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喧嘩を売る人(ネタバレあり)

友人から、アフィに「百姓貴族」使われたーというメールを貰って。
アフィ? アフィリエイト?? それが何??? なんてクエッションマークいっぱいな状態で、添えられたURLを読んで見ると。すごいすごい。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/09/post_0c06.html
「農家は自分の身内にしかいい土地は渡さん」云々。
浅学なもので、それがどこまで正しいのやら正しくないのやら分からないものだから、ふーん、ほー、へー、ってな感じのネタでした。
なもので。
それは違うよねとも、確かにそんな一面もあるかもねとも言い難く。リプライには。
        
「まあ実際農家以外の読者にケンカを売るネタで、全般描かれているようなものだから」
   
自分で書いて驚いた。
そうか、荒川弘はまだ喧嘩を売るマンガを描ける人だったのか。
      
あたしが鋼を好きな理由のひとつは、読者に喧嘩を売ってくれる処、ずっとそう思っていたから。
なんつうか、あたしにとって読書の楽しみのひとつは作者とのガチンコ勝負というか。
常に作者の2手、3手先を読む事が最重要課題?
「さあ、読んでみやがれっ」ときたら手の内を開かされる前に「おうよ、裏まで読み解いてやろうじゃねぇのっ」と思うし、「こんな事許されてたまるかよっ」と書かれれば、自分はどうだろうと考える。
物語を読む事はあたしにとって作者との対話だ。
    
ところが。気がつくと、世界中に喧嘩を売ているみたいだったあのどこか尖った処が鋼から見えなくなってしまった。
喧嘩を売るというのが、しばしば「若書き」と言われるものであることも知っている。
ほとばしりとか、情熱とか、パトスとか。
たぎるような何かを気負っていて、暑苦しくて、ちょっと鬱陶しい(笑)。
でもそれがなんか心地いい。
自分が世界を変えてみせる、そんな気概。
鋼連載開始当時、どうすれば他の作品より目立つか、カラー絵に薄い色使いの作品が多いから自分は厚塗りを、そんな事まで考えていたとインタビューで答えていた。
そういった気持ちが絵から溢れ出ていたんだと思う。
翻って、後半はどうだったろう?
上手い構図、面白い構図、綺麗な絵、それなら思い浮かぶ。
けれど「熱い絵」、と言われるとちょっと戸惑う。
再利用率の問題はあるだろうけれど、後半のカラー絵にそういった印象が薄い気がするのは、あたしの気のせいだろうか?
  
そんな時に。
子供がいる、15歳になった時に自分のマンガを読ませて絶対面白いって言わせる作品が描きたい。そう語る対談記事を読んで、納得してしまった。
 
そりゃそうだよね。誰だって我が子相手に喧嘩は売れない。
 
作品が妙に丸くなってしまったのは、その辺りが理由だったのかな、そう思った。
荒川弘は守りに入ってしまった。そんな風にも。
もう、荒川弘は読者に喧嘩を売れない。
   
対談の中にあった「戦い方も変わってくる」の文字が恨めしかった。
それはきっと、外へ向けた戦闘ではなく、自分の内側に向かう奮闘に変わったって事なんだろうな、と。
      
108話の感想、ぱふの感想と、色々書き連ねて見えてきた、私の目に見えている荒川弘像に、あたしはきっとこう言いたいんだ。
 
あなたは、「立派な大人が描くマンガ」を描こうとしてはいませんか?
我が子が読んで誇らしいと思えるようにと。
  
「聖人君子」これは感想コメントにいただいた言葉なのだけど。
本当に。
いつから鋼は聖人君子なマンガになってしまったんだろう。
     
「人間の内臓は見えないようにはしている」?
内臓がダメでも骨なら問題ないの?
1話のしょっぱな1ページ目から、エドの足の断面を、骨までしっかり描きっていたのはだあれ?
 
