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2011年1月

2011/01/30

ユリイカ 2010年12月号 感想8

ウロボロスの彼方へ 伊藤博明

ヘルメス=メルクリウス……? いや、フラメルなんですけど。

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2011/01/26

推薦オビ

なんと! 荒川弘先生お墨付き…!!?

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2011/01/23

ユリイカ 2010年12月号 感想7

魂を受け容れるもの 荒川弘インタビュー 聞き手斎藤宣彦
 
例のごとく、です。辛口が多いです。読まれる方は覚悟のほどを。

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2011/01/22

あ、やばい

1月22日は朴さんの誕生日でしたよね。
危うく今年もスルーしてしまうところだった。

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2011/01/21

綺羅星☆/

STAR DRIVER 輝きのタクト アンソロジー
 
TVアニメ絶賛放送中&YGにてコミカライズ連載中の[STAR DRIVER 輝きのタクト]!
そのアンソロジーコミックが2月26日発売決定!!
表紙イラストは[黒執事]の枢やな先生! アンソロジーイラスト企画には、GFから[PandoraHearts]の望月淳先生、YGから[ニコイチ]の金田一蓮十郎先生らが参戦!! さらにスペシャルゲストとしてジャンプSQにて[エンバーミング]連載中の和月伸宏先生らも登場!!
アンソロジー漫画には、[鋼の錬金術師]の荒川弘先生、
[柚子ペパーミント]のゴツボ☆マサル先生や[BAMBOO BLADE]の五十嵐あぐり先生ら強力作家陣が多数執筆!!!


荒川先生、綺羅星見てるんだ(笑) Cスタ繋がり?

「黒執事」の時は参加されていなかったから、アンソロ参加はNGかと思っていたのだけど。単にスケジュールの問題だったのかな?

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2011/01/19

e+からメール来たよ

無事当選。
ま、場所が場所だから外れるわけ無いと思ってましたけど。
8000円が飛んでいくぅぅ。

あと問題は無事チケットが届くかですね。
最近、黒執事、デュラララと、アニプレックスイベントは災難続きだそうですから。

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2011/01/17

ユリイカ 2010年12月号 感想6

鋼の二つ名は伊達じゃない 入江哲朗

タイトルダサ…(爆)。
今回これほど難解な文章はそう多くない(つまり他にもあったわけだが)。
職業柄、難文ってやつには嫌ってほど耐性がついているのだけど、これはちょっとひどい。けど。
きっちり読み下してみると。
 
今回、この論考が一番面白かったかもしれない!!!
 
でも確かにこの文章は難解過ぎるなぁ。
実在論と唯名論がどんなものか把握出来ないとてんで話についていけない。
なので色々調べて要約っぽいものを書いておく。

・実在論:
「エド」「アル」といった個の存在は感覚世界のものであり、真に実在するのは「人間」という概念である。そしてそれこそが普遍なのだ。

・唯名論:
概念は単なる音声に過ぎない。「エド」「アル」といった固有の名を持つ具体的な個物こそが実在している。

とさくっとそんな感じの事は本文中にも書かれていますが。
何も知らない人間からすると、そもそも、実在論ってのがなんでそんな発想してるのか不明じゃね?
実在論は、プラトンのイデア論、アリストテレスの形而上学 を合わせたようなものと把握すればいいっぽい?
 
・イデア論の由来:
万物は流転し自然界は絶えず変化しているという説があり、物事はすべて本人の主観でそう見えるだけであり客観的な真理は存在しないという説がある。
これを合わせると人間は真理を把握することが出来ないという結論になってしまう。
そこでプラトンは変転する現象の背後に普遍的なものの存在があることを主張した。

・イデア論(プラトン):
個別の事物の背後には、その本質であるイデア (Idea) が実在する
感覚することができるこの世界は実在するものでなくイデアの射影である。個々の感覚を理性で把握することによってのみイデアは認識できる。
しかし人間の持つ感覚は不完全なため、五感によってそのイデアを捉えることは出来ない。
またイデアは個物から独立して存在する実体である。
イデアは日本語では、本質、概念、真理などと訳される。

