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マルチタスクの必要性、あるいは閉塞からの脱却(ネタバレあり)

当時、會川さんが、小野不由美を天才と言い、なぜ荒川弘を天才と言わないのか、それがとてつもなく不満だった時期がある。
だけど今、それを納得してしまっている自分がいる事は、やっぱりちょっと辛い。 
    
なぜ自分はあの最終話の中でこうも納得出来ない箇所が多いのか。
   
ブログなどで「すごくよかった、感動した、ありがとう」などなど大満足の記事を読むと、純粋にうらやましいなぁと思うし、私もああなりたかったなぁと思う。
     
同じように賛否両論のあった「吼えペン」の最終話が、実は出版社側の圧力によって急遽差し替えられたものだったと知り、そのボツになった幻の最終話を読んだ時あまりの島本節炸裂の面白さに、つい思ってしまった。
    
「鋼も実は上から圧力がかかって総ボツになった幻の最終話がある、とかだったらいいのになぁ」
りほさん、それドリーム入り過ぎですってばっ(爆)。
 
  
いいシーンは確かにある。それは認めている。
だけど、なぜ自分はあの最終話に感動出来なかったのか。
結局ずっとそれを書き散らす形になってしまった。
         
「マンガ夜話」では「すでに出来上がった絵」と言われていた荒川先生の絵。でも。
デビュー前の同人誌を見れば、ペンを持った時から出来上がった絵を描いていた人ではなかった事が分かる。
努力して、描いて描いて描き倒して、今の絵を手に入れた人だ。
 
ならば同じように最終話を、描いて描いて描き倒していれば…。
多少なりとも違っていたのかな?
  
デビューして10年と言えばもう新人とは言えない。
けれど、それだけマンガ家をやっていても、彼女には最終話を描くというスキルが絶望的に足りていない。
荒川作品の中で鋼以外に、1話完結していない作品て、前後編で描いた「上海~」くらいじゃないのか?(「RAIDEN」は読み切り連作。「獣」はストーリーは別の人なので除外)
おそらく同期のマンガ家でここまで物語を畳むこと無く過ごしてきたマンガ家は本当に少いと思う。
    
最初から最後まで一気に描ききるのと、一度大きく開いた物語を閉じるのとでは、そのペース配分や、ページ配分はやっぱり違うだろう。
    
もし鋼の最終話がデビュー初ではなく、短期集中や1年単位の連載を鋼の合間にいくつかこなした後に描かれたものだったなら、多少なりとも違うものになっていたんじゃないだろうか?
 
 
 
どういう最終話だったら自分は納得しただろうか。
テクニカル面、ロジック面について、ひとつひとつ気になった点を検証し。何が自分の中で引っかかっていたのかその問題点、作品内における矛盾点などをより具体的に洗い出してきた。
 
おそらくそれらは、もっと練り込む時間、担当と相談する時間さえあれば多少なりとも改善されたものだったと思ってる(願わくば最終話からコミックス発売までのこの期間が、加筆修正にあてがわれていますように)。
  
でも本当にそれだけなのか。
 
水島版のOPもEDも荒川鋼にそぐわなくなるくらい世界観が変わっていって。
完全に分岐したのだな、と感慨深いものがあって、どう転ぶのかワクワクして。
確かにそれを望んでいたはずなのに。
  
なのに何故、水島版の終わり方は良かったなぁと思ってしまったのか。
FA63話で事実上物語を締め、64話を後日談として扱った事に「よくぞやってくれた」と喝采をあげてしまったのか。
  
107話を読んだとき、確かにみんなの幸せな様子が見たいと思ったはずなのに。
どうして、こんなにも鋼にカタルシスを求めてしまうのか。 
  
今まで、描いてきた外伝を思い返す。
「盲目の錬金術師」
「師匠物語」
「長い夜」
「シンプルな人々」
「それもまた彼の戦場」 
「おまけのエルリック家」
 
ギャグテイストの「師匠物語」は置くとして。
それ以外に共通して言える事は。
物語の終わりは総じてハーフビター、セミスイートなものが多いということ。
「今は暗くともきっとその先には……」そう思わせるものが多い、かな。 
   
