。

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