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2010年9月

2010/09/30

ゴーストハント

鋼がらみでも何でもないです。ごめんなさい。ちょっと嬉しかったので。
 
何故か、メディファクの幽ブログにゴーストハント情報が!
 
長らく絶版状態が続いていた小野不由美の「悪霊シリーズ」が、完全リライトされて「ゴーストハント」として刊行されるそうです。
自分の本は友人に貸したきりまったく帰ってこないのでもう何年も読んでないですよー。
確か「東ケイ異聞」の単行本と一緒に貸したはずなので・・・・・・な、何年前の話だよ・・・・・・orz
 
ちなみに今日はコミックス最終巻発売日

以下自分用メモも兼ねて。
   
刊行に向けてのメッセージ
 
「ゴーストハント」シリーズ刊行予定
2010年11月より隔月刊行予定(タイトルは第1巻含めすべて仮です)
 
2010年11月19日刊行予定
『ゴーストハント1 旧校舎怪談』
(旧題『悪霊がいっぱい!?』1989年刊)
取り壊すと必ず事故が起きると噂されている木造の旧校舎。高校1年生の麻衣はひょんなことから、調査に訪れた〈渋谷サイキックリサーチ/SPR〉所長・ナルの手伝いをするはめに。そこで彼女を待っていたのは、個性溢れる4人の霊能力者たちと、身も凍るような怪奇現象だった。旧校舎に巣くっているのは戦没者の霊か、それとも——?
 
2011年1月刊行予定
『ゴーストハント2 人形の檻』
(旧題『悪霊がホントにいっぱい!』1989年刊)
ポルターガイスト現象が頻発するという洋館の調査に赴いたSPR一行。調査開始の直後から現象はさらに激しさを増してゆく。怪しい物音、ひとりでに移動する家具、火を吹くガス管。麻衣は依頼者の姪・礼美がアンティークドールと言葉を交わすのを耳にした。ぼーさんこと滝川法生は、人形に憑いた霊を祓おうと試みるのだが……。
 
2011年3月刊行予定
『ゴーストハント3 乙女ノ祈リ』
(旧題『悪霊がいっぱいで眠れない』1990年刊)
次々と舞いこむSPRへの調査依頼。それらはすべて都内の湯浅高校で起こった怪現象にまつわるものだった。校内での聞き込み調査を進めるうち、笠井千秋という超能力をもった少女の存在が浮上する。事件の中心にいるのは千秋なのか。邪悪な意思はついにナルや麻衣をも標的にし始める! ミステリー色濃厚なシリーズ第3作。
 
2011年5月刊行予定
『ゴーストハント4 死霊遊戯』
(旧題『悪霊はひとりぼっち』1990年刊)
連日報道される緑陵高校での奇妙な事件。生徒会長・安原の懇願を受け、麻衣たちは調査に向かった。学校内ではおびただしい数の怪談が囁かれ、生徒たちは「ヲリキリさま」と呼ばれる占い遊びに熱中している。9カ月前に起こった男子生徒の自殺と、一連の事件の関係は? 麻衣が見た不気味な夢の意味するものとは一体?
 
2011年7月刊行予定
『ゴーストハント5 鮮血の迷宮』
(旧題『悪霊になりたくない!』1991年刊)
増改築を繰り返した結果、迷路のような構造を持つにいたった巨大な洋館。長年放置されていたその館の周辺で行方不明者が相次ぐ。内部を精査していた麻衣たちは、館のあちこちに不審な空洞があることに気がついた。徐々に明かされてゆく血塗られた館の過去。そして新たな行方不明者が——。ゴシック趣味溢れる第5作。
 
2011年9月刊行予定
『ゴーストハント6 海からくるもの』
(旧題『悪霊と呼ばないで』1991年刊)
代々料亭を営む吉見家では、当主の代替わりのたびに多くの人が死ぬことになるという。新たな凶事を防ぐため能登半島に乗りこんだ一行だったが、ナルが悪霊に憑依され、リーダー抜きでのゴーストハントを余儀なくされてしまう。おこぶさま、十八塚など古い信仰の残る土地で、吉見家を呪い続けているのは何者なのか。
 
2011年11月刊行予定
『ゴーストハント7 扉を開けて』
(旧題『悪霊だってヘイキ!』1992年刊)
能登からの帰途上、ダム湖畔のコテージに滞在していた一行にさらなる依頼が。山の斜面に建つ廃校舎で、近ごろ幽霊や人魂が目撃されているという。SPR事務所を閉鎖する、と突如ナルに聞かされた麻衣は混乱した思いを抱えて現場に向かう。そこに大きな罠があるとも知らずに——。第1作からの謎が解き明かされる感動の完結編。
 
渋谷サイキックリサーチ別室
  
折りしも、明日はミステリイベントの為、小野主上おわす京の都に入洛予定。
記事更新と、レスは少々お待ちを。

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2010/09/29

腐女子の携帯着信音

オタラボで“オタク女子”に現在設定している着信音(着うた/着メロ/着ボイス)についてアンケートをとったところこんな結果が出たそうですよっ。
  
初音ミク、嵐、シド……“オタク女子”たち支持される着信音は?
  
■オタク系女子が現在設定している着うたベスト10(アーティスト別)
1位:初音ミク
2位:嵐
3位:シド
4位:放課後ティータイム
5位:ポルノグラフィティ
6位:西野カナ
7位:吉岡亜衣加
8位:UVERworld
9位:T.M.Revolution
10位:BUMP OF CHICKEN
  
■オタク系女子が現在設定している着うたベスト10(曲別)
1位:「レイン」シド
2位:「メルト」初音ミク
3位:「SWORD SUMMIT」T.M.Revolution
4位:「CHANGE」UVERworld
5位:「十六夜涙」吉岡亜衣加
6位:「夏空」ガリレオガリレイ
7位:「ワールドイズマイン」初音ミク
8位:「モノクロのキス」シド
9位:「悪ノ召使」鏡音レン
10位:「祈り」Kis-My-Ft2
  
シドが好きかと言われると相変わらず、微妙~ですが(笑)。
やっぱり、FAの5期オープニングが1位 って思うと嬉しいですねー。

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パチンコ化の話題(ちょっと最終話ネタバレしてます)

いただいたコメントにレスするために、色々ググっていたら結構面白かったので記事にしちゃいました。
 
噂の元ネタはコレかなぁ。あるいは、Pachinko Village。
侍~samurai~777.net
あとは、この辺りのネタから降って湧いたのかなぁ。
「ストライクウィッチーズ」などのアニメ制作会社AIC、パチスロメーカーの子会社に
 
んでもって、それをサンスポがネタにした?
サン・スポ 【ウワサ】ファンタジー漫画の傑作が登場
  
んで、2ちゃんで話題になり
【噂】パチンコ CR「鋼の錬金術師」「ブラックラグーン」が開発中…?
(この最後のオチが結構気に入ってます・笑)
 
Pachinko Village 9月21日に掲載した「鋼の錬金術師パチンコ化」という情報ですが、関係者から「そのような事実はない」との連絡があったため、削除しました
  
話題にもオチがついたようです(笑)。
まあもし本当にやるとしたら、最後は、10貰ったら11返さなきゃいけないわけですからね。
必ず負けるのがデフォってことで(笑)

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お願いランキング!

普段テレビって見ない、というか見る時間に家にいないというか。
なので番組自体知らないんですが。
22日放送分の「お願いランキング!」TV朝日 で、鋼がネタになっていたらしい?

名作漫画の名シーンに“ちょい足し”して愉快になるセリフランキング

どういう状況下での番組なのか良く分からんのだけど。んー、あまりセンスがあるとは……。

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2010/09/27

ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その12

にんげんのこども
 
今まで、エドはオレ、アルはボク だったのが。
2年後には、エドは俺、アルは僕になっていた。
  
幼かったからかな? そんな風にも思った。
でも二人より年下の、カヤルは俺だし、セリムは僕だし、クセルクセスの遺跡で出会ったイシュヴァールの少年も僕だった。
年齢は関係ないっぽい(セリムに関しては年齢って言われると微妙だけどね)。
 
エドとアルだけが、オレでボクだった。
外伝でもまだ、オレでボク。
「ただいま」って帰ってきてもまだ足りない。
    
でも、2年後には俺と僕になる。
 
オレとボクになくて、俺と僕にあるものってなんだろう?
うーん「にんべん」? とか。
 
そんなことを考えてみる。
懐かしの有る無しクイズみたいに。
  
「にんべん」つまり「人」。
エドとアルが人間じゃなかった、とは言わないけど。
旅から旅の根無し草で、人らしい暮らしをしていなかったのは確か。
旅の最中に帰る家ではあったけど。
あくまでそれは一時的に羽を休める場であって。住む為の家じゃなかった。
 
どこか地に足の着いていない浮き世離れした子供たち。
それがいつ変わるんだろう。
  
出掛ける時「行ってきます」って出ていって、「ただいま」って帰ってきて。
帰ってくれば客用のベッドじゃなく自分用のベッドがあって、ダイニングには客用のじゃない自分用の椅子がある。自分用のお皿、自分用のグラス。
それがどれだけ大切なものなのか気づけるようになった時。
エドは俺、アルは僕になるのかもしれない。 
  
だからいつだって自分達の帰って来る場所、ロックベル家を拠点にお礼に回るようになった時には、俺と僕になっていた。
のだとしたらいいなぁ。
  

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2010/09/25

ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その11

レトリックという名の化け物

痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから

レトリックという言葉があります。
辞書で引くと、修辞法とか修辞学とか、わからんちんな事が書かれていますが。
ようは、どう文章を書けばカッコイイか、人を魅了するか、そんな語法だと思っておけばいいのではないかと思います。
比喩、体言止め、オノマトペ、多分その技法の名前をあげれば「その手のものか」とおおよその理解は出来るのではないでしょうか。
   
さて。そのレトリックに、こんなものがあります。
二重否定、倒置法、押韻、首尾同語。
まさにこれらを駆使して書かれたのがこの文章です。
 
「痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから」
 
二重否定は、否定文を否定することで肯定を強調します。
「ありえないなんてことは、ありえない」などがそうですね。
かなり技巧的な言い回しとなるため、一度頭の中で肯定文に差し替える為、直感的に一瞬でその意味を理解する事が難しくなるのが欠点と言えるかもしれません。
 
wikipediaでは。
「~しないわけにはいかない」
「それを悲しまないものはなかった」
などがあげられています。
  
ところが。二重否定には、肯定の強調以外にも別の用途があります。
否定の緩和。部分的な肯定です。
 
そしてこの文章はおそらく後者に位置するのだと思います。
 
・「痛みを伴わない教訓には意義がない」
痛みを伴う教訓に意義があると言っているが、
これは、痛みを伴わない教訓について論じているのであり、
痛みを伴う教訓に必ず意義がある、とは言っていない。
痛みを伴う教訓にも意義のないものはあるかもしれない。
 
・「人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから」
人は何かを犠牲にすれば何かを得られると言っているが、
これは、何かを犠牲にしなかった場合を論じているのであり、
人は何かを犠牲に必ず何か得るとは言っていない。
人は何かを犠牲にしても、何も得られない事はあるかもしれない。
 
このように、否定×否定が必ずしも肯定にならない場合、文章の意図が漠然としてしまい、本来伝えたかった意図が上手く伝わらない可能性が出てきます。
 
 
倒置法
目的語を文頭に置く事によってそれを強調します。
文章がどこにかかるのか分かりづらい場合など。倒置法なのかそうではないのか、その判断がつきづらく、これもまた直感的な理解が難しい技法と言えるかもしれません。
 