・形而上学(アリストテレス):
形相(質料を用いてつくられたかたち)は、そのもののマテリアルな素材である質料(内容、素材)と分離不可能で内在的なものである
また「魂とは可能的に生命をもつ自然物体(肉体)の形相であらねばならぬ」と語る。
つまり、魂(形相)は肉体(質料)によって内在的に作られたものである。
 
 
例えるなら判子が「イデア」、判子によって押された刻印が「エイドス」。判子は刻印から独立して実在するが、刻印はつねに質料(この場合、インクの成分と紙の成分も含まれるのか?)とセットになったかたちでしか実在し得ない
 
 
参考文献はこちら
実在論 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E8%AB%96
唯名論 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E5%90%8D%E8%AB%96
形相 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E7%9B%B8
イデア論 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A2%E8%AB%96
プラトン wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3
普遍論争 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E8%AB%96%E4%BA%89
哲学用語集(形成)
http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/philo.html
 
 
途中で挫折してしまった方がもしいたら、どんだけ面白い事が書いてあるのか知って欲しいので。
まずはブロックごとに要約をまとめ、そのうえで感想書きます。
まがりなりにも文筆業を生業にしている(のか? 現役大学生のようだが)方の文章を翻訳なんざおこがましいが。
やっぱりこういうのは、まったく何も知らない人間の方が、同じような人向けになら、かゆい処に手が届く書き方が出来ると思うのよね。
 
ただしこれもまた自分なりの解釈なので勘違いがあったらご容赦を。
 

P98 上段 L1~9
『鋼の錬金術師』という作品はある意味で中世的である
 

P98 上段 L10~15 下段 L1~14
「アルは人間である」という文に対し、「人間」という概念は形相的に実在するとするのが実在論。
「アル」という個こそが存在し、概念は実在しないとするのが唯名論。
 

P98 下段 L15 P99 上段 L1~22
「真理」は概念でありながら、『鋼』においては「ぶっとば」すことが可能な、存在として描かれている。
ローティの言葉に「世界と同様、真理もそこに在るという思いつきは、世界をそれ自身の言語をもった存在者の創造物だとみなしていた時代の遺産」とある。
「真理もそこに在るという思いつきは、時代の遺産」。つまり、この真理が存在するという発想自体が中世的なのだ。
 

P99 上段 L23~24 下段 L1~14
余談 錬金術と普遍戦争の結びつきについて
 

P99 下段 L15~24 P100 上段 L1~21
『鋼』は仮想世界であるがゆえに「名前」と「存在」の関係は現実と違う意味を持つ。『鋼』のこだわりは「固有名」ではなく「一般名」にある


P100 上段 L24 下段 L1~L23
「鋼の錬金術師」エドは鋼の手足を持った、文字通り「鋼の」錬金術師だ。
 

P100 下段 L24 P101 上段 L1~24 下段 L1~7
トリシャの構成成分は判っても人体錬成は出来なかった。人間を性質の束に還元しても(水35リットル 炭素20キログラム…)「足りない何か」があるのだ。
言語哲学にも同じ言葉がある。「固有名には諸性質の束へ還元されない剰余が宿る」。
 

P101 下段 L8~14
『鋼』に「人の命は足し算や引き算ではない!!」という台詞がある通り、「人の命」(=固有名)を「足し算や引き算」(=諸性質の束=集合体)で捉える思想を持つものが、主人公たちの戦う相手だ


P101 下段 L15~24 P102 上段 L1~10
賢者の石に対し、ホーエンハイムは個の名前を呼び、フラスコの中の小人は「五百万人分の賢者の石」という集合体で捉えた。

10
P102 上段 L11~18
固有名は性質の束に還元出来ない。7ブロックで述べたように「足りない何か」があるのだ。
固有名こそがその「個」を網羅把握している言語なのだ。
 
母親を性質の束と捉えていた兄弟が「等価交換を原則とする錬金術」を捨てる事で物語が終わる事は言語哲学的にも理に適っているのだ
 
11
P102 上段 L19~24 下段 L1~17
しかし、最後に等価交換が否定されることは、物語の構成上誰しも分かっていた事である。
そうでありながら何故、等価交換は強調されていたのか。
それはゴールまでの迂回路にこそ作品の価値があるという仮説が成り立つ。そこにこそ著書が『鋼』が中世的であるとする理由がある