「おまけのエルリック家」のように終始ほっこりした物語もあるけれど。その何年後かには…と思ってしまうと、それだけで余韻に重さが生まれた。
  
    
ダークファンタジー。そのキャッチコピーが的を射ていたかどうかは別として。
ギャグテイストはあっても、鋼の根底は後悔や苦悩の物語だった。
母親の笑顔がもう一度見たくて、腕と脚、身体の全てを失った子供が、涙の代わりに血を流す。
いつも眉間に皺を寄せ満面の笑みの少ないエドと、表情の無い鎧のアル。
閉鎖的な依存した絆。
シンが出てきて世界が広がるまでは、特にその傾向は顕著で。
やっぱりその第一印象があるんだと思う。
「鋼の錬金術師」のテイストは、「鋼の錬金術師」という物語は、「そういうものなんだ」って。
そして、私はそこに惚れて、惚れ込んでファンになったんだ。
  
ダークファンタジーというより、むしろGOTHのニュアンスか。
孫引きになるが、GOTHについてこんな風に説明された文がある。
「光より闇が気になる、正統より異端、体制より反体制、反時代、(略) ホラー・怪奇・残酷さなどに強く反応する、自分を異形と感じる」といった傾向にゴスのスピリットがある」(ミステリーズ! 43号 原作と映像の交叉光線 千街晶之)
 
闇、異端、反体制。合致とは言わないけれど頷けるキーワードはあるだろう。
なのに、キャラクターは馬鹿が付くほど熱いのだから笑ってしまう。
そのちぐはぐな危なっかしいアンバランスさに魅了された。
話が進むにつれて、物語は健全さを取り戻していった。
それが頼もしくもあり寂しくもあった。
物語が進むことは、閉塞からの解放を意味した。
主人公には徐々に仲間が増え人として成長し、フィナーレは閉塞からの完全な脱却の瞬間。
そう思っていた。 
  
ところが。それよりも先に「熱さ」が消えた。
そして閉塞から解放された後もまだ物語は終わらず。
大団円という後日談がついた。
そこには、私がはじめて「鋼の錬金術師」を読んだ時に感じいり惚れ込み魅了したものはなかった。
皆無とは言わない。
けれど、やっぱり。
アップルパイも520センズも、一切の伏線を回収するつもりのない後日談を見せられてもなぁ~。
 
 
私を魅了した「鋼の錬金術師」像から想像していたのは、おそらくこんな結末だったんだ。
 
先の見えない暗闇をずっと走り続けてやっと光が見えてくる。
笑いあって光に向かって走り出し闇を抜け出す。
今はまだ幸福とは言えなくとも、その先に幸福は見えている。
幸福になれると思った瞬間、もしかしたら横っ面をひっぱたかれるような何かが起こるかもしれない。それは分からない。
けれど、それすらも今はまだ見えない。
だから今は幸せ。
きっと彼らは幸せになれる。
 
そう信じながら本を閉じ、彼らの未来に思いを馳せる。

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コメント

まずはコメントレス。反論、というか返しの意見もちょっとはあるんですけど、何度もレスしていいものかと思ったので自粛します(笑)

なんと! 小野不由美さんと比較がされてたんですか!
十二国記は大好きですよ(続きは半ば諦めてますが) その記事は読んでみたいですね。

こないだの「喧嘩を売る人」の記事を読んで、思ったこともあるのでそれも書きます。
よく「初期のハガレンの雰囲気が好きだった」という意見を見かけて、でもそれが自分にはよく分からなかったのですが、りほさんの記事を読んで、はっきりと初期とそれ以降の方向性の違いを認識しました。
初期は確かに、人間の業と足掻きを書いていて、当時の自分もおそらくそこに衝撃を受けたはずです。
一方後期の印象はしごくシンプル、「王道の少年マンガ」です。あえてどちらが上とは言いませんが、両方好きなので
「初期がよかった」という読者は、王道じゃ物足りない、もっと踏み込んだものを好む読者だったのかなと。

物語を完結させ、最終的な印象を決定付けるのが最終回です。その最終回に納得できなかった以上、りほさんの複雑な気持ちも当然でしょうね。持論ですが、最も傑作となり得る最終回は「希望や救いのあるバッドエンド」です。その次が「順当な大団円、ハッピーエンド」、ハガレンはこれですね。確かに肯定派の私としてもハガレンの最終回は無難という印象が強いです。軟着陸させることも簡単じゃないんですけどね。思いいれはあるし、大好きだけど傑作じゃない、そんな感じです。