1話冒頭の文章。
痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから
(タイトルページ)
 
この「だから」はどこにかかるのでしょう。
  
倒置法ととるなら「痛みを伴わない教訓に意義はない」にかかります。
しかし。
倒置法でないなら、タイトルページを指しているとも取れます。
 
「人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから」、左脚を犠牲にして少年は機械鎧を身にまとう「鋼の錬金術師」となった。
そう取る事も可能なわけです。
 
最終話最後の文章。
痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから
しかしそれを乗り越え自分のものにした時、人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう
  
この「だから」はどこにかかるのでしょう。
 
倒置法ととるなら「痛みを伴わない教訓に意義はない」にかかる。これは1話と変わらない。
倒置法でないなら、「しかし~」以降にかかっているとも取れます。
 
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから。
しかしそれを乗り越え自分のものにした時、人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう
 
順接の「だから」の直後に逆接の「しかし」が来るのは、いくらなんでもおかしいですよね。
となれば、やはりこれは倒置法なのでしょう。 
   
では、最後に倒置法だった場合。
 
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから
痛みを伴わない教訓には意義がない
 
何のどこらへんが、「だから」にかかっているのか。これまた直感では判断しづらいですね。
「余程、作者はこの文章を読み解いて欲しくないらしい。」
ミステリならそろそろこんな一文が入ってくるところかな(笑)。
 
頑張って読み解いてみましょう。
 
まず、せっかく平文にしたので順番はそのままで、二重否定文を肯定文にしてみます。
A「人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから」
A’「人は何かを犠牲にする事で何かを得る事が出来るのだから」
 
B「痛みを伴わない教訓には意義がない
B’「痛みを伴教訓に意義はある
 
ところが。
倒置法は目的語の強調を意図するものなのですが、どうもしっくりきません。
 
一見、この文章は定義の証明のように見えます。
A’が定石でB’が定義。
A’という世の常識があり、だからB’という定義がなりたつ。
「AだからBだ」「AだからBになる」。文章の流れからしてこうなるのが有り体の形です。
ですが。Bを「定義」と取ろうとすると「である」「だ」「になる」が文末に来ないというのがどうもしっくり来ません。
ニュアンスの問題かもしれませんが。
この、まるで断定を避けるような物言いは、
「定義としてまだ足りていない」
「まだ、確たる証拠が不充分で断定出来ない定義」
と言った状態だからなのかもしれません。
例えば。 
「明日どこかで雨が降る」
「雲は地球の50%を覆っているものだから」
ちょっとトンチ入ってますけど、そんな文章に近いのではないでしょうか?
「A=Bという周知の事実があるのだから、新たなA’=B’という定義も成り立つのだろう」そのくらいの強さ。
強調はしたいが断定は避けたい。
そんな印象を受けました。
さてこの条件を元にもう一度文章を考えてみます。 
   
「人は何かを犠牲にする事で何かを得る事が出来るのだから」「痛みを伴う教訓に」も何かきっと「意義はある」はずだ
 
倒置法に戻しましょう。
痛みを伴わない教訓に意義はないはずだ
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから
 
いかがでしょうか。
結局ほとんど語尾を変えただけになってしまいましたね。
でもそれだけでもだいぶ分かりやすくなったのではないでしょうか?
    
もう少し文章をゆるくしましょう。
つまり。
パターン1
「人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから。この「痛み」もいつか意義(=価値)のあるものになるはずなんだ」
  
「A=B」ゆえに「A’=B’」
ここまで矛盾点は無かったと思うのですがいかがでしょうか。
先に進んでよろしいですか? よろしいですね。
 
さて。準備は整いました。
実際に鋼の1話に当てはめてみましょう。
コミックスのあのページを頭に思い浮かべながら読んでみてください。
  
「どんな痛み(=犠牲)も無駄にはならない。やがて意義のあるものとして自分に帰ってくる
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから。」
   
…合いませんよね。
どうやったって無理です。まったく合いません。
なにしろあれは絶望のさ中の文であり、希望なんてまったく見えていない言葉だったのですから。
 
ではやはり、上に書いた二重否定文が問題なのでしょうか。
「A≠B」ゆえに「A’≠B’」。これにあたります。
上のパターン1を部分否定にして書いてみましょう。

ではもう一度、あの1話の絵を思い浮かべて。

パターン2
「人は何かを犠牲にしても、何も得られない場合はある。だから。
どんなに辛い思いをしたとしても、必ずそれが意義(=価値)あるものになる、とは限らないのだろう」
 
これは。
……ある意味正しいですね。
結局エドは、左脚と引き替えにしてもトリシャを生き返らせる事は出来なかったのですから。
これがダブルミーニングの裏の意味で使われているのだとしたら問題無い、というかむしろすごいのですが。
表の意味、ではないですよね。
これを前面に押し出されては、話が先に進みません。
  
パターン3を作成しましょう。
パターン1が、「A=B」ゆえに「A’=B’」と書きました。
それでダメだというのですから。では、こうしてみましょう。

「A=B」ゆえに「B=A」だから、「B’=A’」。

もう一度あの1話の絵を思い浮かべてください。
パターン3です。

「人は何かの犠牲なしに何も得る事など出来ない。
何かを得るためには同等の代価が必要となる。だから。
何かを得るために罪を犯したなら、同等の罰(=痛み)によって、それは購われなければならないのだろう。」
 
どこかでみたことのある文ですね(笑)。
でも。
いかがでしょう。
1話を読んだ時、大なり小なりこんな感じに脳内変換されませんでしたか?

「A=B」は言い替えれば「B=A」だから、「B’=A’」。
本来ならこうするところを、どうも下のようにワンステップ、手数を省略してしまっているようです。

「A=B」(は、言い換えれば「B=A」)だから「B’=A’」。

上のトンチ話を例にしてみるとこんな感じでしょうか。
「地球の50%は上空からでも地上が見える」
言い換えれば「雲は地球の50%を覆っている」
だから「明日はどこかで雨が降る」

それがこう書かれてしまったわけです。
「地球の50%は上空からでも地上が見える」
だから「明日はどこかで雨が降る」
 
確かに間違った事は言っていないかもしれません。
けれど。これを読者に一瞬で理解しろとは、随分と酷な気もします。
すべての要素が、直感で意味を読みとりづらい方向へ、読み取りづらい方向へと向かっているのですから。
 
順当に読んだならパターン1しか思い浮かばないでしょう。
倒置法と二重否定の指す意味に気づいたら、なんとか頑張ってパターン2。
パターン3に気づくには、さらに捻くれた読み方をしなければ到底届かないのではないでしょうか。
   
にも関わらず。
おそらく読者側の認識は一切ブレなかった。
それは、あの強烈な絵があったからではないでしょうか。
あのエドの足の断面が、何より強くこの文章の方向性を提示してくれた。
だから、本来なら作者の意図を読み取れるはずのない文章でありながら、読者はその意図を正確に読み取ることが出来た。
私はそう思っています。
  
さて、次に。 
最終話で使われていたのは、上のパターン1とパターン3のどちらだったでしょう。
まず直感で思い浮かべてみてください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
思い浮かべましたか? どちらでしたか?  
では。
まずパターン1をあてはめてみましょう。
あの最終話の最後の絵を思い浮かべて…。
どうぞ。
  
「どんな痛み(=犠牲)も無駄にはならない。やがて意義のあるものとして自分に帰ってくる
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから」
  
合ってるかな? 結構イメージっぽいですよね。
うん。いい感じです。
でもね。違うんです。外れです。これだと後が続かない。
続けて書いてみましょうか。
さらに分かりやすくする為、倒置法も解除し平文に戻してみましょう。
     
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから
どんな痛み(=犠牲)も無駄にはならない。やがて意義のあるものとして自分に帰ってくる
「しかしそれを乗り越え自分のものにした時、人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう」
  
この通り。
「やがて意義のあるものとして自分に帰ってくる」と、
「それを乗り越え自分のものにした時」が重複してしまっているんです。
なのに接続詞は? 
「しかし」。
逆接の接続詞でありながら前後の文章の意味する処が重複する。
これはあり得ません。
前の文は後ろの文の逆説でないといけません。そうでないと「しかし」が置けない。
 
今度はパターン3を当てはめてみましょう。
 
「人は何かの犠牲なしに何も得る事など出来ない。
何かを得るためには同等の代価が必要となる。だから。
何かを得るために罪を犯したなら、同等の罰(=痛み)によって、それは購われなければならないのだろう。」
「しかしそれを乗り越え自分のものにした時、人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう」
  
この方がしっくり来ます。しっくり来ますよね。 困ったことに。
 
「何かを犠牲にしたのだから何かを得る」
本来この文章はそういった意味でこそあるのに。
あくまでも1話の延長として、最終話もまったく同じ意味
「何かを得たのだから犠牲がついてくる」
として扱っているのです。
 
   
次に進みます。
「それを乗り越え自分のものにした時」の「それ」とは何でしょうか?
 
FAのように「痛み」に差し替えると、「「痛み」を「自分のものにした時」」となってしまいます。痛みは常に自分のものですから。これはちょっとおかしい。
FAスタッフの苦労がしのばれます(笑)。
FAでは「その痛みを乗り越えた時」に改変されてました。
    
ならば「痛みを伴わない教訓」? もとい。
それを言うなら「痛みを伴う教訓」ですね。
でも「自分のものにした時」はいいかもしれませんが。「教訓」とは乗り越えるものなのでしょうか? あまりそぐわないようですね。
   
では「痛みを伴わない教訓には意義がない」?
「「痛みを伴わない教訓には意義がない」を乗り越え自分のものにした時」とはどんな時でしょう?
「「痛みを伴う教訓に意義はある」を乗り越え自分のものにした時」にした処であまり変わりばえしないですね。
  
では「「人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできない」を、乗り越え自分のものにした時」。
何か分かるような感じが出てきませんか?
 
パターン3を引っ張り出しましょうか。

「人は何かの犠牲なしに何も得る事など出来ない。
何かを得るためには同等の代価が必要となる。だから。
何かを得るために罪を犯したなら、同等の罰(=痛み)によって、それは購われなければならないのだろう。」
けれど
「人は何かの犠牲なしに何も得る事など出来ない。
何かを得るためには同等の代価が必要となる」。
その法則を受け入れ、乗り越えた時。
 
どうでしょう。これなら意味が通りそうですね。
ただ、どうもしっくり来なくて、元の「乗り越え」「自分のものに」の順序が逆になってしまいました。
  
「乗り越え」るということは、それは目の前に立ちはだかる壁のようなものだったという事。
そこに壁があることを認め「受け入れ(=自分のものにして)」「乗り越え」る。これなら想像がつきます。
   
大切なものを手に入れようとして、逆に大切なものを失ってしまう。等価交換とはそんな法則でもあるのだと受け入れ納得し、じゃあその法則を踏まえた上で自分に何が出来るのかを考える。
そういうことですよね。
ですからこれが、「乗り越え」「受け入れる」の順ではどうにも違和感があります。
   
等価交換という壁を「乗り越え」、等価交換そのものを「自分のものに」するとは? それはどんな状況なのでしょう?
「受け入れる」以外に、この「自分のものに」するをどう捉えればいいのか。
  
私には思いつきませんでした。
答えは見えますか? どうぞみなさんで考えてみてください。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
考えたついた方、いらっしゃいましたか。
私は考えつくまでに、3日かな、4日かな。そのくらいはかかったかと思います。
おかげで、その間に仕上げてしまった下書きをもう一度書き直す憂き目にあっています(笑)。
ただし。
あくまでも「強いてあげれば」というレベルであることをご承知おきください。
    
強いてあげるとするならば。
上で一文省略されているという話をしましたので。
こちらも同じ手を使ってみます。
   
大切なものを手に入れようとして、逆に大切なものを失ってしまう。(等価交換とはそんな法則でもあるのだと受け入れ)じゃあその法則を踏まえた上で自分に何が出来るのかを考え、自分なりの新しい法則を導き出す。
 
いかがでしょうか?
「乗り越え自分のものに」するとは、つまり目の前に立ちはだかる法則すら内包出来る法則を作る。
そんな意味合いにとれば、まあなんとか意味が通るのではないでしょうか?
 
