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歌猫さんの記事を読んで

歌猫さんの記事を読んで反応。
いや、ちょっとまたしてもコメントに書くには長くなりそうなので(まったくどうにかしろや)
 
 
1 主人公エドだけが「少年」
 
主人公だけが少年というマンガ、は確かに他にはちょっと記憶がないのだけど。
 
児童文学なら結構あるような気がする。「少年」ではなく「少女」も混じりますが。
「空色勾玉」シリーズ(荻原規子)の狭也や遠子はどうだろう?
「ラインの虜囚」(田中芳樹)のコリンヌは?
「ゲド戦記1 影との戦い」(アーシュラ・K.・ル=グイン)のゲドは?
「十二国記」(小野不由美)の泰麒や珠晶は?
「モモ」(ミヒャエル・エンデ)のモモは?
アニメだと「ラピュタ」のパズーなんてのはどうだろう?
  
まったくそばに同年齢の子がいないとは言えないけれど、主人公は大人に迷惑をかけ、助けられ、見守られつつ、自分自身で考えて道を選んでいく。
なんていうのかな。古き良き時代の児童文学の構図なのだと思う。
荒川先生が、インタビュー記事に「大人はいつだって子供を見ている」といった事を答えていたのと重なる。それは間違いなく児童文学の視線だ(最近のラノベっぽいマンガイラストのものはとりあえず放っておいてください・笑)。
 
 
2 鋼は複眼的な読み方が出来る
 
児童文学と同じ要素を持ちながら、何故、児童文学は複眼的な要素を持たないのか?
答えは簡単。
児童文学は児童のもの、という観念はマンガ以上に強いから。
その為、大人になっても読む人というのが、そう多くないから。
  
だけど。マンガなら。大人になっても読む人は読む。
少なくとも日本にはその土壌がある。
 
 

荒川先生の発想は、キャラ年齢がもちっと高いとこにあるんだよね。
それを、少年漫画だから、主人公の年齢をぐぃっと下げた。
だから、物語に奥行きが生まれた。
常に15歳の視線まで かがまなければいけないから、立って見た時(普段の姿勢)との視界の違いが意識される。だから常に、物語を複眼的にとらえることになる。
だから、大人読者---主人公に同調しつつも、いち作品として上から眺める視点も持ってしまった読者---にも、読むに堪えるマンガになったんだ。

 
 
児童文学の最大の特徴は何か? それは大人が書いていると言う事。
大人の小説は大人が書き大人が読むけれど、児童文学は大人が書き子供が読む。
と、昔授業で習ったのだけど。
 
同じ事が少年マンガにも言えると思う。
ただそこに、「大人も読む」、という要素が追記出来る。
(最近の少女マンガは色々なのでちょっと保留)
 
児童文学も複眼的な読み方は出来る。
ただ市場として大人の読者が限りなく少ない。
 
それを鋼は、マンガという媒体を使う事によって、15歳の目線で書いた物語と、作者本人の目線で書いたもうひとつの物語と、双方を読む事の出来る読者を獲得出来たのだと思う。
 
 
鋼の錬金術師は王道少年漫画だ。
主人公が、壁にぶつかり、人と出会い、そして成長していく。
けれど、少年はエド一人。
 
  
 
うん。これはもう間違いようもなく同意。
けれど。
 
たった一人であっても、そして一人だからこそ大人は彼を見守る。
漫画としては定番ではないが、
児童文学における定番ではある。
定番とは、それだけ需要の間口が広いということ。
決して悪い意味ではない。
定番ではあるが、それを少年漫画にスライドさせた事に意味がある。
これにより児童文学では成し得なかった事を
少年漫画に持ち込む事で成功させている。

 
そう付け加えたいな。そして。もちろん。
 
そこが定番少年漫画ではない。
だから鋼は面白い

 
 
余談ですが。ちょっと面白い例として。
宮崎アニメ以外のアニメでも実はあったりします。多少違いますが。
「鎧伝サムライトルーパー」。
ヒーロー(主人公)には確かに共に戦う仲間がいたのだけど。
実は、製作者側が視聴者の目線として用意していたのは、初回で主人公に助けられた山野純という少年でした。
 
