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ユリイカ 2010年12月号 感想7

魂を受け容れるもの 荒川弘インタビュー 聞き手斎藤宣彦
 
例のごとく、です。辛口が多いです。読まれる方は覚悟のほどを。

女の子のほうがワッと燃え上ってワッと去っていくイメージがありました。
男の人の方が熱が上がるまで時間がかかるしかもしれないけど、いったん熱が上がるとずっと愛し続けてくれるという感じでした。


荒川先生のいう同人の話ってすでに10年は前だから今とはまた違う気がする。
男性も今は昔より「熱しやすく」はなってるんじゃないかと。熱しやすくさせられているというか。
「面白い」を自分から発していかないと、1期で終わっちゃうからねぇ(笑)。
 
冷めにくいのは、またちょっと別の話。
女性ってジャンル買いだよね。
ある1ジャンルをメインにおいて、カップルもある程度限定にしてそればかりを書くし買う。
別ジャンルはあくまでも浮気本。まあ、それが気がつくと本妻と愛人が逆転したりもするのだけど(笑)。
だから同人作家さんの書くジャンルが変われば途端に読者は疎遠になる。もちろんその同人作家さんの書く雰囲気が好きでジャンルが変わっても追うケースはあるけれど。その確率は少ない。
趣味が合えばまたいつか、どこかのジャンルでかち合うといいなぁと思いながらそのサークルさんとはお別れになる(今の若い子は大手をサークル買いするなんて噂も聞くけど)。
 
男性はサークル買いな気がする。
そんでもって、同人作家さんはジャンルかけもち。
今回はけいおん!の梓本。次回はアイマスの伊織本みたいに。
買う側もジャンルにこだわらず、そのサークルの本なら買う。
 
女性は一気に1ジャンルに熱量を注ぎ込むから一気に書きたいものも消費しきってしまう。
男性はあれもこれもと手を伸ばすから、まったりと書きたいものを消費していき、いつまでもそのジャンルを扱う。
だからジャンル目線でみると冷めにくく見えるんじゃないかな。
情報サイトさんに紹介される同人作家さんのサイトを見る限りではそんな風に思うのだけど。
  
   
手塚作品でまともに通して読んだのって『奇子』しかない。
  
あたしもー、あたしもー。通しで読んだのってそれだけだわ。
学生時代、手塚治虫の1作品読んでポを書けって課題が出てさ。
手塚治虫好きじゃないし、買いたくなかったし。
図書館に置いてあって最短なのがこれだったんだもん。
    
今この手の描いたら例の都条例に引っかかるんじゃないの? あ、賛美してなければいいのか。てのはさておき。
  
お屋敷の奥底に隠してきたどろどろがもう最初から最後まで全編溢れかえっていて。
人間関係がグロいというか、かなりダークな話です。
もともと手塚治虫の描くエロティシズムな曲線がどうも苦手だったからねぇ。
読んだ当時は10代だったし。
「手塚治虫は女をなんだと思っているだ!」とか思ったような記憶がある。若いな(笑)。
きっと今読み直したら違う感想を持つんだろうなぁとは思うけど。もう読み返さ無いだろうな。
松本清張っぽいって感想を読んだ事があるけど。
どちらかというと横溝正史っぽいっというのが私の印象。
そのあたりが好きならお薦め。
荒川先生が読んだ本なら読んでみたい(はーとっ)ならお薦めしないなぁ。
  
   
本当に感情移入したままに描けばめちゃくちゃ悲しくなるかなと思うんだけど、私がやっぱり嫌なんですよね

三宅さんとのインタビューについで二つ目の「なるほど」。
作者自身が感情移入していないんじゃ……そりゃあ読者は感情移入出来ないよ。
もちろん感情移入して描けばいいってもんじゃないけどね。
作者ばっかり情感に打ち震えていて、読者置いてきぼりなんてのは最悪だし。

でもさ。
昔、山田圭子の「だから牡丹が好きやねん!」ってマンガがありまして。
あらすじはいたってありふれたもの。
病弱な母親と2人暮らしの少女牡丹の前に母親の再婚相手が現れる。
ところが母親は死を間際に実は彼は牡丹にとって義父ではなく本当の父親だと告げ、奇妙な父子関係が始まる。
詳細はあまりもう覚えていないのだけど。
全編、怒濤のような感情の嵐が押し寄せてた記憶がある。
実際に読んで泣いた記憶は無いのだけど、読み終わった後はいつも、大泣きした後のような気だるい疲れとすっきり感があった。
さにやあらん。なにせ作者がネームの段階で自分で読んで2回泣けたらOKっていうダメ出しをしていた話だったらしい(笑)。
それを真似しろってわけじゃないけど。
作者の感情移入具合はそのまま読者の感情移入の度合いのバロメーターにもなり得るってこと。