念のため、すでに切り捨てられてしまったパターン1を、引っ張りだして確認しておきましょう。
多少文章の通りをよくする為にいじります。
 
どんな痛み(=犠牲)も無駄にはならない。やがて意義のあるものとして自分に帰ってくるはずだ。
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできない。
それが、世の中の理、等価交換の原則なのだから。
しかし、(等価交換とはそんな法則でもあるのだと受け入れ、)ではその法則を踏まえた上で自分に何が出来るのかを考え、自分なりの新しい法則を導き出す。
 
やはり、繋がっているとは言えませんね。
何かもうしっちゃかめっちゃかと言うべきか。
等価交換の原則は決して悪いものではないと冒頭で言っているにも関わらず、それを悪いもののように言い乗り越えたり自分のものにしたりするのではもう、意味が分かりません。
パターン1は本当に意味のないものなのでしょうか。
   
 
あと一文。もうこれでラストです。
「人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう」
 
押韻
「人は何」かの犠牲なしに~
「人は何」ものにも代えがたい~
頭の文字に韻を置く頭韻が使われています。さらに。
「何」かの犠牲なしに~
「何」も得る事など~
「何」ものにも代えがたい~
このようにまったくの頭ではありませんが、こちらも韻を踏んでいます。
  
別にこれは、余程無理矢理でなければ、文章を分かりづらくするような要素はない、はずなのですが。
  
「人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできない」。
けれど、それを乗り越えれば。
「何ものにも代えがたい」鋼の心を得られる。
代え難い=代えるのが難しい=代えられない=交換出来ない=等価交換出来ない=等価交換では手に入らない。
 
つまり、等価交換の法則を乗り越え、新しい法則を見いだした者は、等価交換では手に入らないものを手に入れる。
 
ようやくたどり着きました。
まさにこの「鋼の錬金術師」という物語そのものを語る言葉と言えるでしょう。
荒川先生は、これが言いたかったのかな、と気がついたのは今さっきです(笑)。
100回、1000回とこの文章を読み返し「もう頭の中で反復するのもイヤっ」となるほど読んで読んで読み込んで、やっと私はここにたどり着いたのですが(笑)。
みなさんはいかがでしたか?
   
「何ものにも代えがたい」。
この中に「等」「価」「交」「換」の中の一文字でもいいから入っていれば、もしかしたらもっと早くに気づけたかもしれない、その気持ちは拭えません。
  
もし作者が、「人は何」の韻をふみたいが為に、この言葉を選び、その代わりに分かりやすさを切り捨ててしまったのだとしたら、何とも勿体ない限りです。
  
内容に触れます。 
「代えがたい」。つまり「等価交換の否定である」と先ほど述べました。
     
上の文章、パターン3でもう一度考えてみましょう。
ちょっと文をいじって分かりやすくしてみました。
  
人は何かの犠牲なしに何も得る事など出来ない。
何かを得るためには同等の代価が必要となる。
それが等価交換の原則だ。
ならば、何かを得るために罪を犯したなら、同等の罰(=痛み)によって、それは購わなければならないのだろう。
けれど。
その法則に痛めつけられ、苦しみ、叩きのめされたとしても諦めず。その法則の上で自分に何が出来るかを考え、自分なりの新しい法則を導き出す。
もしそれが出来たなら。
人は等価交換では決して手に入らない、叩かれて熱されて強靱になる、そんな鋼のように鍛えぬかれた強い心を手に入れる事が出来るのだろう。
    
いかがでしょうか。これで完成です。
無茶苦茶長いですね(笑)。元の文章と比べてみましょうか。
 
「痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから
しかしそれを乗り越え自分のものにした時 
人は何にも代えがたい鋼の心を手に入れるだろう」
  
誰にでも理解出来るよう、なるべく噛み砕いて書いたのは確かですが。いやはやここまで長さが変わろうとは(苦笑)。
  
最後にもう一度。しつこいようですが、パターン1です。
これにつなげたらどうなるか。見てみましょう。繋ぎを良くするためほんの少しだけいじりました。
 
どんな痛み(=犠牲)も無駄にはならない。やがて意義のあるものとして自分に帰ってくるはずだ。
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできない。
それが、世の中の理、等価交換の原則なのだから。
だからこそ。
その法則に痛めつけられ、苦しみ、叩きのめされたとしても諦めず。その法則の上で自分に何が出来るかを考え、自分なりの新しい法則を導き出す。
もしそれが出来たなら。
人は等価交換では決して手に入らない、叩かれて熱されて強靱になる、そんな鋼のように鍛えぬかれた強い心を手に入れる事が出来るのだろう。
  
さて。いかがでしょうか。
ここまでずっとパターン3としか受け取れない文面でした。
パターン1は完全に否定されてきました。   
それは読んでいただいたすべての方が納得されていたと思います。  
  
けれど、どうでしょうか。
私は「けれど」を「だからこそ」に変えただけです。
 
それだけで、パターン1の「しかし」以降は冒頭部分の詳細な理由となり、その冒頭文だけで、パターン3の文章全てを飲み込んでしまった。
そうは見えませんか?
  
パターン1は、パターン3言うところの「等価交換の法則を乗り越える事」すら、等価交換という法則の中の一端に過ぎないと言っている。
禁忌を犯せば報いがあるのが等価交換なのではなく、辛いことがあってもいつか必ず報われるのが等価交換なのだと。
    
1話の文の説明の際、私はあの絵があったからパターン3の内容が成立した述べました。
   
最終話はどうでしたか?
絵を思い浮かべた時、パターン1の方が合っているように思いませんでしたか?
    
結論です。
最終話のあの絵は、パターン1の冒頭が示す内容に限りなく近いものだった。
もうそこで全ては語り尽くされてしまった。
読者がパターン1の意味に受け取れば、「しかし」で続く以降の文章はまったく意味のわからないものになってしまった。
  
読者がパターン3の意味で受け取るにはそれをフォローしてくれる絵が無かった。
     
先に述べた通り、1話での文章に読者のブレが起きなかったのは、あのエドの絵があったからこそでした。
けれど、今回の文章にそういった絵は無かった。
 
パターン3の内容はエドとアルに固定されているにも関わらず、いろんな人々が描かれていた。
パターン3には、二人が犯した罪のことも、それを乗り越え新しい法則を見いだしたことも描かれていたのに、その過程を伝える為の絵は無く、この難解な文章を導きフォローしてくれるものは何もなかった。
   
ならばパターン1の意味にとり。
描かれた絵の通りに、エドとアルには固定せず。
誰に対してでも等価交換とはそういうものであると、そういった文章に扱っていたなら筋は通っていたはずです。
けれどパターン1の意味を、作者は否定していたのはご覧の通り。
   
パターン1に受け取ろうとしても、逆接詞が邪魔をする。ではパターン2かと捻ってみれば、裏の意味しか出てこない。
ましてや、パターン3にたどり着くの困難だ。
 
これでは、どれも決め手に欠け、文章の矛盾や、絵と文章の不一致に、いい意味ではなく、諸手をあげて降参するしかありません。
そして、このようなちぐはぐな印象が生まれてしまった。
   
もしかしたら作者は、私には想像もつかないパターン4という別の意図で書いていたのかもしれない、その気持ちも未だ拭い切れません。
 
文章に粗があります。
部分否定によって、著者の意図はぼやけ。
順接の「だから」が何にかかっているのか判断が付けづらく。
逆接の「しかし」は本当に作者の意図通りなのか分からない。
さらに、代名詞の「それ」は何をさしているのか直感では難しく。
正直悪文と言っていい。けれど。
   
同じ文章でありながら絵によって、希望とも絶望とも両方に受け取る事が出来るうえ、裏の意味にもとれる、たいそう面白い文章であった事は確かです。
 
本当に勿体無い。
使い方によっては、世界をひっくり返す事だって出来たかもしれないのに。
  
違う。これら全て、いろんな解釈が出来るよう意図的に作られたものだったと、貴方は言うかもしれません。けれど。
 
いいえ。それは断固として私は首を横に振ります。
意図的なダブル、あるいはトリプルミーニングは、まず一読でオーソドックスな一つ目の意味が安易に読みとれてしまうからこそ、二つ目、三つ目の意味の隠れ蓑として最大限に機能するのではないでしょうか。
世界をひっくり返せるパターン1、裏の意味にとれるパターン2、それらを乗り越えてやっと本来の意味であろうパターン3に辿り着けるのでは、トリプルミーニングも本末転倒というしかありません。
    
首尾同語
その名の通り、冒頭にあった文章が最後にもう一度使われる技法。
「モチモチの木」などが有名ですね。
個人的には、「聖戦士ダンバイン」や、水島版や、「ポーの一族」など。
私はこの技法が大好きで、未だに「ダンバイン」の定番アバンもそらで言えます(笑)。
そして、この技法の欠点は……。もうお分かりでしょう。 
  
  
荒川先生は最終話で、この文章にどのような意味を持ち、何を意図して使われたと。貴方はとらえるでしょうか。
どのような意図であの絵にこの文章を載せたと、思われるでしょうか?
   
レトリックは化け物です。
文章を格好よくリズムよく見せる代わりに、その意味を分かりづらくする事が多々あります。

痛みを伴わない教訓に意義はない。
人は何かの犠牲なしに何も得る事など出来ない。
  
それを等価交換というならば。
荒川先生は、レトリックにこだわるあまり、言葉の意図を明確に伝える事を犠牲にしてしまったような、そんな気がしてなりません。
  
長らくのご静聴ありがとうございました。
  
 
 
でも感想はまだ続くよっ。

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2010/09/23

ちきんぢょーぢ

ここ最近、急にちきんぢょーぢ名義の同人誌が放出されたようです。
全て同じ方が出しているようなので、もう打ち止めかな?
どれもオークションは終了していますが、今ならまだ画像は拝めます。
これ以外に、すでに見えなくなってしまったのが2冊ほどありましたので閲覧はお早めにっ。
 
国士無双
流星
清老頭
魏王様とお呼びっっ!
多士済々
   
 
おまけ
獅子獣神演武
BLASTER!8
   
なんつうか。人に歴史有りですな。
やっぱり、今の4コマはちゃんと面白いもの。
ぶっちゃけ、当時三国志同人を買っていた頃見かけてたとしても。
買わなかったんじゃないかなぁ。
  
ま、そもそも、ストマンと小説しか買ってなかったし。
てか、そもそもあたしゃ、呉ファンじゃんかっ(爆)。

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久しぶりのくぎみー情報

『くるみ割り人形』が、絵本付クラシックドラマCDに
2010年11月17日発売
TOCE-56367 2CD+豪華絵本(2CDデジパック仕様)¥4,300(税込)
くぎみーが4役、石田彰さんは9役だとか。

人気ケータイ用恋愛ゲーム『えんむす!』恋神ナミ役・釘宮理恵さんインタビュー
サインプレゼントあり

携帯用恋愛ゲーム「こいけん!」ドラマCDが10月27日発売--発売記念イベントも開催決定
くぎみーは、喜久井マリ役
関連記事:http://japan.gamespot.com/goods/story/0,3800076397,20412845,00.htm


ハヤテのごとく!のラジオ「ハヤサン」へのメール大募集!
再開 10月から?