そう。少なくとも昔はそのくらいのヤンチャは、やってのけていたんだ。
  
大切な人の笑顔をもう一度見たかった、そのために禁忌を犯した子供。
自分たちにとっては大切な行動が、ヒューズを殺しマリア・ロスを巻き込み、人に被害を与えた。
キメラ化されたニーナに幸福の道があるのか考えもせず、ただ殺したスカーを闇雲に責め立てた。
 
物事の裏表。
自分達にとって正しい行為の裏に苦しむ人がいる。
そんなことは世の中にいくらだってある。
そんな。生きていくうえで当たり前の事。
まずはそれに気付けること。
そのうえで「じゃあ自分はどうすれば良かったのか?」それを問い、同じ事を繰り返さない努力を忘れない。それが鋼だと思っていた。
 
荒川弘は、いつからそこに蓋をしてしまったんだろう。
否、いい方を変える。
鋼は、いつからそれを否定する物語になってしまったんだろう。
   
 
ロイの復讐を止めた事に、本当にこれでいいのかモヤモヤしたというのなら、そのモヤモヤした感情を原稿にありったけ叩きつけて欲しかった。
何故それを飲み込んでしまった?
    
エンヴィーを殺さなかった事をこれで本当に良かったのか悩むロイが見たかった。
それでも一度はアルの為に賢者の石を欲しようと手を伸ばしかけるエドを。
重責ばかりに捕らわれず、もっと純粋に旅を楽しみにするアルを。
権利など無い事も自己満足も全て自覚して尚賢者の石を使うマルコーを、地位向上へ向け暗躍に走るオリヴィエやリンを。
そういったもっと生々しく荒々しい感情が見たかった。
    
霞食って生きてる正義の味方が見たかったわけじゃない。
他の生き物の死の上に自分の「生」が成り立つ事を自覚出来る、当たり前の「人間」が見たかったんだ。
       
一人ひとりは強くなんかなくていい。
弱くて、愚かで、進歩がなくて。それが人間ってものであってもいい。
  
ただ、正念場ってものさえ分かっていれば。
そこさえ「人」として外さないでいられるなら。
 
越えたらいけないもの、耐えなければいけないもの。
踏みとどまらなければいけないもの。
エド達も、スカーも、一度は踏み越えてしまったけれど、だからこそ二度目はない。許されてはいけない。
     
神が人を許すんじゃない、人が人を許すんだ。
ウィンリィがスカーを治療したように、スカーがマルコーに手を貸したように、ロイがエンヴィーを殺さなかったように、エドがプライドの本体を生かしたように。
そして、エドがあきらめない事をみんなに許されたように。
       
こんなにも少年マンガらしくない世界観の物語を、少年マンガたらしめていたのは、そんな風に世界にあらがい、熱苦しく作者自身が叫び続けていたからではなかったのか?
ねじ伏せようとする世界に喧嘩を売るその熱さが、読者を引きつけていたんじゃなかったのか?
 
 
仇を殺したいと思おうが、誰かを犠牲にしてでも取り戻したいと思おうがいいじゃないか。それが人なんだ。
思うことと実行すること。そのボーダーラインを見極め引き留める、そんな誰かがそばにいてくれるから、人は「人」として踏みとどまれるんだろ?
  
そんな風に。
きっと、そんな風に、あたしは荒川弘に最後まで叫び続けて欲しかったんだ。
     
 
今は。
まるで牙を抜かれた虎のようじゃないか。 
   
ウィンリィは一度目は銃を向け、二度目は「理不尽を許したわけではない」と言い切った。
人はすぐに許せるものではない。それでも自分の中で少しずつ昇華させていくしかない。
そんなウィンリィの憤りを、あれほどまで丁寧に描いていたのに。
 
ロイは復讐心にさいなまれることなく、エドは賢者の石を使わない事に決意すら必要としなかった。
あっさりと世界に従容と従ったロイとエドに、その居心地の悪さを拭えない。
リンから賢者の石を差し出され、ホーエンハイムから命を差し出され、畳みかけられる誘惑に喉から手が出るほど欲しながら、母親の事を思い、アルの事を思い、みんなの事を思い、必死であらがい打ち勝つエドが見たかった。うん、本当に。そんなエドが見たかったなぁ。
    
人は成長する生き物かもしれない。けれど。
成長した人間は欲を持たず常に正しく誤ちを犯さない、なんて。
そんな嘘、どうやって信じればいい?
  