荒川作品はこの先も、カッコイイシーンで気持ちが高揚する事があっても。泣けるシーンのはずなのに泣けない自分は薄情なんだろうか? そんな胸のつかえを抱えながら私は読む事になるのかな。
私が愛していた伏線の巧妙さが実は偶然でしたと言われ、さらに今回この事実が明かされて。
それでも新作を読みたいか? それははなはだ疑問。
  
  
長い話になる上でちょっと暗い感じも含めつつというのは最初からしていたんでしたっけ?
  
パーフェクトガイド3でも、インタビューで荒川先生と下村さんが、「鋼」が連載に移行した時の話をしていたのだけど。
荒川先生は電話口で長編に直すよう連絡をもらって、FAXで送ったと答えているし、下村さんもあまり手を加えてないと言ってた。
さらにプロットは荒川先生の頭の中って答えてる。
だからてっきり荒川先生が全部ひとりで考えてネームをあげて叩き台用にって提出したのかと思っていたのだけど。
  
今回のを読むと、何か違うような。
これを読む限りではプロットよりも前の段階からすでに下村さんの意見が入っていたように読めるのだけど。
  
どっちなんだ?
  
  
「アルはそんな乱暴な言葉、使いません!!」
 
私もあれ違和感あったー(爆笑)。
水島版は特にアルの語尾が可愛いくなってたからね。
「~だよ」「~だと思うよ」「~してよ」みたいな感じで。
FAでも大野木さんだったな、うっかりすると語尾を可愛くしてしまって制御していた、って言ってたし。
くぎみーヴォイスの威力か?(笑)
そっちに自分、引きずられてるかな? とも思ったのだけど。
いやいや荒川鋼のちょっと荒い口調もちゃんと押さえてる。「鼻水拭けよ」とかね。これが水島版ならきっと「鼻水拭きなよ」になる。
うん、そのくらいの区別はついてる自覚はある。
  
「切羽詰まってるから」と答えているけれど。
そうじゃなくて、やっぱりアルの台詞として違和感があったんじゃないかなぁ?
少なくとも、違和感を感じたのが一人じゃない程度には。
  
そんでもって。
インタビュアーの「そういう細かい指摘はかえってうれしいですよね。」に対する返事が掲載されていないのが、ものごっつ怖いんですけど!  (((;゚Д゚)))ガクブルガクブル
 
 
エルリック兄弟の兄弟愛を、私が考えているよりももっと強い結びつきだと感じている読者が多いかな。

だって読者は、貴女が描いてきたものを読んでそう思ったんだよ?
多くの読者がそう思ったって事は貴女がそういう描き方をしたからなのに。
その言い方は、無い。
 
「弟よっ」ってエドがアルに抱きついたり、エドの無事にアルがエドを抱きしめたり、泣きそうなアルをエドが頭をなでたり。「おまえの笑顔がみたい」とか。
ヨック島でアルを後ろに庇ってナイフを握っていたのは? 心臓だってくれてやると言ったのは? 針のむしろの上に座るのは俺だけで充分だって言ったのは? グラトニーの腹の中でアルにぶん殴られるからって生き汚なくとも頑張ったのは? 真理の扉の向こうにアルをみつけて必死に手を伸ばしたのは誰?
  
貴女が描いたんだ。貴女が描いてきたんだよ。
それを全て否定しないで。
  
   
ウィンリィには錬金術師でも科学者でもない普通の人が実はいちばん真理に近かった、そんなヒロインの役割を果たしていただきました
  
前に「雑感として」萌え視点で書いた。
ウィンリィには半分だけど、アルには全部やろうとしたのよね~って。そこだけを腐的に読めば非常に美味しいのだがね。
  
「俺の人生半分やるからお前の人生半分くれ」にウィンリィが「全部あげるわよ」と返した事で。
エドが半分でも、ウィンリィは全部。そこに等価交換はなくとも成立するものはある。そんな事を言いたいんだなというのは分かる。
でも、ある同人誌を読んでからなんか引っかかってた。
 