アマゾンに異変!?Xbox360用ソフト『アイドルマスター2』の商品ページがカオス
くぎみー演じるいおりんがNPCになってしまうらしく、いおりんのプロデューサーさん達が暴動を起こしたとか、なんとか。
関係ないけど、木星の翔太の顔がどう見てもいおりんのパーツな気がして仕方がない。


9月26日のくぎみースケジュール
13:00 百花繚乱×えむえむっ! メディファク☆アニメフェスティバル2010 KFCホール
15:00 電撃文庫ファン感謝イベント「電撃文庫 秋の祭典2010」「灼眼のシャナS ステージ」 秋葉原UDX & AKIBA_SQUARE
18:00 電撃GENEONミュージックフェス 水道橋:JCBホール
  
ハードだぁ。 頑張れ―っ。

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2010/09/18

壊れた???

水島版の時に発売されたエドのボイスクロックにとうとう寿命が来たのか?
音声がブチブチ切れるしノイズが酷い。まるで周波数のズレたラジオを聞いているよう。
   
ヤバイっ。これはヤバイ。
所詮この手のって、放送中に捌き切ったらあとは、もう保証も何もなく知らんぷりでもおかしくない、オモチャだし。
しかも、2004年だか、2005年の商品だし。 
    
これのエドバージョンです。
http://ekizo.mandarake.co.jp/shop/ja/item_s-119286.html
    
結構未だに気に入ってるのにっ。
エドの「アル~なんで起こしてくれなかったんだよ」が甘えたで可愛いのにっ。
 
時計部分が無事な場合って、どこに修理に持っていけばいいんだ??
中開けてみたけど、基盤が2枚。時計屋じゃ絶対取り扱ってくれないよーっ。
おもちゃのお医者さん、とかって奴に出せばいいのか??
   
とりあえず発売元に連絡っ。と思ったらどこにも書いてないーーー!!!!
慌ててネットを漁って、発売元を調べて(ブロッコリーでした)、修理依頼か、修理が無理ならブロッコリーが取り扱ってる修理業者を紹介して貰えないか、メールを打っているうちに気が付いた。
   
これって……単なる電池切れなんじゃね???
  
電池を変えてみたらエドの声が元気よく復活しました。
ふー、一安心。
  
しかし、ホントにこれが壊れたりしたら、どこに出したらいいんだろうなぁ。
   
ちなみに、水島版の銀時計(20,000円のやつ!)は、普通の時計修理屋さんは引きうけてくれなくて、アニメイトから業者に出して貰って修理をお願いしています。
結構壊れやすいのか、扱いが荒いのか、年に一度は修理に出しているんですが。
一度、新しい店長さんに変わった時、こちらも店長さん側も意志の疎通が大変で。
いつ発売の、正式名称が何と言う商品で、発売元がどこなのか。情報が古すぎて、アニメイト側ですでに分からなかったらしく。
さんざん調べに調べて貰ってやっと修理に出して貰えました。
また店長さんが変わった時大変になるから、業者を教えていただければこちらから直接修理依頼しますよ、と振ってみたら。
「いえ、もう分かりましたから。その(=店長が変わる)時はちゃんと引き継いでおきます」と胸を張って言われてしまった(笑)。
そんなでも、ちゃんと修理に出す先が分かっていればいいんですけどね。
     
普段使いのものは消耗が激しいから、修理先を抑えておかないとなぁ。 

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2010/09/12

署名運動にご協力いただいた皆様へ

「ガンガン7月号」の再掲載について署名をいただいたみなさまどうもありがとうございました。
こちらで期限としていた「ガンガン10月号」発売日を過ぎましたが。
結局、鋼以外に再掲載されたのは「ガンガンONLINE」にて。
・「スカイブルー」
・「HEROMAN」(期間限定で現在5話を公開。このままいけば6ヶ月後に掲載)
という結果となりました。
    
誌面に謝罪が掲載されることもなく、この結果が署名によるものなのか、あらかじめ企画として掲載が決まっていたのか、はっきりとは分かりませんでした。
 
それでも私は。動きさえすれば、少なくとも言うべき相手に声を届ける事は出来る。
それが分かっていながら、何もせず仲間内で愚痴や意見を述べるだけ、というのは嫌だったんです。
  
2作だけでも掲載されることになって良かったと思います。
署名をいただいた65名の皆さまご協力本当にありがとうございました。
好きな作品が結局読めずじまいとなってしまった方、お役に立てず申し訳ありませんでした。
 
せめて二度とこのような事態が起きないよう、スクウェア・エニックス 編集部様が対処を取られたであろうことを、あとは祈るばかりです。
   
後日、いただいたメールアドレスにて、同文面のメールをお送りした後、お預かりした個人情報は全て責任をもってこちらで破棄させていただきます。
  
ご協力どうもありがとうございました。

【追記】9/16
9月13日から9月14日にかけてメールを送信済みです。すでに個人情報も削除済みです。
N県お住まいのHYさま 日にちを変え、メアドを変え、計3回送信致しましたが、どうしてもメールが返ってきてしまいました。個人情報はこちらで責任をもって削除致しますのでどうぞご了承ください。

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鋼の錬金術師 外伝「もうひとつの旅路の果て」ネタバレ感想

ネタバレ回避文です。PCで外伝が一発変換されなくて驚いた。何故なんだ?
一応空気を読んで(笑)先にこちらの感想をあげちゃいます。
テンション高い感想がある中に、投下する記事じゃないので。
ちょっと最終話の感想の続きは間をあけるかも。
   
というわけで。背表紙見ましたか? 背表紙を。
アルですよ、アル!!!
エドもちゃんと表紙にいるのに、そこを敢えてアル!!!
ガンガンを解体する時は気を付けなきゃっ。
 
しかもFAの原画集発売決定!!!
買う!! 買う!!! 絶対ぇ買う!!!!!
うぉぉぉぉぉぉぉ楽しみだぁぁぁぁぁ。

というわけで感想いきます。
 
・ウィンの髪
ウィンの髪の色違ってね???
去年の8月号のガンガンの表紙とか引っ張り出してみたんだけど。
なんか、妙に黄緑色が強いんですけど。
まあエドの髪だってしょっちゅう変わってたけど。
濃い、薄いじゃなくて、色の配合が違うってのがなんか珍しい?
絵描きさんから見て、こういうのって当たり前なのか?
  
 
・ウィンの耳
あ、ピアスしてるよっ。帰ってすぐ返したんだね。
 
 
・「大きい荷物届いてるよ 中央から」
あれ? 自分達で向こうを出るまえに郵送したのかと思っていたのだけど。違うのかな?
差し出し人がエドやアルだったら、「中央から、何送ったの?」とかなりそうだもの。
あ、そっか。ホントにロックベル家の居候になるかも分からない状態では送れないか。
まさかそのまま放置で、軍部の誰かに回収して貰ったとも思えないから。
梱包だけして、落ち着いた頃に送って貰うようお願いしてたのかな?
 
 
・「兄さん 来た!」「おっし」
当然のように、兄さんが解体するんだねぇ。
えへへ、今はエドがアルのフォローに動いてるんだよねぇ。
なんか嬉しいや。
そして、トンカチは苦手でも、バールの扱いは一応出来るんだなぁ。
しかも右手をメインにして使ってる、よね。
もうすっかり右手にも慣れたのかなぁ。
 
 
・カラー表紙絵
アルの表情が可愛い―。まだ幼い感じが残ってて。
あの最終話のアル様と同一人物とは思えんわ(笑)。
兄さんの右手ももう太さ変わらない?
そして鎧アルーっ、おかえりーっ。
列車で荷物扱いされた時(笑)と違って、ちゃんと布を緩衝材にしてあるんだよね。
もう元の鉄に戻すだけなら、木箱の中にさえ納まっていれば問題ないのにね。
ちゃんと包んであるんだ。
 
 
・「あと兄さんの目線が上からなのがちょっとムカつくなー」
えへへ、やっぱり今はアルの方が身長低いんだねぇ。にやにや。良かったね、兄さんっ。
 
 
・「いた?」
今回はホント、エドってばアルの下僕世話係だよね。
ふふふ、アルがまだ出来ない事を全部エドがやってくれてる。
「いいから、まだお前はあんまし動き回るなっ」とか言って、外回りを探しに出たんだろうなぁ。
こんな風に身の周りの世話とかも焼いてるのかと思うと、超萌えるんですが(笑)。
 
 
・「……本当にいいのか?」「はい」
この表情がね。どこかで見た事あるなぁって思って探してみた。
やっぱりっていうか。うん、イズミに弟子にしてくれってお願いした時のあの強張った表情に似てるんだ。
きっと決めるまでに、すごい考えて、悩んで、決心したんだなぁ。
 
 
・並んで座る
おお、確かに、座高だけでも全然、兄さんの方が背が高いじゃねぇかっ!!
そしてアルの襟もとから、肋骨が浮いて見えるのが、まだまだ痛々しいなぁ。
 
 
・「それじゃ死んでるのと同じだ」
アルにとって、アルの鎧はまだ「生きてる」んだ。
鎧であって、鎧じゃない。
 
 
・「ボクは嬉しい」
ちょっと分かりづらいけど、このアルの表情よーく見て欲しい。
口元がね、笑ってるのっ。
頑な決心だけじゃない。
かつての自分だからこその、この台詞なんだ。
他人事じゃない。自分自身の事。
アルは、やっぱりアルなんだなぁ。
生アルが、鎧アルに重なった。
この台詞が、鎧のアルのあのくぐもった声で聞こえた気がして。
ちょっと涙ぐみそうになった。
 
 
・「…アルだった鎧がめためたに叩かれてると悲しくなってくるな…」
エドにとってもまだ、鎧はアル本人に重なる処があるのかなぁ。
 
 
・「……強い機械鎧になるよ」
可愛い子ちゃんなまん丸目や、バインって感じな体型よりも。
こういう表情のウィンを見る方があたしは好きだなぁ。
 
そしてこれはやっぱり後々兄さんの機械鎧になるっていうフラグよねっ。
エドやアルから言う事はなくても、きっとウィンリィが気をきかせてエドの機械鎧に使ってくれるはずっ。
「機械鎧に」って固定したのだもの。勿論ウィンリィならツテがあるし確実に使ってくれるだろうからっていうのはあっただろうけど。
まったくエドの機械鎧になる事を考えずに言ったなんて事はあり得ないはずっ。
エドももう軍を抜けたならお金なんてないんだから、部品代を差し引いて貰えてラッキーだし(笑)。
 
FAでは帰って来る時点ですでにびっこ引き状態だったから。
確実にそれを伏線に使えたのになぁ。惜しいっ。
 
これで、エドの右手はアルのものに次いで、機械鎧の左脚もアルのものになるんだっ。
礼さま、礼さま、これもあのコピー本のネタに使えそうじゃないですか???(笑)>思いっきり私信
 
 
・「アルが「いつも雑草刈り大変そうだからばっちゃんに」ってさ」
そして今日もまた、エドはアルの使いっぱしり(笑)。
元気になったあかつきには、やっぱりそこは等価交換で。
アルは何を(何で?)エドに返すのかなぁと、にやにやしてみたり。
 