なんか着地点を見失ってしまいました(笑)
とにかく私がハガレンの何がそんなにいいのか、と聞かれたら「最終回」でなく「それまでの過程」と答えます。
本当の傑作だったら、迷わず「最終回、またはラスト」と答えます。
多分、これが私なりのハガレンの総括でしょうね。

>ぽんずさま
レス早っ。ありがとうございます(笑)。
ホント、レスをお待たせして済みませんでした。

「返しの意見」ですか? 別に構いませんのでどうぞーっ。
レスポンスが悪くて申し訳ないんですが(でもでも、もうアップ予定の記事は残り少ないはずっ)。
ぽんずさまさえよろしければお待ちしてますっ。
最近、20云年前(笑)に読んだマンガの最後の主人公の行動の意味が今になってやっと分かって。
あれはすごいハッピーエンドだったんだと。
そんな事もあるのでね。
まだ自分は読みが足りていないんじゃないかと。
色々人の意見を聞いてみたいんですよ。
 
>なんと! 小野不由美さんと比較がされてたんですか!
うわ、ごめんなさい。そういう意味では無かったんです。
十二国の脚本集だったかに會川さんが、小野主上を天才と書かれていたのは本当ですが。
(確か、十二国の世界観について質問すると淀みなく答えが返って来た事を差して言っていたのだと思います)
比較という意味ではなく。
鋼のインタビューその他諸々で會川さんはとうとう荒川先生の事を一度も天才とは言わなかった、という意味です。

>「初期がよかった」という読者は、王道じゃ物足りない、もっと踏み込んだものを好む読者だったのかなと。
そうかもしれませんね。「バクマン」で言う処の「邪道」かな。
ただ「王道ではない」のではなく、「王道」をベースにしつつプラスアルファの要素を組み込んでいましたよね。
新人が、自分のやりたい要素を詰め込み過ぎて話を分かりづらくしてしまうのは良くあることですが。
とこらが鋼ではそれが上手く機能していた。
そういう意味でもその構成力は新人離れの実力の持ち主だったと思うのですが。

>とにかく私がハガレンの何がそんなにいいのか、と聞かれたら「最終回」でなく「それまでの過程」と答えます。
うん。それは私も同じですね。
どれだけ鋼に対する点が辛くなっても。
昔の巻をひっくり返すと、やっぱり今でも面白いなぁって思いますもん。

どうも、ぽんずです。
ではお言葉に甘えて、ちょっとだけ書かせてもらいます。
前のコメントを書いてから時間が経っているので(他意はないですよ!)一貫性がないじゃないかと思われるかもしれませんが、ご容赦下さい。実は、錬金術はアルの対価、という認識を改めました。錬金術は、あくまで真理の扉を通るための通行料に過ぎない、でいいんですよね、多分。

まず、「踊らされた」のくだり。私はあの言葉にかかっていたのは錬金術ではなく、「真理」や「等価交換」だったと解釈しています。同じだよ、と思われるかもしれませんが。
「踊らされた」というのはつまり、「真理」を見たことでより一層「等価交換」に縛られてしまった。視野を狭めてしまったということだと思います。真理を見ていない人間(ウインリィ等)は容易く等価交換を超えてしまう。逆説的に言えば、兄弟が等価交換の先を見据えた(新たな等価交換)時に、今まで気を取られていた内面の真理ではなくもっと普遍的な、世界の真理みたいなもの(一人一人に真理の扉が存在するなら、一に対する全である世界にも真理はある、という解釈です)に目を向けることができるようになったんじゃないかと。で、今までは内面の真理に振り回されていたけど、もっと大きな物に気づくことができた。だからもう必要ない。錬金術が無くなったのはあくまで副次的なものに過ぎないんじゃないでしょうか。

