« ユリイカ 2010年12月号 感想2 | トップページ | ユリイカ 2010年12月号 感想4 »

ユリイカ 2010年12月号 感想3

哀しみを背負うものたち 雑賀恵子
 
要約するとこんな感じかな。
錬金術師の罪は物質の循環の流れを等価交換と看做す世界観にある。
そしてそれにより殺害と報復もまたその循環の流れに即した等価交換であると認め殺害を容認してしまう処にある。
錬金術師であるエルリック兄弟もまたその罪を背負っていくのだろう。
 
 
アレ? 読んでいる時は結構的を射た面白い記事書いてるなぁと思ったのだけど。
百姓貴族とか、ホムンクルスとか、導入や例であって結論に直接加味しない部分を全部とっぱらって。
要約しちゃうと。
????????
 
スカーの錬金術師殺しが始まった時、ロイは「復讐には正統性がある」と容認した。
ロイの復讐を止めたのはリザ、スカーの復讐を止めたのはウィンリィ。
二人とも錬金術を持たない人間だった。 
 
なるほど確かに、ああそうだったよなと思うのだけど。
 
けれど。あれが反坐法でありそれもまた等価交換であるというのならば、それを用いたのは他でもないリザであって彼女は錬金術師ではない。
そして、錬金術師のエドはスカーを「醜い復讐心を「神の代行人」ってオブラートに包んで崇高ぶっているだけ」と言いきり復讐を容認していない。
 
なんかちょっと外してないか? 単に私が要約し過ぎただけか?
……あ、そうか。
    
このタイトル「哀しみを背負うものたち」はレトリックか。
著者が本当に言いたかったのは錬金術師の事ではなく、ゆえに荒川弘は農業における等価交換を容認しながらも、本当は等価交換こそが最良の方法ではない事を示唆しようとしている、という部分なんだなぁ。
 
著者の肩書に農学原論(がどんなもんかは知らんけど)とある事に納得した。 
 
 
あと、面白いなと思った処っ。
 
かれらの錬金術は、無から有を創り出すのではなく、再構築なのだから、存在していない死者を構築するのは不可能である、ということなのだろう。
 
いきなり腑に落ちた。「再構築なのだから」。だから出来無かったのか。
 
いまさらかもしれないけどストンと胸の仕えが落ちた。
「錬金術は、無から有を創り出す」ことが出来ない、ゆえに人体は錬成出来ない。
それは分かっていたはずなのに、「錬金術とは再構築でしかない」って部分が自分の中で欠落してた。
いや、兄さんが自分を再構築した事で分かっていたはずなんだけど、理解して無かったのかな。
 
ラジオを元に戻す。
機械鎧をナイフに変える。
アルの鎧の欠けた部分を直す。
土で壁を作る。
砂から槍を、血液からナイフを作る。
壊れた小屋を直す。
 
これら2人が錬金術でやって来た事はどれもこれも、手をかけ時間をかけさえすれば錬金術を使えない人間にだって出来る事ばかりだったんだ。
ただ一瞬で出来るか、時間がかかるか、その違いだけ。
戦いに使うのにはそんな呑気な事してられないから、人の手で出来るのを待ってはいられらないけどね。
でもそれだって、戦うだけなら錬金術がなくたって頭使って拳使って勝つ事は出来る。
 
だから「手間がかかるのもいいもんだよな」なんだなぁ。
 
まあ、ロイの空気調整とか、兄さんを再構築とかは、出来ないけどな(笑)。
 
 
ただ気になったのが。
 
したがって、あるひとつのまとまりを微分していき、要素に還元させたものを、再構築しても、運動を再現できる訳ではないのだから、全く同じものとはならないはずである。もちろん、錬金術であるのだから、生命体の場合、魂という固有性なるものを設定し、さらに、魂と物質の集合である肉体を結合させるものを精神として、その運動を保障しようとしているのだけれども。
 
一応兄さんの再構築は問題が無かったはず、という形に落とし込んでいるのだけど。
本当にそうなんだろうか?
 
年末に大掃除しながら「ゼーガペイン」を流し観していてふと気になった。
この物語は、人がサーバに詰め込まれたデータでしかない世界の話なのだけど。
エンタングル(量子テレポーテーションだと思いねぇ)を繰り返す事で、データが少しずつ欠け落ちついには消滅する恐れがあるという設定がある。
 
エドは再構築した際に情報が抜け落ちたりしなかったんだろうか?
昔、バッカニアの機械鎧をエドが破壊出来なかった事から、錬金術についてこんな記事を書いた。
   
機械鎧に使われている金属って?
「錬成する時ってまさか、0.何パーセントの含有物まで理解していないとダメって事は多分ないですよね。
それだと、例えば土くれを錬成するにもその中に蟻が一匹入っていたら不可能って事になるし。
スカーの人体破壊だって、ちょっと糖尿気味とか、亜鉛不足とか、そんなのまで分からないと出来ないって事になるし。
だから例えば機械鎧でも鉄にのみ破壊をかければ、他の物質との融合も解けるから、必然的に機械鎧の破壊が可能になる。
そのくらいの感覚なんじゃないかな?
ただ含有物を理解すれば理解した分だけ綺麗に錬成出来るとか。」
  
ならエドは自分をどう理解し分解し再構築したんだろう?
その前まで戦いっぱなしだから血は流れてるし、ろくなもの食べてないし、手足が機械鎧だし。
いわゆる15歳の少年の健康体の構成物とは質量が大なり小なり違っていたはずだ。
含有物を理解せず目で見えたままから想定しても機械鎧を破壊出来なかったように、自分に見える部分から想定してエドの知識を総動員したとしても、本当にまったく同じエドは再構築出来なかったんじゃないだろうか?
  
まあ例えばそれが足の小指がちょっと短くなるとか、色素が多少濃くなるとか。人間の血液や細胞がある程度の周期で入れ替わるのが一気にきてしまったとか。その程度なのかもしれないけど。
 
錬成物には錬成痕が残る。それは錬成の際に理解していなかった含有物や、原子の配置が多少違ってしまった事などにより全く同じには錬成出来ない事の現れだと思っているのだけど。
エドには勿論その錬成痕は無い。
 
いや待て、同じく最構築されたホーエンハイムは死ぬ前に錬成痕が出たよなぁ。
ならばやっぱり、エドもまた死の直前、身体機能が停止し循環が止まる事によって錬成痕が出るって事か?
ということは。
グラトニーの腹の中から戻って来たエドワード・エルリックは、さっきまでいた確かにいたはずのエドワード・エルリックとはまったく同じ者では無くなってしまった、という事なんじゃないだろうか。そんな事を思った。
  

« ユリイカ 2010年12月号 感想2 | トップページ | ユリイカ 2010年12月号 感想4 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/28666/50484666

この記事へのトラックバック一覧です: ユリイカ 2010年12月号 感想3:

« ユリイカ 2010年12月号 感想2 | トップページ | ユリイカ 2010年12月号 感想4 »