 
・「早く大きくなって飛び立てよ」
これは外伝でなければ言えない言葉だね。
本編の最後に旅に出た二人を見たあとだからこそ、この台詞に意味が出てくる。
 
ところで。まさかこのまま放って置くわけにもいかないだろうから。
親鳥を捜すか、どこか木の上にあげて親鳥が気づくのを待つか、餌付けして飛び立てるようになるまで育てるか。選択肢は色々あるだろうけれど。
小鳥がいなくなったあと、この頭はどうするのかなぁ。
気が付いたらまたデンが咥えて持っていって、別の何かに使われたりしてね。
結局、人間の方が根負けして「分かったよ。それはそのままにしておくよ」ってシャンバラよろしく兄さんの机の上に置かれてたりするんだろか(爆)。
という冗談はさておき。アルの部屋の隅に置いといて欲しいなぁ。

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2010/09/10

ガンガン買った

今から読みます

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物語におけるパワーバランス

ちょっと最終話の感想は小休止で全体感想です。その11が、間に合いませんでした。 
    
なにかの折りに2ちゃんで、荒川先生が「スレイヤーズ」のファンクラブに入っていたというネタを読んだ事がある。
ファンクラブの会誌のvol.8だかの表紙を荒川先生が描いたのだとか。
実は「スレイヤーズ」の小説は読んでないし、アニメも「NEXT」しか見てなくて、「情報」を知っているレベルの作品でしかないのだけど。
それでも。さもありなん、と思った。
 
・身体的コンプレックスを持っている主人公
・主人公は、人が恐れるような絶大な力を持っている
・主人公は賢者の石を捜す
・主人公と敵対していたキメラがあとで仲間になる
・身内に主人公が恐れるほど強大な力を持つ女性がいる
 
これ「スレイヤーズ」の事を言ってるんだよと言っても嘘にはならない。
これを接点が多すぎるととるか、この程度は良くある事ととるか、それは人それぞれさまざまだと思うのだけど。
 
一番最後の項目。
「身内に主人公が恐れるほど強大な力を持つ女性がいる」これが私は一番引っかかっている。
 
オリヴィエと少佐が2人がかりでも倒しきれなかった相手を、イズミは素手でぽい投げしてしまう。
あのシーンを読んだ時「いくらなんでもパワーバランス悪すぎだろ、己はルナ=インバースかよっ」と思った。
 
この時はまだファンクラブ云々の事は知らなかったのだけどね。それでもあのキャラが思いだされたんだ。
ルナ=インバース。
「スレイヤーズ」の主人公リナ=インバースの姉。
そのあまりの強さゆえに、回想シーンにしか登場しない。
作者曰く「物語に登場させると、パワーバランスが崩れるから出せな」かったらしい。
 
荒川先生が「スレイヤーズ」のファンだというなら、それを分かってたうえでイズミを登場させたって事になる。
パワーバランスの崩れが物語にどのように影響を及ぼすものなのか、挑戦してみたかったのだろうか?
 
まずはスレイヤーズと同じ手法、回想シーンに登場させた。
まだエド達も幼かったから、余計強く見えたのだろうと、読者にそんなフィルターを与える事も出来た。
 
そして登場。ここで病弱というストッパーが役に立つ。
なるほど、ストッパーがあれば例え実際に登場させても、パワーバランスが崩れる事はないんだ。
グリード相手の時も一端手を引いた。
あくまでも万国ビックリショーレベルを越えるようなシーンは描かれなかった。
 
そしてとうとう約束の日直前になってイズミのストッパーが無くなってしまった。
手初めにブリッグズ強襲。
これはまだ17歳の時のイズミに可能だった事をすでに番外編で見せていたから恐るるに値しない。
このくらいの事は、フルパワーが出せる今のイズミだったら簡単に出来るだろう、そう思わせた。
そして。スロウス戦。
オリヴィエと少佐が死に物狂いで戦った相手を意図も簡単に放り投げた。
「どれだけ強いんだ?」
そう思った読者は多いんじゃないだろうか。
エドだって北方でスロウス相手に1人で立ち向かうような真似はしなかった。
あの時は、戦車で押したんだよ?
氷柱が脳天を直撃してふらついた処を、エドとアルの二人で蹴り飛ばしてやっと落下させられた。
イズミの方がエドより断然強い、そう見えた。
 
ところが、お父様との戦いに来てその強さがいきなり鳴りを潜めてしまった。
蓋を開けてみれば、イズミの力はエドと大差ない国家錬金術師レベルになってしまった。
では何の為に大総統府であれだけ「イズミ最強」のイメージを打ち出す必要があったんだ? 
それが分からなくなってしまった。
 
これではイズミが強いのではなく、オリヴィエや少佐をはじめとした北方軍がさほど強くなかっただけじゃないか?
ならば逆にエドはどうなんてるんだ? いつの間にイズミと並ぶほど強くなったんだ?
 
「強さのインフレ」は、ヒエラルキーの頂点だと思ったら実はそこは頂点ではなく頂点はもっと上だった、という状態の連鎖を差すのだけど。
鋼は、ヒエラルキーの方が勝手に沈んでいったような気がする。
ヒエラルキーの天辺を100とした場合、主人公は0から登っていたのに、ヒエラルキー自身が徐々にずぶずぶと沈み、0だった時の全体像からしてそこは30くらいだろうと思ったら、いつのまにかそこが天辺になっていた、そんな感じ。
 
これが間違っているかというと。
結局世の中ってそういうものなんだよねぇ。
いつまでもガキだガキだと思っていたらいつのまにか追い抜かれていたり。
そういう意味で、この構図は決して誤りではないと思う。
     
ただ「イズミとオリヴィエ」。この二人の力関係だけは、どうにも歪になってしまったのが残念でならない。

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2010/09/09

パンナポンパ って何?

くぎみーがローカルCMで歌を歌っているらしいと知り、聞いてみた。
FAIRY TAILのハッピーに一番近いかな?
なんか、この投げやり感。クセになるかも(笑)

パンナポンパ アイアイメデカィル
パンナポンパ CM

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ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その10

バトンリレーではなく

物事の裏を読もうとしているわけではないのだけど。
最終回を全体的に褒めているブログ様方が「この台詞が良かったっ」と書かれている台詞が、よりにもよって自分の中で思い切り引っかかてしまった台詞だったりすると、思い切り凹みます。
FAではカットされて、とりあえず不要と思ったのは自分だけじゃないんだな、と分かってほっとしたり。
さて。  
 
「みんなあきらめろって言わなかったじゃないか」
じゃあ、みんながあきらめろと言ったらあきらめたのか?
 
なんだか全てココに来てしまう。
 
みんなに言われなかったから、エドはあきらめなかった。
マルコーが言ったから、ロイはイシュヴァール政策の必要性に気づいた。
ランファンに言われたから、リンは無血でのシン国統一に動いた。
マイルズに言われたから、スカーはイシュヴァール復興の為に動いた。
みんな、みーんなっ、誰かに何か言われたから動いた。
 
それってそんなにイイ事なのかなぁ?
   
ガイドブック4の、朴さんが荒川先生から貰ったメールの話を読むまでも無く、まるでバトンを渡していくリレーのようだなって、思ってた。
新井素子の「星へ行く船」シリーズの最終巻「そして、星へ行く船」のイメージアルバムにある「Flower─愛の花束」の歌詞が過ぎった。
♪愛のリレーをしましょう 花束を渡すように
ごめん、古過ぎて前後の歌詞が思い出せないや。ググっても出てきやしない(笑)。
  
多分、そういうイメージを描きたかったんだろうな、そう思ってる。分かってる。   
でもそれは。「今、言われて自分の至らなさに気づく」という行為に固定する必要は無かったんじゃないかな。
 
誰かに言われたから動く、ということは、言われなかったら動かなかったという事になってしまう。
そんなにこいつらは莫迦だったのか?
誰かに言われたから動く、ということは、その責任を全てその誰かに押し付ける事が出来てしまう。
そんなにこいつらは卑怯者なのか?
   
そしてもうひとつ。何故それは常に一方通行じゃないといけないんだ?
 
エドはあきらめろと言われたらあきらめたのか?
あきらめろと言ったところで奴らがそう簡単にあきらめるもんか。
そんなエドとアルだから。
ロイやリザは、こんな子供達が生きていく為にもロイを大総統にと望み、ザンパノとジェルソは元の身体に戻る為に動き、マルコーは二人に希望を託し。
だからエド達もここまで頑張って来れたんじゃないのか?
    
戦争で自ら手に掛けたイシュヴァール人たち。
「恨みます」と最期の言葉を残した老人。戦渦に巻き込まれ命を落とした子供の墓。投降すら認めなかった粛正という名の皆殺し。それらが生み出したスカーの復讐心。
だからこそ、軍が国民を殺さない国をロイは望み、ヒューズがそれに乗り、リザ達が彼を押し上げ、スカーは復讐の手を止めた。
ならば、軍は何をすべきか。自分は何をすべきか。ロイには見えていたはずだ。
マルコーに言われずとも、ロイの頭にはイシュヴァール政策に乗り出す事も計画としてあったんじゃないのか?
 
不老不死の身体を以てしても民は救えない。
謀らずも自らの身でそれを証明してしまったリンに、賢者の石を望む現国王の意は余りにも愚かに見えただろう。
クセルクセスの愚王の話もホーエンハイムから聞かされた。その末路からリンは学ぶ事があったはずだ。
アメストリスという国は、リンにとって格好の学習の場だったはずだ。
国民を消耗品として扱う大総統。それは王位継承争いで民を犠牲にするであろう自分の姿に重なったかもしれない。
自分達のために他人の命は使えないと言い切ったエド。
リンは自分の兄弟を粛正したあと、そのエドの目を見る事が出来るのか?
相手がホムンクルスであっても分かり合う事は出来たのに、一緒に戦った半分血のつながる妹と分かりあうことが何故できない?
ランファンに言われずとも無血での継承をリンは望んだのではないのか?
  
スカーは……逆転の国土錬成陣を発動させた際もまだ悩んでいたようだから、ま、まだまだ人の言葉で気づく事があってもしょうがないか(爆)。
 
彼らはみな成長して最終回を迎えた。私はそう思っていた。
だから。「何を今更?」と思わずにはいられない。
 
「本当に言いたい事は絵だけでは無く、多少うざくとも言葉にして表現すべきだと思った」前にそんなことを水島監督が言っていた。あれ? 會川さんだったかな?
それは確かに分かるんだ。水島版のあの長ったらしい説明台詞に辟易しながらも。
そうすることでエドの行動にはブレがなかった。分かり安くなった。
 
それとも違う。
 
なんて言えばいいんだろ?
キャラクターはもう10まで成長していると思っていたのに、まるで5までしか成長していないキャラクターに必要なエピソードをあてがわれたような感覚、と言えば伝わるだろうか?
 