12
P102 下段 L20~24 P103 上段L1~6
『鋼』は固有名が少ない それは以下の二点から明らかだ

13
P103 上段 L7~24 下段 L1~3
第一に、賢者の石になった人間の魂。<人ならざるもの>。
賢者の石となった人間の魂は、すでに人間という属性ですらなく固有名も持たない。
属性も固有名も無くとも、エドは彼らを「人間」という性質に属するものと捉えていた。
彼らを仮に<名よりちいさきもの>とする。
それは固有名という実在する「個」ではなく、その奥にある何かによってエドは人間と判断しているのだろう。
そして主人公の敵は、<名よりちいさきもの>と見なしながらも、彼ら自身もまた固有名を持たぬ、「人間」という属性でもない<人ならざるもの>なのだ。
 
14
P103 下段 L4~24 P104 上段 L1
第二に、スカーやホムンクルスの名前は全て固有名ではなく一般名である。
さらにホムンクルスの場合、例えば「スロウス」は文字通り「怠惰」でありその「性質」すら表している。
 
15
P104 上段 L2~11
他にも、暗号といった個を指定する以外のものに固有名が使われていたり。

16
P104 上段 L12~20
「キング・ブラッドレイ」は実質この国の王であり、「リザ・ホークアイ」は鷹の目を持つ狙撃者である

17
P104 上段 L21~24 下段 L1~7
「名が体を表」し、「性質」であるはずの「一般名」がそこに数多く「存在」しているのだ
そして「名が体を表す」という言語観は、まさに16世紀=中世の考え方である。
※1 シニフィカシオン:「Τ」という記号を日本語で「丁(てい)」英語で「T(ティ)」と発音するのは必然ではなく偶然である。必然ならばどの国であれば「Τ」は「て・い」と発音されなければならない
※2 トリカブトの種子が眼に似ている:それによってトリカブトが眼病に効く事を示しているという考え 
「世界という散文」『言葉と物』 参照
第二章 世界という散文 <二.外徴> 参照

18
P104 下段 L10~24 P105 上段 L1~12
物語では<固有名>と<名より小さきもの>がする。
エドの目に映る<名より小さきもの>の正体はいったい何なのか。
エドが何をもって<名より小さきもの>を「人間」と見なしたのかを見極める事によって。
何が「人間」であり、何が「人間」ではないのか? 「個のキャラクターとはどこからくるのか?」その問題提起をすることが出来たはずだった。
しかし、『鋼』は<人ならざるもの>を倒し<人間>が君臨するという分かりやすい結末で終ってしまった

19
P105 上段 L13~24 下段 L1~7
ここで現実における言語観を顧みる。
<体を表す名>は、そこに個の「存在」があろうと一般名である以上その名は概念である。すなわち実在論であると言える。
また<固有名>を<確定記述>に置き換えられないことは7ブロック、10ブロックで記述した。
また10ブロックにて<固有名>こそが「個」を構成していることも述べた。
例えば「アル」についての確定事項を「金髪金眼の少年」とした場合、「金髪金眼の少年」を「アル」の固有名に置き換える事は出来ない。なぜなら「エド」も「金髪金眼の少年」であり、「アル」という「個」だけを示すものではないからだ。「アルフォンス・エルリック」という言葉だけが「アル」という「個」を正しく構成している事になる。
しかし「「金髪金眼の少年」だろうがなかろうが「アル」は「アル」」なのだ。
<確定事項>を「名前」(アル)の根拠(金髪金眼の少年)と置こうとする時点でそれは実在論なのだ。
つまり狭義的に見ると、唯名論とはその名の通り「アル」「エド」「トリシャ」など、ただ固有名のみでなければ成り立たない論説なのである。
『鋼』は実在論的な言語観を持つ点において中世的である。しかし現実もまた中世的な実在論的言語観は存在しているのだ。

20
P105 下段 L8~14
実在論という世界観の中でエドが出した結論「等価交換の否定」は、<固有名>のかけがえの無さを理解し、「鋼の錬金術師」という<体を表す名>を捨てることにあった。

21
P106 上段 L1~23
「鋼の心」は隠喩である。そして一般名詞の隠喩による効果は他のいかなる言葉にも等価交換出来ない「一枚の画像」のようなものであると、ディヴィドソンは言う。「鋼の心」の文字が登場人物の写真の上に置かれていたのは偶然だろうか