なんか論点がずれてる上に、見直すと意味不明なような(笑)そもそも「頼って」だから錬金術じゃないとおかしい気も……。

「あきらめろ」云々は、確かにヒューズ事件の顛末を知った後だったら、あきらめろと言わないでくれなければ前に進めなかったかもしれませんね。なんか急に納得しました。

あと、小野不由美先生についても。
彼女が天才と称されたのは、自分の作った世界観を完璧に把握しているから、ですか。
確かに、優れたファンタジーは世界観が完成されているのを感じますね。「風の谷のナウシカ」然り。
その点で、やっぱりハガレンはB級漫画なのかなと。練られているのは確かだし、キャラクターがそこで生活しているのを感じることはできる。でも何かが足りない。もっとも、肝心の「何か」はまだ考え中ですが(笑)
「そもそもB級ってなんだー」と悶えてるのが今の私の現状です。

>ぽんずさま
予告通りすっかり遅くなってしまいました。すみません。
そして長いです。ごめんなさいっ。
  
    
>(一人一人に真理の扉が存在するなら、一に対する全である世界にも真理はある、という解釈です)
 
これの解釈が難しいー。もう少し詳細が知りたいっ。
自分の考えと混ぜちゃいますけど。こんな感じでしょうか?
 
エド達が見た「真理の扉」には錬金術しか内包されていない。
それは所詮世界の「真理」のほんの一部でしかなく、全体の「真理」から見据えた時、そこに「虚偽」があるわけではないが「錬金術の場合」という前提条件によってのみその「真理」は語られている(ゆえに「等価交換」に特化した考えに偏っている?)。
だから今まで「真理」の中から「真理(=世の中)」を見ていたのを、一歩引きマクロな目で「真理(=世の中)」を外側から見られるようになり、より色んなものが見えるようになった。
 
解釈あっていますか? 
間違っていたらごめんなさい。ご指摘願います。
とりあえずこれを前提に話を続けるとして。

成る程なぁと思いました。というか、エド達が見た「真理」は錬金術についての真理のみってのは自分でもどこかに書いていたので、すんなり納得なのですが。
 
問題はこれを前提にしてエドがアルとの交換に真理の扉を差し出したとなると。
やっぱりもう必要ないものとアルを引き換えにした、となってしまうのが個人的には、うむむむむ……。
これはあくまでも結果論(扉から戻って来てからそれが理解出来たとかそういう話)だったと思いたいなぁという願望が(笑)。
 
 
>「踊らされた」のくだり。私はあの言葉にかかっていたのは錬金術ではなく、「真理」や「等価交換」だったと解釈しています。
 
うん。それは理解、理解。
錬金術に罪があるのではなく。それを使う側の発想に問題があったって事ですよね。
「真理」を見た事で「錬金術とは、世界とはかくあるべき」という法則を自ら設けてしまっていた。
その法則に自ら踊らされてしまったって事ですよね。
 
 
>錬金術が無くなったのはあくまで副次的なもの
 
今までは電卓で1つ1つボタンで入力して計算していたのだけど、PCを手に入れてソフトを使う事で数字を入力する必要すらなく計算結果を出せるようになった。
それは、PCの電卓機能を使うのではなく、まったく別のアプローチ(マクロとかJavaScriptとか?)によって同じ結果を出せるものを手に入れた。
錬金術そのものを理解し、分解し、再構築したものを内包した「上位の真理」をエドは手に入れた。
錬金術は失ったのではなく、他のものと一緒に融合された。
そんな感じでしょうか?
 
こう書くとすごく恰好良くて私好み(*^_^*)だったりするんですが。
 
エドが手に入れたのはPCではなく、計算式を書く為の紙とペンっていう気が私はしますが、いかがでしょう?
 
例えば現実世界を顧みて、色んな事が便利になった反面、人間がそのシステムに合わせて動かなければいけない事ってありますよね。
携帯メールなんてその最たるものだと思っているんですが。
 
もともとメールが開発された時点ではメールの利点は、電話と違い自分の都合のいい時間に読み、自分の都合のいい時間に送信出来る事だったはずなんですが。
今はメールが来たらすぐ返さないといけない強迫観念めいたものがあり、人間の方が振り回されていますよね。
じゃあ携帯を廃棄してしまえばいいのか? 個人的には別にそれでも全然構わないんですが(笑)。やっぱりそれだと非常時には不便です。
一番いいのは隣りにいる友人に携帯を使って貰い、自分は非携帯ってのが楽チンなんですが(笑)。
 