もう雛鳥はすっかり巣立つ準備を終えてあとは飛び立つ為の風を待つばかりのつもりでいたのに。まだお前たちは何も分かっちゃいないと、巣箱に戻されたような。
 
今まで自由に動いていたキャラクター達が、ここにきてひょいっと持ち上げられ、作者の決めたレールの上に立たされてしまったような違和感。
 
なんなんだだろう? この感覚は。
こちらが見上げているキャラクターを、作者はえらく下に見下ろしている? 
荒川先生がキャラターを操る糸がはっきり見えてしまったような気分だった。
 
エドもロイもリンもスカーも、もう充分成長していた。
こいつら頑張ったよな。そう思っている。
思惑はそれぞれ違かろうが、互いを理解し、手をつなぐことは出来る。
支えあう事、影響しあえる事は出来るんだ。
それらはもう107話まででこちらに充分伝わっていたのに。
 
だからこんな事を想像してしまう。
彼らの未来の、その結果だけを示してくれた、どうなったかな、と。
ロイも、マルコーも、シンも、メイも、スカーも、ランファンも、エピソードは全っ部無しっ。
最後の写真だけでいい。
その代わり仕込みだけはたっぷりに。
 
ロイの肩章が大将になっているだけではなく、2人の背後にイシュヴァール人の暮らしている様子が映っていたらどうだろう。
さらにその隅っこにスカーとマイルズが映っていたら?
 
逆に、スカーとマイルズをメインに捉えた写真の、その背後にロイとリザの背中が見えていたらどう思う?
 
そして遠くの彼方の屋根の上に赤十字の旗が揺れるのが見えたらどうだろう。
それがマルコーの写る写真の背後の病院の屋根とよく似ていたとしたら?
 
王位を継承したリンの片腕のようにメイが隣りにいたら、それだけでリンの奴国を変えやがったなと思えただろう。
ランファンは。お庭番が写真に写ったらまずいよな。リンの背後から飛び去った後の何か影が写っている写真ばかりが数枚。 何これ???? みたいなのがあったら面白かったかも。
 
マスタング組ももう彼らだけじゃない。ハボックやブレダ、チャーリー達の部下の更に下にも部下がいて。
昔ロイがヒューズに語った夢が「現実に成り下が」った絵が見られたらどれだけ胸の詰まる思いがしただろう。
 
ここまで辿り着く為に、奴らはどんな風に過ごしてきただろうと、想像するだけでワクワクしただろう。
あーでもない、こーでもないとブログに書いたり、友人と語りあったり楽しかっただろうなぁ。
そういったものが、きっと私は見たかったんだ。
 
だけど未来は固定されてしまった。
「彼らはこれから、この方向に向かって進んでいきますよ」と提示され、ほら、間違いなくその方向に進んでいるでしょ? と結果までもが提示されてしまった。
来し方行く末すべてをさらけだしこちらの妄想の隙を与えてくれない。
 
何も身に付けず、さあ妄想してくださいと言われてもね(笑)。困る。
着物の襟を抜いたり、裾からふくらはぎがちらっと見えたり、そんな風に。
実際には知りたい情報は何も与えてくれなくていい。
そこをこちらで勝手に想像する楽しみを味わわせてほしかったなぁ。
 
物語が終わったその先の、未来は全て読者のものだ。
例え作者であっても縛りつけて欲しくなかった。
あーだ、こーだと、想像し、妄想して楽しめたら・・・・・・そう思ってしまう。
どのようにその道を辿ったのかその正確さは伝わりきらなくとも。
 
彼らは、今、立って歩いて前へ進んでいる。それだけは絶対に伝わっただろうから。

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2010/09/08

ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その9

会いに行く
  
最終ページの1ページ手前、見開きのエドの写真はホーエンハイムと同じポーズだった。
エドはきっとホーエンハイムと同じ道を辿るんだろうな。
錬金術に夢中で家族放ったらかしで、子供に怒られて殴られたり(笑)。
   
でも、アルもまたホーエンハイムと同じ道を辿るんだ。
シンに行き錬丹術を学ぶということ。
それは、ホーエンハイムから知識を学ぶという事だから。
 
結局アル達はホーエンハイムから、錬丹術を直接学ぶ機会は得られなかったけれど。
こうやって錬丹術に触れる事で、アルは過去のホーエンハイムを追体験する。
 
ホーエンハイムがどうやってシンにやってきたのか。そんな事も書かれているかもしれない。
でもやたらと荘厳な偉人として描かれすぎて「実物と違い過ぎだよ」なんてくすくす笑ったりするんだ。
「いつか兄さんにも見せてやろう」なんて思いながら。
偉そうな金言が書かれていても「いや、父さんならきっとこう言ったはず」と思ったり。
「へー、こんな研究もしてたのか」と関心したり。
女性との浮いた話に「母さんに言いつけてやろう」なんて思ったり。
 
もうホーエンハイムに直接会って話をする事は出来ないけれど。
彼が何を思い、何に悩み、何をしてきたのか、何を望んでいたのか。
アルは錬丹術を通して、ホーエンハイムから教わる。
きっと錬丹術だけじゃなくもっともっとたくさんの事を。
  
考えに詰まった時は錬丹術の書を開く。
そこには、やったらすごい人っぽいホーエンハイムの肖像が描かれていて、ちょっと笑っちゃいながら。
「よう また来たのか?」
「何だ、そんな事で煮詰まってたのか?」
そんな空耳を聞きながら、アルはホーエンハイムに会いに行くんだ。
  

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2010/09/07

ガンガン2010年10月号 巻頭カラー?(ネタバレ)

もうガンガンのCMはTVで流れているのかな?
公式サイト ガンガンNETにCMがアップされましたよーーーーーーー。
 
表紙はすでに、あちらこちらで公開されちゃってますけど。
表紙じゃないこの絵っ。このカラーイラストは巻頭カラーなのかなぁ?
  
うわーん、鎧アルだっ。鎧アルだよぉぉぉぉぉぉっ。
生アルは勿論好きだけど、やっぱ私、鎧アルのが好きかもしんない(笑)。
思いきりテンションあがってきたわ。
 
アップルパイネタとか、ピアスネタとか、そこらへんかなぁと思っていたけど。
まさかの、鎧アル回収ネタなのか?????
 
も、も、も、勿論今までも、CMのカラー扉にワクワクしたら、出番そこだけかよっ!!なんて回を数えあげたらきりがないので、安心は出来ませんけどね。
 
アルがアルを見ている図っていうのが、なんかもう、可愛くて、可愛くてね。きゅんきゅんするっ。
うわー、楽しみだーっ。
 
10


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ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その8

錬金術というシステム
  
エドは何故錬金術を使えなくなったのだろう。
真理の扉をあけるまえから錬金術は使えたのに。

錬金術が科学なら、同じ条件であれば誰がやっても同じ結果が出なければ化学じゃない。
ずっと私はそういい続けてました。
 
錬金術の知識が消えてしまったのか?
錬金術の知識を理解出来なくなったのか?
ところが、荒川先生はインタビューでエドが構築式を書きアルが実践することは可能と答えていた。
ならばどういうことなのか。
ずっとずっと考え続けて辿り着いたのはこんな結論。
   
このブログの左にアルのブログパーツアクセサリーがある。
「錬成」を押すだけで、勝手に動き出す。
これが手パンの錬金術
 
このアクセサリーは公式サイトのこのページにソースが書かれているので
これをコピーしてサーバにアップロードし
「錬成」を押すと、勝手に動き出す
このソースをコピーする事から毎回繰り返さなければいけない。
これが普通の錬金術師の錬金術
 
このアクセサリーは公式サイトのこのページにソースが書かれているので
これをコピーしローカル(手元のPC)上にhtmlファイルとして保管する
ファイルを開き「錬成」を押してもそのまま固まる。
錬成したポーズのまままったく動かない
これが今のエドの状態
 
真理の扉はサーバ。
サーバにアクセス出来なければ構築式があっても、エネルギーはあっても何も発動しない。
 
こんな状態なら納得がいくんじゃないだろうか?

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2010/09/06

ガンガン10月号表紙(ネタバレ)

早い処は早いようで、もう10月号の表紙が某所ではUpされちゃいましたようで。
表紙の情報によると、ソールイーターの再放送が決まったようですね。おめでとうございます。
久しぶりに、入江監督のOPを見ようかなっ(笑)。
  
そんでもって。表紙は思いっきり幼馴染ーず、でございますっ。
しかも、アルが杖をついています。時期限定可能じゃんっと思ったら。
さらに 

故郷に帰って来た3人を描いた待望の外伝掲載!!
えええ???? 
 
いや、嬉しいけど。
「描くなら東と西から~」とかあったから、そっち方面かと思っていたのに。でなきゃ完全に兄弟外か。
あまりウィンとの恋愛色濃くないといいなぁ(本音はそこかいっ!)。

 

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ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その7

存在意義という存在

荒川先生は、インタビューで「錬金術=エドの存在意義」という言い方をした。
もとい、そう受取れる文章だった、と言っておこう。
でも、本当にそうなのか?
錬金術は、エドの存在意義だったのか? 人間の「存在意義」ってそんなお軽いものなのか?
どうしてもここが引っかかっている。
 
荒川先生は「私からまんがをとりあげるようなもの」と例えていたけれど。
もしそうなったら確かに「漫画家 荒川弘」は存在しなくなる。でも。
「人間 荒川弘」がいなくなるわけじゃない。
農業学校出身で、昔、空手を習っていて、三国志が好きで、実家が農家で、2歳の子供がいて。
その、荒川弘(本当ならここで本名を書きたい処だが、残念ながら知らんので)という存在が消えるわけじゃないし、「荒川弘」に存在意義が無くなるわけじゃない。
 
わたくしごとで恐縮だけど。
フラメンコを長年やってます。プロではないけどお金を貰って踊ってます。
何年も舞踊団にあがれず、悔し泣きを繰り返し、先に舞踊団にあがった友人の靴にガラス片を入れたくなった時期もありました。
そのぐらい執着してやっと舞踊団の座に着きました。
にもかかわらず、今度は毎年のように病気による長期休養を言い渡されその度に泣いて。
百日咳、顎関節症ときて、今年のはじめはメニエール病。
聴力が極度に落ちて、耳鳴りがひどい、雑音ばかりで音が聞こえない。これじゃあ。
「アルの声が聞こえなくなるじゃないか!」(爆)と思ってしまったのも本当だけど(笑)。
フラメンコを踊る者としては本当に致命的で。
なんで自分はこんなにフラメンコの神様に嫌われなきゃいけないんだ? って八つ当たりして泣いて泣いて(おかげさまで、薬が効いて無事直りました)。
そのくらいには好きです。でも。
 
フラメンコが自分の存在意義だなんて、毛ほども思ったこと。ないんだよなぁ。
だってフラメンコがなくったってあたしはあたしだ。
 
話を戻す。
「錬金術」がエドの「存在意義」というのであれば、それを失ったエドに「存在意義」は無くなったのか?
エドは存在する必要の無い生き物になってしまったのか?
錬金術がなくてもエドはエドだ。それ以上でもそれ以下でもない。
ホーエンハイムという父親、トリシャという母親、アルフォンスという弟がいて。
左脚には幼馴染の作ってくれた機械鎧をつけている。
右肩には機械鎧だった頃の傷跡が残っている。
ケンカっぱやいくせに敵を殺せない。身内を傷つけられるのは苦手。
ロイ・マスタングやオリヴィエ・ミラ・アームストロングと渡り合える肝の太さを持っている。
カーティス夫妻を両親のように慕い、敵だったキメラやホムンクルスさえ味方にしてしまう懐の深さがある。
 
出会うきっかけは「錬金術師 エドワード・エルリック」だったからという人達もいる。
けれど、「出会い」が「付き合い」に繋がったのは「ただのエドワード・エルリック」という存在をみんな気に入ったからだ。
 
エドが「みんながいるさ」と言ったのはそういう意味じゃなかったのか?
だって「エドワード・エルリック」に「存在意義」がないわけ、ないじゃないか。
(上の文章を書きながら今、FA版の真理の扉の前で、エドの名を呼ぶみんなの声がうわっと頭の中を過ぎった。入江監督も、やっぱりそういう風に解釈したって事なんじゃないかなとかちょっと思ってみたり)
  
呼吸するように錬金術を使い、錬金術が万能だと信じ、錬金術無しでは生きていけない。錬金術があれば望みは全て叶うと。
それは「存在意義」ではなく「依存」と呼ばれるものなんじゃないだろうか?
 