22
P106 上段 L24 下段 L1
『鋼の錬金術師』という物語は、固有名を使わない事にこだわった。
エドは<固有名>のかけがえの無さを理解し、「鋼の錬金術師」という<体を表す名>を捨て、しかし一般名詞による隠喩を手に入れるのだ。
錬金術と実在論という中世的な特色の中で到達した結論は奇しくも、現実で直面しているある問題(19ブロック参照)の核を掴んでいた事になる。
  
  
  
大まかな雰囲気はわかったかなぁ。分かると良いなぁ。
とりあえず、『鋼』の世界は論理哲学(?)的見地で見るとおもしろいほど重なる部分がある事が分かるってのが面白い。
  
実際のところ、一般名詞が多いのは荒川マンガの特色であって『鋼』の特色ではない。
上海の「ジャック」はジャック・ザ・リッパー(ネタバレ防止)だし。
RAIDEN-18は相撲の雷電から作ったからだし。
蒼天の蝙蝠の蝙蝠丸は、コウモリと同じ闇にしか住めない者の名だ。
なのでそこらへんを語ってしまうと身も蓋もなくなってしまうのだけどね。

でも。
さんざん私も感想で書いていた事が、それを哲学的見地で語られることになるとは思わなかったわ(ブロック18参照)。
<固有名>は集合体に還元できない。人間は「水35リットル 炭素20キログラム…」では還元できない「足りない何か」がある。
固有名また同じ。固有名こそがその「個」を全て網羅把握し構成している存在なのだ。
しかしエドは、人間ではないものを人間と定義していた。
それはいったい何だったのか?
登場してきた数々の<人間>。
鎧の体を持つ弟や囚人、犬と合成させられた少女、化け物エンヴィーの身体に張り付いていた魂、人体錬成に失敗した歪つな生き物、作られた人間、また殲滅させられ人らしい暮らしを奪われたイシュヴァール人もある意味それに当たるかもしれない。
他者から<人間>と見なされないものを<人間>ととらえるエドの目にはいったい何が映っているのか。

人間は「イデア」、トリシャは「エイドス」であり「形相」、水35リットル 炭素20キログラム… は「質料」。
ならば、人間は「イデア」、アルは「エイドス」であり「形相」とした場合、「質料」は何になるのだろうか?
また、犬の質料の混じったニーナは? 人間と同じ成分だと言ったキンブリーは? 賢者の石を内包したリンは? 人間と同じ成分で作ったはずなのに人体錬成に失敗したあの生き物は? 500万人の賢者の石を持つホーエンハイムは? ホーエンハイムという形成を真似たフラスコの中の小人は?
 
なのに『鋼』は「<人間>ならざるもの」を倒し<人間>が君臨するという分かりやすい結末で終ってしまった

もしこれに対しエドが答えを出していたなら、うん面白かったろうな。
すごく気になる。
 
アルにもスライサーにも人の魂が定着されていた。
タッカーの作ったキメラにはニーナの記憶があった。
軍に作られたキメラ達も<人間>としての心があった。
エンヴィーに張りついていたのは人の魂だ。
人体錬成の時の生き物には確かに魂が宿っていた(後でそれがアルだと分かったわけだが)
一見、エドは「人間の魂」が宿っているものであれば<人間>として定義しているようにも見えた。
しかし。
アルと同じく賢者の石という魂を定着させた一つ目の人形を仲間が殺すのは静観していた。
賢者の石を核とするホムンクルスは殺さず。
そして、同じく賢者の石を核としてたお父様を殺した。
 
エドにとって結局<人間>の定義とは何だったのか。
荒川先生の答えが知りたかったな。
 
そしてまた、普遍論争においてトマス・アクィナスはこんな事を言っている。
形而上学上から言えば、死ぬということは魂(形成)が肉体(質料)から分離することとなる。
ならば霊魂は質料を持たない完全な形相なので死によって分離は生じない。ゆえに霊魂は不死である。
 