これを「携帯=錬金術」、「携帯ありきの今の社会=真理」と捉えてみるとどうでしょうか。
 
エドもそんな感じで、錬金術はアルが持っているから別に自分は無くてもいいやっていう状態なんじゃないかなぁ、と。
 
携帯がないなら公衆電話を探せばいいし、駅によってはまだ伝言板が残っている場所もある。誰かに言伝を頼んだり、構内アナウンスをお願いするとか。
どうしても必要なら、そこらの人に頼んで借りる事だって出来ます(実は経験者・笑)
あとは非常事態に備えた行動(遅刻をしないよう余裕をもって動く、何分以上遅れたら先に行くよう決めておく、何かあった場合の連絡方法をあらかじめ決めておくetc.)を取る。
   
原始的ではあってもアプローチ方法はいくらでもあります。
物心ついた頃から携帯所持が当たり前の世代からは、携帯がある状態が世の中の法則であり、無い状態なんて想像も出来ないし、無い状態を怖いと認識するかもしれない。
けれど、一歩引いて50年前くらいまでのスパンで世の中を見る事が出来たなら、携帯なんてなくても成立していた社会があることを認識する事が出来る。
 
錬金術も同じです。
別にその利便性を否定したいわけじゃない。
ただ自分は「錬金術を持っている事」で振り回されアルも一緒に振り回してしまった。
だけどアル1人ならきっとその法則に振り回されることなく、上手く錬金術と折り合いを付けていけるだろう。
錬金術を持っていない自分がそばにいる事でアルが振り回される前に、客観的な判断が出来る事があるかもしれない。
そんな感じなんじゃないかなぁ。
 
ちょっと色々願望込みっ。
こう考えると「いらないから」ではなく、「自分には過ぎたものだから」って感じになるので(笑)。
 
こう考えた場合、エドは何を対価にした事になるんでしょうね。
「アイデンティティ」ともやっぱり違う。
私が記事に書いた「依存」とも違う。
身に纏っていたもの。習慣、常識、定義、法則。
うーん。やっぱりそのまま「真理」って言葉がぴたりとはまりそうですね。
 
 
>そもそも「頼って」だから錬金術じゃないとおかしい気も……。
 
「錬金術を頼り、踊らされる状況」=「真理により得た知識から導きだされた最適な状況」
と考えれば筋は通りますよん♪
 
 
>彼女が天才と称されたのは、自分の作った世界観を完璧に把握しているから、ですか。
 
何せ立ち読みだったので(笑)、記憶が不確かなんですが。
確か、地形や気候などから、どんな商業が栄えているかなどまでこと細かく作りこまれていたという話の流れからだったような記憶があるので、その部分を差していたと思います。 
 
 
>練られているのは確かだし、キャラクターがそこで生活しているのを感じることはできる。でも何かが足りない。もっとも、肝心の「何か」はまだ考え中ですが(笑)
 
答えが出ましたらお知らせ下さい。お待ちしていますね(笑)。
  

えっと、まず「個の真理」「世界の真理」から
「風の谷のナウシカ」を読み返していて結構鋼のテーマに通ずる所があったので思いついた考えです。
ナウシカにも鋼の「全は一、一は全」に対応する「全は個、個は全」という思想がありました。それに関連して「生命はどんなに小さくとも外なる宇宙を内なる宇宙に持つ」というセリフがありました。多分元ネタはなんかの宗教の思想でしょう。
 宇宙を真理の扉に当てはめると、誰にでも真理の扉はあり、同時に世界の真理を知る可能性を秘めている。
 その世界の真理を内なる真理の扉を介して知ろうとしたのが錬金術師、つまりエドだった。
 どこかのサイトの記事で見たのですが、真理の扉を見ることで等価交換の法則に縛られることが人体錬成の罰であるという意見がありました。
 エドは真理の扉に踊らされて、錬金術の観点から物事を見るようになった。でも本当はウィンリイのように真理の扉など見ずとも真理を知ることができる。なぜから生命は内なる真理に外なる真理を持ってるから。
 こんな解釈です……って、りほさんの方が簡潔に書かれてますね(笑)前置き長いですがここから本題です。

>エドが手に入れたのはPCではなく、計算式を書く為の紙とペンっていう気が私はしますが、いかがでしょう?
デジタルからアナログへの移行ですよね(笑)錬金術でぱっと治せた屋根も自分の手で修理する破目になって。
少なくともそれ自体は進化じゃないですよね。手法としては劣っていますし。
錬金術はあると便利。でも他の手段で代用できる。こう書くと「いらないもの」にも説得力が出る…かな? ここにきて錬金術の利便性がネックに…。