   
さて。
 
ところがどっこい。
「百姓貴族」ではまだ元気に喧嘩を売っている、となれば。
こちとら、をいをいそれってどういう事よ、となってしまうわけで(笑)。
  
もちろんその売り方事態はまったく違う。
世界というよりは社会とか政治とかちょっとそっちよりで。だけどその鬱陶しさは今尚ご健勝(笑)。
本人は、百姓の日常を笑ってもらえればと謳っているが。
そうかな。その喧嘩の矛先は俄然シニカルじゃね?
  
自分の子どもに読ませるとしても、もっと分別の付く年齢になってからと思っているのかな。
結構言いたい放題描いてくれる。
   
向いている方向は確かに違う。けれど。
どうやら、その牙は、鷹の爪のように出したり隠したり自在だったらしい。いや、それとも伸びたり縮んだりするのかな? 
個人的には一生出しっぱなしのフルスロットでお願いしたい。
   
果たして。
あたしにとってこれが光明となる、といいなぁ。
  
  

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コメント

あ、この記事は面白いなあ。
ずーっと感想書いてらしたけど、でも私はこれが見たかった、なばかりだったじゃない? けどこの記事、りほ様ん中でぐるぐるしてたものが、焦点定まってきたんだなって感じた。
ああなるほど、って頷きました。

>歌猫さま
思い切り爆笑してしまいました。
ひっでぇ。
「この記事「は」」ですか。そうですか。
率直にして正直なご意見ありがとうございます。

タイトル通りにコメントでもとんだ応酬がww それはともかく。

この記事に、すごく納得してしまいました。
そしてりほさんはほんとうに真摯だなあと改めて感銘を受けました。
真摯だと思う理由は、自分が作品に対して感じた違和感を、どうして違和感を感じたんだろう?と
どこまでも理性的に考え抜く姿勢が記事から感じられるからです。

>そりゃそうだよね。誰だって我が子相手に喧嘩は売れない。
>あなたは、「立派な大人が描くマンガ」を描こうとしてはいませんか?
>我が子が読んで誇らしいと思えるようにと。

ああ、だからかー、と自分も思わず納得を…。
作家さんってえてして子供ができると作風変わるよなあ、とは思っていましたが、
子供に見せたいもの、となれば、できるだけ、この世の美しいものだけを見せたいんでしょうね。
自分も子供が生まれたらそう思うのかなあ、とか思いを馳せてしまいました。
まあそれも、親として無理はない思いだとは思うんですけどね…。


確かギャグマンガ家さんでお名前を忘れてしまいましたが、
「俺は子供ができても、子供に見せられないようなものをこそ描きたい、
子供に見せられるようなものを描くようになったら終わりだ」
って仰ってたのを思い出し、
作品とそのファンとしてはそっちのほうが幸せだよなあ、と改めて思ったり。

それに自分の子供時代を思い返せば、むしろそういうようなものをこそ、
読みたかったと思うんですよねえ。
「大人は分かってくれない」
「この世は因果応報でもないし努力するものが救われる、という世界でもない」
と子供だって気づくし、
「ならこの世界の真実とは何か?」
「その不合理な世界でどうやって生きていけばいいのか?」
って、子供~若い人ほど悩むもんですよね。

りほさんの仰るとおり、それをこそ、描いてほしかったなあ。
最初は描けていたと思うだけに、残念です。

>さやさま
売られた喧嘩は買う主義なんですが。
ご本人無自覚(多分今回もそうなんだろうなぁ)な喧嘩を買うほど酔狂にはなれず…。あれが精一杯です(笑)。
 
褒められると背中がこそばゆいのですっとばして(笑)。
個人的にさやさまがこの記事を読んだらどう捉えるのかな? と興味があったので。
コメントいただけて嬉しいです。
  
>作家さんってえてして子供ができると作風変わるよなあ、とは思っていましたが、
うん。でもそれって男性にその傾向が強いと思っていたので、荒川先生がそうだったのはちょっと驚きでした。
 
>まあそれも、親として無理はない思いだとは思うんですけどね…。
やっぱりそう思われるのかぁ。
人の親である前にアーティストであれ、クリエイターであれ、と思ってしまうのは無慈悲だとは分かっているのだけど。
ファンとしてはやるせないですね。
  