肉体から分離しても霊魂は不死。
その意味においても、鋼は中世的と言えるのかもしれない。

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2011/01/12

ネットニュース

livedoorと、exciteと、msn に映画とイベントについてのニュースが掲載されましたよ。
全部同じ記事なんですけど。出所はどこなんだろ?
めずらしく、まんたんWEBではないようなのだけど(んでもってyahoo!での掲載がないって事は、Yahoo!ってまんたんWEBにおんぶにだっこ状態って事なのか?)。
 
1日の発表からちょい今更感ただよう時期での掲載だけど、最新情報の出演予定者まで載ってます。

・livedoor
“ハガレン旋風”再び! 人気アニメの新作劇場版が7月公開!大型イベントも決定

excite
msn

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アニメスタイル

WEBアニメスタイル連載の「もっとアニメを観よう2011」から
第21回 藤津亮太が選んだ 「TVシリーズあってこその劇場版10本+隠し球10本」」
に、シャンバラをノミネートしていましたよー。
「ユリイカ」での論考のポカっぷりで、藤津さんてあまりいい印象ないんだけど(笑)、ちょっと嬉しい。

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公式サイトにキャラクターが追加

公式サイトのキャラクター設定が追加されました。

・ウィンリィ・ロックベル
・ロイ・マスタング
・リザ・ホークアイ
・アレックス・ルイ・アームストロング

あくまでもガンガンの発表と合わせるって事なのかなぁ。
今月はアニメ誌が前倒しで発売されたから、かなり遅れた感があるなぁ。

そして、FESTIVALの出演予定者も発表

公開順が、アニメイト、e+、公式サイト ってのはちょっとどうよ。
公式ガンガレ。

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2011/01/09

FESTIVAL CM流れた!

「スタドラ」で鋼のFESTIVAL のCMが流れたー!!
うわーん、しまった今回は、録画してなかったよー。
っていうか予約の設定はしてあったんだけど、起動させてなかった。
  
CMやるかもしれないからと思っていたはずなのにっ、何で予約しようと思ったのかをすっかり忘れてたっ。
別に今日はリアルタイムで観れるからからいいよな、と思ってしまったのが運のツキ。くそーっ。
  
リアルタイムで観ていた事は見ていたんだけど。
エドの声は聞こえども、夕飯作ってる最中で手が放せなくて、エドとロイが映っているのだけはかろうじて見えていたんだけど。
絵は、FAでした? 劇場版でした? それさえ見えなかったよー。
  
イベントの場合って、スクエニじゃなくて、アニプレックス番組になるのか?
今アニプレックスが扱ってるのって、スタドラ以外だと見る予定がありそうなのは、レベルEと、放浪息子、くらいか。
流れる……かなぁ。うーん、一応録画しておくか。

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ユリイカ 2010年12月号 感想5

超人的ユートピアへの抵抗 大田俊寛

この方は絶対FA見てたはずっ。
だって。
 
ある意味でホムンクルスとは、「自由になりたい」というホーエンハイムの無意識的欲望から生まれたものと見ることができるかもしれない。
 
これ、荒川先生が描いてくれなかった事だもの。FAで描いてくれてすごく嬉しかったとこだもん。
マンガも水島版もシャンバラもFAも全部チェックしてるってこと? だったら嬉しいなぁ。
 
 
 
さて。
物語の構造について述べられた3点。
 
1、社会にうまく馴染むことが出来ず、疎外感を抱えた主人公が登場する。そして主人公は、その疎外感を解消するために、何らかの「能力」を求める。
2、その過程で主人公は、同じ「能力」の獲得を目指している組織的勢力に出会う。その勢力は、「能力」を完全にわがものとすることによって、世界の支配を目論んでいる。
3、主人公は次第に、そうした組織が求めるユートピア的世界に違和感を抱くようになる。そして主人公は、組織と同種の「能力」を使うことによって、彼らに対抗する。

 
すでにうろ覚えの作品が多いのだけど。
まず「ファーストガンダム」。本当にこれに則していたっけ。

1、アムロは疎外感を解消する為に能力を求めたわけじゃない
2、シャアは「組織的」な「勢力」じゃない。たんなるスタンドプレイだし。
3、よって「組織」がユートピア描いていたわけじゃない ニュータイプのユートピアは単なるシャアの妄想
 