エドが対価にしたのは何か?
仮に「真理の扉」がもはやいらないものだったとして、それだったら決してエドにとっては犠牲とは言い切れませんよね? そうだとすると、「人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない」を作中で自ら否定してることになりませんか? 「犠牲」の部分に納得が行ってない身からすると、むしろそれでいい気もしますが。

鋼に足りない何か
すいませんこれも長くなります。一応答えらしきものは出ました。
あの最終回に欠けていたのは、「人間のエゴとその自覚」です。
すでに他所ブログ様の所で書いた意見なのですが、人間の負の部分が最終的に全部ホムンクルス達に行ってしまったように思えました。七つの罪は元々人間のものなのに。
正しい資質はもちろんとして、負の部分あってこその人間ですよね。だからエンヴィーの最期に人間味を感じたのだし、荒川先生だってそれを否定してなかったはず。
今思うと、最終回ではそれがすっぽりと抜け落ちてしまったような気がします。そう考えると、随分前からりほさんが言っていたマルコーさんの言動の違和感にも納得が行きました。それは確かにエゴだったけど、自覚は感じられなかった。アニメ版では「自分のエゴ」と明言してましたね。
鋼は間違いなく清濁混ぜ合わさった「人間」が書けていた漫画だった。でも最終回で、一番肝心な所で「人間」が「キャラクター」になってしまった。
長々と書きましたが、「喧嘩を売る人」でりほさんが既に書かれてますね。いやはやさすがです。

最後は丸く収まった作品だし、風呂敷を畳み込んだことはもちろん評価されて然るべきだけど、それぞれのキャラの結末は前にも書きましたが予定調和です。昔話のめでたしめでたし。それは全部が上手い方向に進んだことが明示されてしまったから。なんか以前書いた後日談の見解が引っくり返ってしまった…。
例えば後日談がなかったとしたら、予定調和という印象もなかったのかな。りほさんが以前後日談は無しでいいと言ったのは、そういうことですか?

って、なっげえええええええええ!?(笑)
書き終わってみたらこんなことに(汗)では失礼します

こんにちわ!私も鋼が大好きなのでお二人の考察のやり取りを興味深く拝見いたしました。
りほさま、手前の解釈では「真理の扉」は人知の結集である「錬金術の力」を秘めたものだけではなく、個体の誕生から成長、繁殖、生命活動の維持に必要なシステムが内包されためっちゃ重要なものであると考えております。ニーサンは知ってか知らずか取りあえずそれを真理君にささげて誰よりも大事な弟を連れ戻した…但し左足は置いてきたから死なずに済んだ。こんな解釈もなかなか浪漫チックでしょ?

>ぽんずさま
>「生命はどんなに小さくとも外なる宇宙を内なる宇宙に持つ」というセリフがありました。多分元ネタはなんかの宗教の思想でしょう。
   
ナウシカのマンガは途中までしか読んでいないので詳細は分かりませんが。
出典は、万物照応論あたりかな。
「最大なる世界(マクロコスモス)は最小なる世界(ミクロコスモス)と影響しあい相似する」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CB%FC%CA%AA%BE%C8%B1%FE
ヘルメス主義の原理とされる、エメラルド・タブレットの中に。
「下にあるものは上にあるものに似ており、上にあるものは下にあるものに似ている。」から来ているのだとか、なんとか。
確かに、鋼というか、錬金術に通じるものがありそうですね。
 
 
> >どこかのサイトの記事で見たのですが、真理の扉を見ることで等価交換の法則に縛られることが人体錬成の罰であるという意見がありました。
 
なるほど。それは面白い解釈ですね。
エドの手足やアルの身体は、あくまでも通行料であってそれ以上の意味を持たない。
ならばそれは罪に対する罰には値しない。
あ、その場合は「人体錬成」とういより、「真理の扉を見る事」イコール、文字通り「神の領域に踏み込む事」が罪に値する、という事になるのかな。