>「俺は子供ができても、子供に見せられないようなものをこそ描きたい、
子供に見せられるようなものを描くようになったら終わりだ」
あ、素敵だなぁ。そういう考え方好きです。
 
荒川先生も昔は。
これが正しいあれが間違っていると物事に名札を貼りつけるのではなく、矛盾も不条理も理不尽も全てさらけ出してその上で「あなただったらどうする?」と問いかけ、物語はあくまでもその答えの一例の提供に留める。
そういう目線で物語っていたと思うんですけどね。
   
>最初は描けていたと思うだけに、残念です。
うん。ただの買い被りなら、自分に見る目が無かったのねで済むけれど。
確かに一度はその高いハードルをやすやすと越えてみせてくれて、それが嬉しかっただけに。
最後までそれを貫き通して貰えなかった事は、本当に残念です。

こんにちは。いつもこっそりお邪魔させていただいてる者です。
毎回りほさまの真摯で熱い記事に元気をいただいております´`。

反面私は最近鋼に対する熱さが引き気味になってしまっていたのですが、
でもその理由を、こちらの記事を拝見してはっきりと気付くことができた気がしたので
つい筆を……長文失礼します(汗)。

>あなたは、「立派な大人が描くマンガ」を描こうとしてはいませんか?
こちらに物凄く納得してしまいました!
私は鋼に対し時折相撲を真正面からとってくれなくなったような違和感・寂しさ
みたいなものを感じることがあったのですが、
それを一番如実に思い知らされたのがイシュヴァール編で、
「神の視点から、地べたを這いずる人間達の姿を物語っている」ような…
戦争批判の特別編とはいっても、妙に先生と漫画の人物達が切り離されているような
突き放した冷たさを感じて、内容とは違う意味で心が凍えてしまったのを覚えています。

それは多分、漫画の鋼世界と先生の視点の高さにズレが生じてしまった
結果じゃないかなと今になると思います。
お話を描くには、愚かな事をしてしまう人にもある程度心を寄せないといけないけど、
聖人君子という立場をとってしまえばそれはできないし、
曲がった願望、禁忌を犯した行動の裏にはとても人間らしい感情や愛情があったりもするけど、
生々しいものを見ず蓋をしてしまえば、それに目を向けることもきっとできない。
逆にそこに真正面からロックオンしたのが前作アニメで、だからこそたくさんの人(勿論私も;)の
危うい共感を呼んでブームになったのかなと思うのですが…、でも、

>思うことと実行すること。そのボーダーラインを見極め引き留める、そんな誰かが
>そばにいてくれるから、人は「人」として踏みとどまれる
そんなテーマも同時に貫かれていたと思ったからこそ、
私も原作の鋼が好きだったんだなあと思います。やっぱり残念ですね……。

>通りすがりさま
コメントありがとうございます。レスが遅くてすみませんっ。
いつも長ったらしい記事ばかりなのに、読んでいただけて嬉しいです。
 
他人に誤解されるかなぁと思うくらい、もうメタメタにというか、けちょんけちょんに色々書いてますけど(笑)。
この作品のことは今でもやっぱり好きだから。
「残念」という言葉を使う事自体本当イヤなんですけど。
やっぱり、「残念」なんですよね。
今でも初期の巻は読みいってしまいます。
その気持ちは今も変わらないんですが。
 
人の命など特にその時の本人の状況によって価値観がどんどん変わっていくものでしょうから。
そういう意味では、物語としてはこの長さが必要だったとしても、題材そのものはあまり長編には向かないものだったのかもしれないですね。
  
イシュヴァール編は、戦争体験者から話を聞かない方がもっと自由に描けたんじゃないかなぁ。
逆に聞いてしまったから想像力を駆使せず「戦争を題材にしたものは各あるべし」といたステレオタイプな考えにはまってしまい抜け出せずあの世界観を描いてしまったような印象があります。
「それもまた彼の戦場」のようにもっと人に寄り添って描いていたならまた違ったでしょうね。
ただ、一応エドにリザが戦争体験を話しているという前提の為世界観を描かないわけにはいかなかったというのもあるのでしょうけれど。
 

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