スカーに右腕を壊されて錬金術を使えなくなった時だってエドは至極冷静だった。
別に困った様子もなかった。
なまじあの時の平気な様子をみているから。え? エドにとってそんなに大事なものだったの?? と思ってしまったのも否め無い。
 
ここで、もろ、こう、依存症のようなヤバイ状態を見せてくれていたら、すごく納得したろ……あ、あぁぁぁっ。
そうかっ。
だから、FAではあそこまでエドは立ち上がれないほど、いっそ不自然なほど、ショックを受けてたのか。
うわーっ、いきなり納得したよっ。
  
あぁぁぁぁぁもったいない。
原作でもあらかじめその答えがでていたなら、すげえいい伏線が色々貼れただろうに。 
  
「人は何かの犠牲なしに何も得ることは出来ない。
何かを得る為には同等の代価が必要となる。
それが錬金術の等価交換の原則だ
その頃ボクらはそれが世界の全てだと思っていた」
 
おなじみの、水島版アバンだ。
ならば荒川鋼はこうだろう?
 
「人は錬金術によって幸せになることが出来る
それが錬金術の存在意義だ
あの頃オレらは錬金術が世界の全てだと思っていた」

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2010/09/05

ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その6

ロジック・トリック
  
「単純な分かりやすさ」に重きを置くなら、こういうアプローチも可能だったんじゃないかな。
   
「オレはおまえ達が”世界”と呼ぶ存在 あるいは”宇宙”あるいは”神”あるいは”真理” あるいは”全” あるいは”一” そしてオレは”おまえ”だ」
真理はそう言った。
  
ならば、真理と真理の扉を失ったエドは、”世界”を”宇宙”を”神”を”真理”を”全”を ”一”を”おまえ”(=自分自身)を失ったのか?
  
失ってないよね。
世界は変わらずあるし、宇宙もある。”神”や、”全”や”一”は分からないけど、エド自身もいる。
  
じゃあエドは真理と真理の扉を失う事で、何を失ったのか。
 
真理 = ”世界”であり、”宇宙”であり、”神”であり、”真理”であり、”全”であり、 ”一”であり”おまえ”(=自分自身)だというのなら。
   
エドにとって、錬金術 = ”世界”であり、”宇宙”であり、”神”であり、”真理”であり、”全”であり、 ”一”であり”おまえ”(=自分自身)だった。

莫迦莫迦しい三段論法なんだけど。意外と抜け穴が見当たらない。
これも真理なんじゃないだろうか。
  
こんな風にだって表現することは出来たんじゃないか? そんな事を思った。
  

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2010/09/03

ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その5

とりあえず今日はここまで。まだまだ続く予定です。一応下書きは感想だけでその12までかな? 
あとは「ぱふ」のインタビューの感想とか、鋼全体の感想とかがちょこちょこあるので。そんなのも間あいだに入れていこうかな、と思ってます。

・価値観のレート

例えば、Aを貰ったからAを返す、としたとき。
相手はなけなしのお金でAを自分に与えてくれたのに、自分は自分にとってはした金でAを返したとして。
それは本当に対価なのか? それに例え1を加えたとしても、相手以上のものを渡したと、自分は胸を張って言えるだろうか?
 
等価交換を崩すとすれば、あたしはそこだと思っていた。
たしか新井素子の「ブラック・キャット」シリーズだったと思うのだけど(自信無い)。
 
人に1何かして貰ったら2倍感謝しろ、人に1何かをしてあげたら1/4程度の行為だと思え、そのくらいで丁度釣り合いがとれる、というような事が書かれていて。
これって真理(真理くんじゃないよ)だなって思ってる。
人は(もちろん自分も含め)他人にしてあげたことを過大評価し、して貰った事を過小評価しがちだから。
 
等価と思うかは、本人がそれを等価と受け止めるかなんだと思ってる。
自分が想像していた以上のものを貰えたと思えばいつだって満ち足り、自分はもっと貰えたはずだと思えば不満がでる。
よく言われる、砂漠の真ん中で半分入った水筒の水を「もう半分しか無い」と思うか「まだ半分もある」と思うか。その違いなんだ。
30年近く前、1ドル360円台だったのが今は80円台であるように。お金ですら時代によって等価なんて変わるもの。
だから何を「1」と捉えるか。
そこを落としどころにするのかと思っていた。
 
水島版の落としどころはそこにあったと思っている。
「いつだって代価は少し足りない」。ダンテは現状に満足せず、自分はもっと幸せになる権利があるはず、そう思った。
「会った人、見たもの。苦しみ努力し体験した全ての事、それがお前の代価じゃないのか」。エドがホーエンハイムの言葉に納得したのは、エドにとってこの旅で得たものが大切だと思えたからだ。
 
自分の想像と違っていたから、それは間違っている。別にそう言いたいわけじゃない。
荒川先生が描こうとしていたのも本当はそこだったんじゃないのか? そう言う話をしている。
 
荒川先生自ら「いらないもの」と言ってしまった。そこに問題がある。
人とは何か考えた9年 人気マンガ「鋼の錬金術師」完結
少なくとも私はこのインタビューを読むまで「いらないもの」とは解釈していなかったのに、自らエドのあの行為を貶める事を言ってしまった。
なんでそんな言葉を使ってしまったのだろう。もっと言葉を選んで欲しかった。
   
何故エドの錬金術はアルと等価に成り得たのか。
それは錬金術が「エドにとって」価値のあるものだったから、何故それじゃいけない?
  
錬金術なんて使えない人は、この世から錬金術が無くなっても困らない。
無くても人は生きていける。そういう意味ではその存在自体に大して意味は無い。
それこそ、錬金術自体に「存在意義」なんて無い。
そんな人達にとって錬金術の価値は0だ。
錬金術があったから命を取り留めたという意味では価値があったかもしれないが、そもそも錬金術がなければ魂をもっていかれる事すら無かっただろうから、プラマイゼロだろう。
せいぜいが、壊れたものを「国家錬金術師 エドワード・エルリック」に直して貰えて助かった人にとって多少の価値が見込める程度だ。
 
けれど、エドにとっては、錬金術とは、10であり100であり、無限に価値のあるものだった。
錬金術を使えば母親は喜んでくれた。
アルの魂を取り戻せたのも錬金術のおかげだった。
アルの身体を元に戻す情報を得るのに、国家錬金術師という資格は便利だった。
ガキが2人旅を続けていくのに、食べて寝て切符を買って、生きていく為の資金を保証してくれた。
機械鎧を武器に錬成することで敵を倒す事も出来た。
腹が減った時に鍋を作る事も、アルの鎧が壊れた時に直す事が出来たのも。
何をするにしても錬金術は大層役に立ってくれた。
 
ダブリスで、錬金術を使わず手でオモチャを直そうとするイズミに対し、エドにこそ「錬金術でやれば簡単なのに」と思わせるエピソードがあればよかったのになぁと思う。
そういった錬金術を手放せないエドの描写があれば、多少なりともこのシーンの印象は違ったんじゃないかな。
そんなことを思ってしまう。
  
「自分にとって」大切なものを差し出す。そこに意味がある。
本当に大切ならばそれがたとえ、石ころでも、そこらの空き缶でも(いやあの世界観に缶ジュースはないわな)本人にとって価値のあるものであれば、それは等価になり得たんじゃないのか?
 
そして。
自分にとっての宝物も、質屋に出せば二束三文で叩かれる、世の中そんなものだ。
自分にとっての価値=他人にとっての価値 じゃない。
それもまた真理だ。
 
「頼って、過信して、失敗しての繰り返し」。
そんな風に錬金術を否定的に書くから分かりづらくなる。
 
今までずっとこれに守られてきた。
アルの魂を取り戻せたのも、グラトニーの腹から戻ってこれたのも、鉄骨にぶち抜かれても生き延びる事が出来たのも、全部錬金術のおかげだった。
ありがとう。でも、もうおまえがいなくとも、オレは大丈夫だ。やっていけるよ。
そんな風に言ってくれたなら、もっと分かりやすくなったのになぁと思ってしまう。
 
「錬金術」を自分の身から切り離す事で、血が流れても喚きたくなるほどの痛みがあっても我慢出来る。
その痛みにこそ意味があるのだから。
それくらい自分にとって価値のあるものを渡さなければ、真理はアルとの対価だと認めてくれないだろう。
だからこそ、今は耐える。耐える価値のある痛みなんだ。
    
おそらくね。
落としどころはそこだったんだと思ってる。
  
  
余談です。
面白いなぁ。FAだってほとんど同じ流れ、同じ台詞だったのに全然印象が違うや。
あのBGM、扉の見せ方、エドの声の抑揚に賜物、なのかな。
あちらは、「真理にとって」錬金術が価値のあるものだとエドは分かっていて差し出した、あたしはそう解釈してる。
FAのエドは、真理が欲しているものを熟知し、そのうえで勝負に出た。
「おまえが欲しいのはこれなんだろ? それを代価にしてやるんだ。もちろん文句はないよな。さあアルを返しやがれっ」そんな風に見えた。
「錬金術」を自分の身から切り離す事で血は流れても死ぬほど痛くても。それがどうした? そう言える。こんな痛みはもう乗り越えてしまった。だからにやりと笑う事すら出来る。
FAのエドは、単純明快で豪胆で、強気な勝負師だった。
 
 
なんだか、うまい具合にそれぞれの、最後のナレーションとかぶるというか補足説明みたいな内容になったけど。
それってホント偶然だったりするから笑えます。
んでも、それってこの解釈が遠からずの位置にあるって事じゃないのかなぁ。だったらいいなぁ。

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ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その4

やっぱり悩むなぁ。こういう否定的な内容が受け入れられるものなのか(苦笑)。
色々書くつもりでいます。いい事も悪い事も両方とも。
  
では、その3から続きます。
  
・空気の読めない人

ホーエンハイムの「はじめて「親父」って言って貰えた」って喜ぶシーンもね。
感動的な、いいシーンになっている。
よくある、と言えばこの上なくよくある、オーソドックスでドラマティックな親子の和解シーン。
別にこれが、ただ単純に、エドが困っていた処へホーエンハイムが自分の命を差し出したのならそれは順当なストーリー展開だったと思う。思ってる。
一瞬。ホーエンハイム良かったね、と思いかけて、もやっとした。
 
その時は、アルファンにあるまじきことに(笑)実は、その理由が分からなかった。
そこまでは確かに完全にエドに感情移入して読んでいたの。
エドが泣き出す大コマ。そこまでは事細かくコマを思い出せるくらい好きなのに。
そこから先、盛り上がりに向けてまっすぐ上昇していたはずの感情が、どこか微妙によろよろとさ迷ってしまったのを覚えてる。
 
その理由に気づいたのはFAを見た時。
FAではホーエンハイムはただ「すまん」と謝り、トリシャの墓標ではじめて親父と呼んでもらえた事を報告する。
 
合点がいった。そうだよ。
アルの生死がかかっている今この時に、そんな事を喜んで破顔しちゃってたんだ、この親父は。
ホーエンハイムっ、あんた「お前たちが一番大事なんだ」って言わなかった??? 言ってた。言ってたのに。
 
急に、その台詞が空々しくなった。
 
「二人ぼっちで寂しかった」事を理解してくれた。
自分たちが「何より大事」と言って貰えた。
ずっとずっと。エドが欲しかった言葉だったと思う。
このシーンがすごく好き。エドより先にこっちが泣き出してしまった。
2人は1人ぼっちだったわけじゃない。
アルがいて、エドがいて、ウィンリィもばっちゃんも側にいる。なのに「寂しかった」。
1人ぼっちじゃないのに「寂しかった」。2人がずっと言えずにいた言葉だったと思う。
 
前にピナコが「叱ってあげなよ」と言ったけど、叱るよりこの言葉を言われた方がずっとエドには堪えたと思う。
あの時こんな風に言ってくれたら、きっと素直にごめんなさいと言えた、そんな言葉だったろうと思う。
 
だけど。何故今じゃなきゃいけなかったんだろう。
アルの生死がかかっているこの最中に、「親父」って言って貰えた事に何故ホーエンハイムは笑えたのだろう。
 
もう少し分かり易いシチュエーションで想像する。
あなたに2人の友人AとBがいる。
けれどAはBが自分に嘘を付いた事に腹を立て、最近は口をきかない日が続いてる。
3人で歩いていて、車に跳ねられてしまった自分。
Aは自分に駆け寄り、Bに119番に電話するよう叫ぶ。
そこでBが「やっと口をきいてくれた」とうるうるされたらどうする?
 