だよなぁ。
 
全部挙げてると大変なので記憶にある範囲で他の作品も。
「ナディア」は見てないのでパス。
「エヴァ」はテレビ版しか見てないけど。別に敵対していたものたちはシンジと同じ力を獲得しようとしていたわけじゃなかったはず。
「アキラ」は力を手にしたのは主人公じゃない。疎外感を解消する為に鉄雄が「能力」を求めたわけでもない。「次第に」違和感を抱くようになったわけでもない。
「ハルヒ」も疎外感を解消するために「能力」を求めていない。組織(?)よりもハルヒの方がユートピアを求めていたし。敵(?)方は別にハルヒのような能力の獲得を目指していたわけでもない。
  
結局、どれにでも合うような定義を立てようとして、完全にマッチングしている作品て無いんじゃないのか?
見ていない作品もあるし、はっきりしたことは言えないのだけど。どうだろ?
 
そして鋼はどうだろう。
1、「社会に馴染めず疎外感抱えた主人公」、そうでしたけ?
2、「同じ「能力」の獲得を目指している」は違うけど、「完全にわがものとする」という部分はあり。
3、「主人公は次第に」はズレてるけど、「組織と同種の「能力」を使うことによって、彼らに対抗する」はあり。
 
これまたまったく同じとは言えないけれど、所詮どの「カルト」的な人気作品に対しても多かれ少なかれ帯に短し襷に長しの定義なのだから、合致している方だというべきなんだろうか?
 
でも、この程度のズレを許容していいのであれば、もしかしたら「「カルト」的な人気」とやらががなくとも定義に合ってる作品は存在しそうだよな。
ラムネ&40とか、ウテナも入るか? 十二国のアニメオリジナルの杉本さんだってある程度合致してしまうんじゃないのか?
 
例えばこれが「社会にうまく馴染むことが出来ない人物がいる」「前述の人物は主人公も該当する」「社会に疎外感を抱えている人物がいる」あと「母胎回帰」「原父殺害」とかまで詳細に分けて。カルト的作品は、該当項目がいくつ以上ある。なーんて形にしてあればまだ推し量る事も出来たのだけど。
ただ、上記の定義にあっているから鋼は「カルト」的人気の作品と結論づけるには無理があるように思う。
 
 
アメストリスとドイツの比較は面白かった。
シャンバラの影響もあると思うけれど読者の中でもそれを意識した人は多いと思う。
神人思想、民族粛清、人体実験、総統独裁。こちらは確かにどれもが合致する、確かに。
 
んでもそこではなくて。
『永遠なるヒトラー』からの引用、「人間とは生成途上の神である」とする、神人思想ってのがちょっと面白い。
ここが、鋼とは違う。鋼の場合「人間とは」にあたらなかった。人であらざるものが神になろうとした。
だからこそ、鋼という物語があり、エドというキャラクターが成立したんだ。

フラスコの中の小人が、人間の形になったり、目ん玉お化けだったり、巨大化したり。
何にでもなれたからこそ、自分は神にだってなれる。そう思った。
自分は神になれると思うからこそ、民族粛清、人体実験、総統独裁、何でも出来た。
「神的な全能状態が実は自閉的な無能状態と等価であること」なんて言葉で言われてもチンプンカンプンなのだけど。
それは、万能薬は結局どの症状にも効かないっ、て事。
 
フラスコの中の小人の根っこにあるもの。
思想? 器? 知性? それらが神に及ぶようなものでなければ。
「あれにもこれにもなれる、だから神にもなれる」といくつものカテゴリーを跳躍してみせたところで、それは外面が変わるだけで中はすかすかなまま。根本的な処で何も変わっちゃいない。
いつまでも奴隷23号の思念「自由になりたい 自由になるための知識が欲しい」。そこに引きづられているだけの無知な存在でしかない。
 