アルが持っていかれた時のエドの台詞。
「足だろうが!両腕だろうが!心臓だろが くれてやる。だから!!! 返せよ!! たった一人の弟なんだよ!!」
心臓をくれてやったらもちろん死ぬ。ということは「全部やる」そう言ってるわけだ。
エドが全部だから、アルも全部。エドはそのつもりでいた。それが等価交換だから。

そんな風に思っていたのだけど。
そうじゃないんじゃないのか?
エドが差し出そうとしたものはもともと定まってなんかいなかった。
エドは何だって良かったんだ。
残った右足で足りるなら、それでアルの全部を返して貰おうとした。
両腕で足りるなら、それでアルの全部を返して貰おうとした。
それって。
 
等価じゃないじゃん。

アルの対価が何かなんて考えてなかった。
エドは、アルの全部を返して貰えるなら、どれだけ持っていかれても構わなかった。それは。
言い値だよ。
そしてウィンリィが言った台詞だって同じ事なんだ。
エドの半分が貰えるなら、ウィンリィは全部あげても構わなかったんだ(最終的に8.5まで目減りしたけどな)
    
どっちも根っこは変わらない。
真理を見たから真理に捕らわれた?
そんなの嘘じゃん。
エドは、真理を見て初めて手パン錬成をしたその時から、等価交換じゃないものが自分の中にある事をもう知っていたんだ。

だったら、ここ一番の大事な時にエドがそんな言葉を言うなんて、変。すごく変。

それとも。
真理との交渉では。
自分がどれだけ代価を用意しても、相手に支払う気がなければ、向こうの示す対価しか渡せなかった。
その事で、「余計に与える事」をあきらめてしまったとか?

だったら面白いのだけどね。
世界が等価交換だろうがオレはオレ、そう言ってあのとき自分は全部を差し出してでもアルを取り返すことが出来なかったのに。
ウィンリィは、エドが等価交換だと言っても自分は自分で全部差し出すと言ってきた。
それをエドがすごいと感じたなら。
おお、すげぇカッコいいと思うのだけどね。
  
荒川先生がそこまで考えたうえで、ウィンリィを賞賛したのならすごいと思うけど・・・違うんだろうなぁ。
 
エドはアルの肉体を引っ張り出すために、真理の扉を差し出してる。
対価以上のものを渡す行為ってのを、すでにエドはそこでもう一度やっている。
  
それに。アルとだって約束してた。10もらったら11返す。それを証明するって。
その矢先に何故、「等価交換」言うのさ。
  
ただもう本当に単純に。荒川先生が答えた通りに。
普通の人は等価交換に縛られていない、すごいんだよ、って。
ウィンリィの救済のためだけにこのエピソードはあてがわれたんだろうなぁ。
 
いままで物語のなかで肯定したこと、否定したこと、すべて放り出して。
こういうことをしてしまうから、108話の後半が私には番外編にしか見えないんだ。
   

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コメント

お久しぶりです、ぽんずです。

さすがに今年に入ってからは鋼熱も冷めてきてたんですけどここは定期的に覗きにきてました。その意味では、ずっと愛し続けるってのも違うかな……いや、好きは好きなままなんですけど。鋼は連載をずっと追ってた中で最も長い作品(ワンピやナルトは途中で挫折)なので最も熱中した作品であることは間違いないですね。熱中するにはとっかかりが必要ですよね。それは作品のテイストでもいいし、好みのキャラがいるとかでもいい。自分の場合はそこからさらに深読みできるか、で嵌まるがどうかが決まる感じです。
その意味では最近スタドラを考察しながら見るのが楽しいです。榎戸氏は意図的に行間を読ませるのがもの凄く上手い。そういえばウテナ熱はずっと冷めてないですね。まああれは自分の中で特別なんですけど。