私ならさくっと殺したくなるね(爆)。
これは極論。でもホーエンハイムがやったのは同じ事だ。でも。でも、なんだよ。
 
繰り返す。
今だけアルの事に目を瞑って読んだなら、このページだけを切りとって読む分には、すごくいいシーンに仕上がっている。
それが悔しい。だからこそ、そこが問題なんだ。

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ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その3

もう最終回が掲載されてからこんなに時間が経っているのに。
実はまだ私は、自分の立ち位置が分かっていません。
あの最終回を肯定したいのか、否定したいのか。

人様の感想を読むにつけ、未だに。
「あ、ここにはこういう意味があったのか、すげー」と新しく気づく日もあれば。
「そうなんだよな、そこを私は読みたかったんだっ、くそー」と思う日もあるし、
「いやそんな事は私だって分かってる、けどさぁ」と反論したい日もある。
荒川先生のインタビューを読めば「それは作品中で語るべきだろっ」と嘆きたくなる日もある。
かと思えば、理由も書かずクソ発言してくれる記事とか読むとマジで叩いてやろうかとむかつくし(笑)。
毎日のように「鋼の錬金術師」と「荒川弘」をググって最新情報を調べ、
鋼に三行半を下す事が出来ないまま、
鋼から離れていくブロガー仲間の背中を見送る立場にいる。
 
なんで自分はまだココにいるんだろう? 自分でもホントの処良く分かってない。
「荒川先生のマンガ」にまだ引き付けられてるのか、もしかしたら「入江監督のFA」に引き付けられているだけなのかも?
ずっともやもやしたまんまです。
 
前にも書きましたが。
ストーリーの順番通りだったり、そうじゃなかったり。つらつらと思いついた事から書いていこうと思っています。
だから自分でも最終的にどう転ぶか分かってません。
 
ということで前置きが長くなりました。
以下、感想行きます。
 
 
・グリードなのかリンなのか
 
ある小説の新人賞の選評対談に出てきた言葉で気が付いた。
「ストレス無く読める」これだ。これが108話には無かったんだ。
 
例えば一例。
「来い ランファン」って、リンの台詞だと思っていた。
FAを見たらグリードでびっくりしたんだけど、同時に納得した。
確かにこの方がスムーズ。
 
初読の時の自分の思考がどんなだったか、ざっくりさらってみる。
 
グリードが別れを告げたあと。
お父様に腹を抉られたグリード=リンの大きめのコマが入る。
これが溜めの役割を果たしてしまった。
この姿に「自分は今どう動くべきか」リンが腹を決めようとしているんだと思ってしまった。
もう身内が自分の犠牲になるのは嫌だ、そんな気持ちを内包している絵なのだと。
そしてカッと目を見開き、グリードを死なせるものかっ。そう叫ぶ代わりに。
無理やり主導権を奪いリンは叫ぶ。「来い!ランファン」。
即座に反応しお父様の腕を断ち切るランファンに、この先の盛り上がりを感じていた。
「そう簡単に逝かせるかよ、一緒に戦おうっ」そんな言葉とともに戦闘開始になるかと思った。
 
ら、間に合わずグリードはすでにお父様側に渡った後だった。
しかも、リンはまだ魂状態。あれ? さっき主導権奪った、よねぇ???
さらにグリードの「上手く切り離せた?」
え??? リンを怒らせて、ランファンに切らせるよう誘導したって事???
何でそんな回りくどい事をする必要があったんだ?
リンに決心させる為? 
いやいやリンはあくまでもグリードを切り離すのではなく、お父様の腕を切り離す事でグリードを引き止めるつもりだったわけで。
なにがどうなったの?????
 
とまあこんな感じだった。
 
これが、グリードだったと気が付けば非常にすっきり。
グリードがランファンに腕を切らせたのは、自分を切り離すことでリンが引っ張られないようにし、自分はお父様の下へ入っただけ。
 
ただそれだけの話だったのに、リンだって頭から決め付けて読んでいたものだからすっかり混乱。
しかも、命令の意味する処が即伝わる「リンとランファンの主従関係カッコいい」とかまで思ってしまったのだから。いやはやっ。
読解力ねぇなぁ、と言うしかない。
 
ただ、これが自分だけなら「いやー、実は読み違えちまってさぁ」とネタにした処なのだけど。
 
感想を読むと意外にリンだと思って読んでいた人は多いようで。
いや勿論、「あれはグリードだ」と書いてた方もいますよっ。それは否定しない。
でも明確さに欠けていたのは確かだろう。
 
現にグリードだと気づいた理由にあげてるのが。
・ランファンとリンとの会話なのに台詞が横書きじゃないこと
・縦書きだけど訛りがないこと
・目にトーンが貼ってあること
だそうで。そもそも、理由をあげて感想を書いている時点で、グリードかリンか迷った事の証明になってしまっているわけで。
著者の意図が万人に伝わり易いものでは無かった事は否めない。
 
「二度読んで分かるように描いています」
荒川先生の言うそれが、あくまでも一読目で本筋をすべて理解し、ニ読目でプラスアルファを楽しめる。
という意図であるならば、勿論それはこちらとしても願ったり叶ったりだ。
 
けれどこれでは、二度読まないと本筋すら理解出来ない構成になっていないか?
もし意図的にやっているのであれば「少年マンガの対象である小中学生が読んでも理解出来るものを」という趣旨に反してないか? と疑問に思う。
もし意図に反してそういう結果になっているというのならば、コミックス収録時の修正をお願いしたいところだ。

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2010/09/02

週刊新マンガ日本史

前に発売されていた「週刊マンガ日本史」の続編だそうですが。
「週刊新マンガ日本史」の35号を荒川先生が描かれるそうですよ。
 
和月伸宏、二ノ宮知子ら偉人描く「週刊新マンガ日本史」
 
1号:ヤマトタケル(和月伸宏)
2号:仁徳天皇(赤名修)
3号:蘇我馬子(館尾冽)
4号:額田王(二ノ宮知子)
6号:阿倍仲麻呂(朱鱶マサムネ)
7号:坂上田村麻呂(細雪純)
10号:安倍晴明(さらちよみ)
11号:木曾義仲(霜月かいり)
12号:北条政子(シヒラ竜也)
14号:親鸞(吉田聡)
15号:楠木正成(みなもと悠)
16号:吉田兼好(ふる鳥弥生)
20号:上杉謙信(山田孝太郎)
23号:細川ガラシャ(天乃咲哉)
24号:伊達政宗(清水栄一/下口智裕)
25号:黒田官兵衛(池上遼一)
27号:出雲阿国(垣野内成美)
30号:天草四郎(草場道輝)
35号:雷電為右衛門(荒川弘)
36号:吉田松陰(細野不二彦)
37号:高杉晋作(高橋ツトム)
40号:篤姫(池田理代子)
43号:夏目漱石(杉基イクラ)
45号:津田梅子(美樹本晴彦)
47号:南方熊楠(アントンシク)
49号:山本五十六(Ark-Performance)
50号:白洲次郎(大暮維人)
 
画像を拡大してみるとこんな感じ。表紙絵かな?
 
すでにあちらこちらで「やっぱりマッチョ来たか」とか書かれてる(笑)。
 
そんなん知らんわ。誰? という方の為に。
雷電爲右エ門 wikpedia  江戸時代の力士、だそうです。
 
普通女性マンガ家にこの人は振らないだろ、普通ー。
しかしきっと、荒川先生の事だから喜んで受けたと思われ。
っていうか。
まさか自分から「この人なら描きたい」と申告出来るわけは無いと思うんですけど。
歴史の教科書に出ていそうな偉人が多い中で、何だか氏だけ浮いているような気がするのは……。
 
ええ、きっとわたしの気のせいでしょう(笑)。

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鋼の最終話のとある台詞が盗用されたそうです(ネタバレあり)

まさかの時事ニュースで(インタビューとかではなく!)コミックス未収録分のネタバレがされてしまいましたよ。
鋼の最終話の台詞が、岩手のコンテスト応募作として盗用されたそうです。
ニュースですから、勿論ネタバレに関する注意書きなんぞありません。
現状でも「鋼の錬金術師」で期間を限定してググると普通に引っかかります。
うっかりネットで地雷を踏んでしまった方、新聞で読んでしまった方ご愁傷さまです。
 
ということで。以下コミックス27巻待ちの方は回れ右でお願いします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最優秀作、実は引用 岩手町・プロポーズの言葉
以下、引用です。
 
 岩手町教委は30日、石神の丘で愛を誓う「プロポーズの言葉コンテスト」で最優秀賞に選んだ作品が漫画から引用されたせりふだったとして、再審査することを決めた。
 
 問題のせりふは「俺の人生半分やるからお前の人生半分くれ」。人気漫画「鋼(はがね)の錬金術師」の最終回に出てくるせりふと同じという。
 
 町教委は30日に入賞作品を発表し、同日昼にラジオで紹介されたが、リスナーから指摘があり発覚した。応募者からも同日、引用を認める報告があった。作品を失格とし、31日に再審査する。
 
 コンテストは「これからプロポーズ」と「これで決めました」の2部門。漫画の引用があった「これから」部門には県内41人から応募があり、脚本家の内館牧子さんらが審査した。最優秀賞には、賞品として旅行券10万円相当が贈られる。
 
  
  
6月に掲載、7月にアニメ化、再掲載号現在発売中のものパクったらバレるに決まってるだろうに。
ローカルなコンテンストだからバレないと思ったんだろか?
コミックス累計4500万部超えのマンガを捉まえてそれは無理ってもんだろう。
それとも何か?
プロポーズに便乗して「鋼好き好き大好きっ」っていう鋼へのプロポーズのつもりでしたってオチなのか????
  
てな感じの記事を下書き保存している間に、yahooニュースにまでなってました。
プロポーズ最優秀受賞作、実は漫画から盗作
 
"中学校の男子生徒(14)が応募"。こりゃ勘ぐるまでもないか? 
冗談半分で応募したって感じですかね。
 
今回の最大の被害者はコンテスト主催側より、27巻を待っているコミックス派だと思うよ。
 

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