ヒーロー5人組はどこから現れたのか何者なのかよく分からない謎の存在。
物語は、純少年の目線から世界を見上げ、「このお兄ちゃん達は何者なの?」と、TVの向こうとこちらで、同じ事を考える事で物語への導入をしやすくさせるつもりだったらしい。
そして最終的には「よーし、僕もいつかあのお兄ちゃん達みたいに強くなるぞっ」と思わせるのが製作者側の意図。
 
ところが、蓋をあけてみれば予想していた視聴者は呼べず、番組にくらいついたのは大きいお友達(笑)だったのが大誤算。
視聴者は世界を見上げる代わりに、ヒーローと一緒に世界を俯瞰し、結果、純は単なるお荷物に(笑)。
 
読者・視聴者の目線をどこに置いて物語を動かすか、その設定こそが、実は難しいのかもしれませんね。

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コメント

なつかしや。トルーパー。
私は純くんの視点よりも先に大きなお友達視点でしたよ、、、(遠い目)

ってトルーパーじゃなくて。児童文学好きとしてもこの記事、興味深く。

そうなんだよなぁ、児童文学で同世代の子といる主人公よりもちょっと同世代からは浮いちゃってる子変わっている子とかが主人公ってのが多い気がする。あるいは特殊な子。
そんな子を見守る大人がいる、、、うん、児童文学の定番だ。

だからかな?鋼好きには児童文学好きも結構いるんだよね。
会って、話をしたら実は、、、という人が多いこと、多いこと。

りほさん、すっきりまとめてくれてありがとう!

りほ様こんにちは!
うわあ!考察返しありがとう!こういうの、すっごい嬉しいです~!!
そうですね、児童文学では確かに「少年一人」は色々思い浮かびます。なるほどなあ。
そしてマンガだからこそ複眼的視点を容易に表せるのかもですね。小説で複眼視点は難解になりますもの。
私もコメント長くなりそうなので、また改めて記事にしたいです。うん、ほんと、新しい切り口をありがとう~!
ところでりほ様の前の記事、「がゆんだむ」とゆー命名がすっごいツボでウケました!あれ製作陣のメンバー、リキ入ってますよねえ~。

>由宇さま
おかしい…。
年代からしたら、由宇ちゃんは純視点のはずなのに。
やっぱり年をごまか(ゲフゴフッ)。

>だからかな?鋼好きには児童文学好きも結構いるんだよね。
>会って、話をしたら実は、、、という人が多いこと、多いこと。

へ~~、そうなんだ。それは初耳です。
言いこと聞いた。
鋼が児童文学の定番に似ている事の、補強材料になりそうですね。
鋼は少年漫画の持つワクワク感と同時に、
児童文学の持つワクワク感も秘めているのかもしれませんね。


>歌猫さま
あああああああああ、よ、良かった。
実は、考察返しって嫌がる方は嫌がるのかな、と思ってちょっとドキドキでしたぁ。ほっ。
いやいや、別に全否定なわけじゃないし…とか色々ぐだぐだ思いながらトラバ送らせていただきましたです。はい。
歌猫さんの記事お待ちしてますっ。
「がゆんだむ」は情報元の萌えプレさまが書かれていたのを真似してみましたっ。
字面からして、妙に納得いくところがありますよね。

そうそう。MOON PHASE 雑記さまのブログにスタッフが追記されたんでしたね。
http://d.hatena.ne.jp/moonphase/20070605
> 監督:水島精二
> シリーズ構成・脚本:黒田洋介
> メカニックデザイン:大河原邦男・海老川兼武・柳瀬敬之
> メカニックコンセプトデザイン:福地仁・寺岡賢司
> アニメーションメカニックデザイン:中谷誠一
> キャラクターデザイン:高河ゆん
> アニメーションキャラクターデザイン:千葉道徳
> アニメーション制作:サンライズ

確かにリキ入りまくりですね。
メカデザが硬派なだけに、キャラデザとの乖離がやっぱり気になるぅ…。

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