インタビュー記事は、失礼ながら「あ、ここりほさん絶対突っ込むだろうなー」と思いながら読んでました。すいません。
私はあんまりインタビューでの発言が二転三転することについては気にしない質です。多分、ミュージシャンが平気で「あのアルバムは駄作」「あの曲は売れるために作った」とか発言するので耐性が付いたのでしょう(全然違う! と思われるかもしれませんが)。基本的に作者が何を言おうと私は自分の意志を優先してます。
でも、それが作品に表れているような場合は別です。例えば、兄弟愛については作中で描かれてないとは思わないので、そこまで気にしないんですけど、りほさんが指摘してるエドが既に等価交換を超えていたというのはまさにその通りで、最終話の記述と矛盾してますね。特にその件は私自身が得意げに指摘した箇所なので手の平返したみたいになっちゃってますが(笑)
ウインリィの役割があれでいいと思うけど、普通の人が一番真理に近いというのは違うみたいですね。私も反省してます。

あと一つだけ。
>エドはアルの肉体を引っ張り出すために、真理の扉を差し出してる。
対価以上のものを渡す行為ってのを、すでにエドはそこでもう一度やっている。

真理の扉の放棄は対価以上の行為なんですね。
今までどうにも「いらないもの」発言が先行してて、その点はちょっと以外でした。よろしかったら、もうちょっと詳しく聞かせてもらえると嬉しいです。

>ぽんずさま

おひさしぶりです。
ウテナ好きなら、そりゃスタドラも楽しいですよね。
1話見た時、これってどんなウテナ? 思いましたもん(笑)。
榎戸テイスト全開っ。
そういえばこの間YGを読んではじめて、イカ刺しサムも逆さ言葉だった事を知りましたよ。「カタミ ワカチタ~」といい、巫女は必ず逆さ言葉を言わないといけないんだろか?(笑)
 
>インタビュー記事は、失礼ながら「あ、ここりほさん絶対突っ込むだろうなー」と思いながら読んでました。
  
私が突っ込まなくて誰が突っ込みますかっ(笑)
作者の意図に反していようが読者にそう読めた時点で、それはもう「そういう」作品です。
それは異論無く私もその通りだと思うんですが。
後になってそれが否定されるような物語が進行されちゃうと、もうため息しか・・・。
私にはやっぱりあの兄弟愛では物足りなかったです・・・orz。
 
 
>真理の扉の放棄は対価以上の行為なんですね。
>今までどうにも「いらないもの」発言が先行してて、その点はちょっと以外でした。よろしかったら、もうちょっと詳しく聞かせてもらえると嬉しいです。

感情論ではなく、物理的な話です。
前にもどこかで書いたんだけど忘れてしまった(笑)。
その時のとズレがあったらごめんなさい。
この辺りはまた、ユリイカの感想が終わったら書くつもりでいたんですが。
 
母親の人体錬成の時に通行料としてアルは肉体を全て持っていかれた。
物理的に肉体が無いから(いわば足がないから)帰って来れ無かっただけで、二度目の錬成以前にアルの魂だけは帰って来ている。
アルが錬成失敗の生き物の中からエドを見たという記憶がその証拠。
ならば、エドが行ったのは鎧にアルの魂を定着させただけ。魂の練成はしていない。
 
これらから、すでにアルは人体錬成の対価が返済済であることが分かる。
アルの扉をくぐれる者がいれば、抱えて持って帰っても真理に文句を言われる筋合いは無い(ただし、真理の扉は魂の無い者はくぐれない(第53話「魂の道標」参照))。
 
アルが最後に行ったのは等価交換である。錬成内容は、魂の定着解除とエドの腕の等価交換。
その逆(エドの2度目の人体錬成)は付着していた魂を引き剥がして定着させた為、魂に関与しているが、今回は錬成陣の解除する事によって自動的に魂が浮遊しただけであり、たまたま肉体が真理の扉の前にあった為、魂が肉体に呼ばれて真理の扉をくぐっただけ。
人体錬成ではない。現に通行料は発生していない。
ゆえにアルの借金はこの時点でも発生しない。
 
エドの最後の錬成は、自分で自分を人体錬成。代価は自分。
ゆえにあとは自分の分の通行料さえ払えばいい。
アルはすでに通行料を支払済だから対価は不要。魂が入ったから扉もくぐれる。
エドの人体錬成の対価は、一度目は左脚、二度目は右腕だった。
ならば本来その程度の対価があれば事足りる。
 
物理的な事実関係として
・左脚=通行料=真理の扉を通れる
・真理の扉を通れる<真理の扉そのものを渡す
ゆえに
左脚<真理の扉そのものを渡す

ゆえにエドは以前人体錬成時に支払った対価以上のものを支払っている。というのが理屈です(笑)。
ロジック的に間違ってないと思うのだけどなぁ。

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