>でも本当はウィンリイのように真理の扉など見ずとも真理を知ることができる。なぜから生命は内なる真理に外なる真理を持ってるから。
 
あ゛ーーーーーー、そうですよねぇ。
ならそれはウィンリィ1人に背負わせるべきではなかったような気がします。
オリヴィエが1のものから1しか得られないなんてクソくらえと豪語したり、アルが何故2択じゃないとダメなのと言ったり。それこそトリシャやホーエンハイムの無償の愛とか。
最後にそういったものをもう一度前面に押し出していれば、もっとこう違う印象が持てたかもしれないのに。
でも、最後には結局、あの文章はあくまでも世界は等価交換で回っている事を前提として語っているんですよね。
やっぱりもう少し、先生には今まで自分が描いてきたものを把握して貰った上で描いて欲しかったなぁ。
 
 
>少なくともそれ自体は進化じゃないですよね。手法としては劣っていますし。
 
例えば「核」が科学の進化によって得たものであっても。
それに人間が振り回されるくらいなら、手法は劣っても、銃や刀や弓矢の方が人死には少なくて済みます。
たとえ進化した先に得たものであっても、それが害なすものであれば、それを見極める目と切り捨てる強い意志がなければいけない。
あ、鋼の心に繋がった?(爆)
ただ、それを犠牲ととるかは確かに微妙ですね。
やっぱりもう少し、先生には(ry
 
 
>あの最終回に欠けていたのは、「人間のエゴとその自覚」です。
なるほどなぁ。
そうなると、FAでホーエンハイムが「お前は俺から生まれたんだよな」という台詞に私がすごく安堵したのも納得がいきますね。あれはホーエンハイムのエゴの自覚だった。
でも実は、ぽんずさん風に言うとエド(FA版)だけが「自覚」していないって辺りの記事が書けたらいいなぁとかちょっと思考を巡らせていたところなんでが。
うわー、ちょっと記事を膨らませる事が出来そうです。ありがとうございます。
 
 
>例えば後日談がなかったとしたら、予定調和という印象もなかったのかな。りほさんが以前後日談は無しでいいと言ったのは、そういうことですか?
 
言われてみるとそういう向きもあるかもしれないかな、ですね。
あまり「予定調和」という言葉で意識したことはないんですが。
もう少し感情論寄りかも(笑)。
例えば、発売されたばかりのカレンダーの書き下ろしイラストですが。もうご覧になられましたか? 書棚の前にいるエドや、砂漠超えの写真は好きなんですが(アルと一緒には行かなかったくせにーっとは思うけど。いやきっとエドの隣りにはアルがいるんだっ・笑)、大きな魚をバックにした写真は私あまり好きではないんです。
「アメストリスには無い海を体験した」絵を描きたいというのは分かるんですが。それこそ始めて海を見た表情とか、魚を釣り上げようと必死になっている処でもいい。「今、これから」何かを得ようとしている絵が見たかった。
後日談もそれと同じ事なんだと思います。
未来に何かを成した姿ではなく、未来に何が出来るか、何が起こるか分からないそのワクワクドキドキをキャラクターと一緒に味わいたいんだと思います。
だって。彼らの未来が「作者の引いたレールの上だけの人生」だなんて詰まらなくないですか?(笑)

>もみじさま
>こんな解釈もなかなか浪漫チックでしょ?
えええ?? 左足を置いて来なかったら、兄さん死んでいたんですか?
そ、そ、そ、それは浪漫チックというよりむしろ「死ぬかと思った」(アスペクト)に収録出来そうなネタな気が(爆)。
 
真理がDNAじゃないか、というのは私も記事に書いた事があります。
「人間しか持っていない(=ホムンクルスに繁殖機能はない)」という点でも以外としっくりくるんですよね。
だけど「なくても大丈夫」とは言えない代物なのがネックで最終的には却下してしまったんですが。
その説を進めるとそうなるんですねぇ。一歩間違えると、エドは種無(げふごふっ)。
 
冗談はさておき。
人ではなく、錬金術の誕生や歴史というのはありかなぁと。
錬金術は常に人と共に存在するから必然的に人の誕生などにも関与する。
人は生まれた時から、錬金術という要素がDNAに情報として書き込まれている。
確か今って、DNAを書き換える事によって、発ガンを抑えたり出来る技術があるんですよね。
そんな風にエドのDNAから錬金術という情報が消え去った。
というのはいかがでしょう?

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