けれど、エドは2巻ですでにそれを否定している。
「オレ達は悪魔でもましてや神でもない 人間なんだよ。たった一人の女の子さえ助けてやれない ちっぽけな人間だ」。それでもエドには神になって「たった一人の女の子」を助けてやろうという発想はなかった。
自分は人間でしかない、エドの発想はそこからはじまりそこから一歩も外に出ようとはしなかった。
人間の力で何が出来るか、いつだってエドの発想はそこにあった。
エドにとって人間の定義は広い。
鎧の姿に魂を固定していようが、合成獣だろうが、人体錬成の無残な結果だろうが、エドにとってかれらは人間なんだ。
エドにとっては、「人間」というただひとつのカテゴリーだけでもう膨大なキャパシティーを持っていた。
あれも人間、これも人間と、そう定義立てすることで、(自分のではなく)人間の可能性を無意識に広げていったから、神などになる必要などなかった。
 
なにせ、「真理=神」だというのなら、エドはそれを「ぶっとばす」つもりでいたのだから。エドが神になろうと思うはずがない(笑)。
  
人が神になるんじゃない。人のまま神の隣りに立とうとする事が有用なのかもしれない。
  

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2011/01/08

FESTIVAL 2011 出演予定者

劇場版『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』公開日&イベント「鋼の錬金術師 FESTIVAL 2011」開催決定!!
 
アニメイトの記事にFESTIVAL 2011 の出演予定者の名前が出てました。
  
『鋼の錬金術師 FESTIVAL 2011』
開催予定日:2011年5月22日(日)
会場:国立競技場・代々木第一体育館
公演時間:開場 16:00/開演 17:00
チケット価格:7,200円 (税込)

<出演声優(予定)>
エドワード・エルリック:朴ろ美(「ろ」は王へんに路)
アルフォンス・エルリック:釘宮理恵
ウィンリィ・ロックベル:高本めぐみ
ロイ・マスタング:三木眞一郎
リザ・ホークアイ:折笠富美子
マース・ヒューズ:藤原啓治
and more!

<出演アーティスト>
鋼の錬金術師FAの歴代OP/EDをかざった豪華アーティストたちが登場!
 

わーい、生くぎみーに会える♪ 
って、劇場版じゃヒューズさんもう死んでるじゃんっ。
その辺、劇場版とは関係無しってこと?
ならやっぱりいっそ、水島版もFA版も枠を取っ払っちゃえばいいのにっ、と思ったら。
出演アーティストは、「鋼の錬金術師FA」になってる。
    
うーん、このFESTIVALって、劇場版前夜祭的なものかと思っていたのだけど。
FA応援ありがとう的なものなのかなぁ。にしてはタイミングがよう分からんなぁ。

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2011/01/07

ゆうきまさみ30周年記念展

そうだ、すっかり忘れてた。年末に行ってきましたよ。
ゆうきまさみ30周年記念展
  
期間は「じゃじゃ馬!グルーミンUP!」となっていたけれど。
実際には、ショーケースに入っている原画が「じゃじゃ馬」というだけで、展示されているのは「あ~る」から「バーディー」までありました。
別のショーケースには昔発売されたグッズやプラモ、ラフノートなどなど。
野明や遊馬や香貫花(だよね、あれって? かなり決定稿と違うけど)の初期設定。
後藤隊長が初期設定では火浦(!)隊長って名前だったり。
懐かしの「月刊OUT」掲載のマンガ・・・・・・は流石に記憶になかったのだけど。「ザブングル・グラフィティ」のパンフに寄稿されたマンガは記憶にあったぞ。ひっくり返せば兄の家にまだあるんじゃないか? 懐かしかった~。
 
んでもって、寄稿コーナー。
出渕っちゃんのイングラムはやっぱりカッコええなぁ。
しかしマンガ家じゃないとはいえ、そこらへんの紙で描きましたかね? かなり紙がしなってたんですが。
お晴さんは時かけの原田知世。
りょーちもさんはやっぱりバーディー。
高田明美さんのあ~るくんは必見。
島本先生は焔燃が出張してきてるし。
畑先生は特車隊の制服を来たナギお嬢様。
テマリさんが学ランを書くと、あ~るくんが魔王に見えるし、
椎名先生が学ランを書くと、あ~るくんが悪の親玉に見える?
直接つながりがなくても、ゆうきまさみのファンってことを担当さんがご存知だと声がかかったみたいですね。
「学生の頃読んでました」なんてコメントを読むと微笑ましいとともに、30年の月日の長さを感じますね。
「あ~る」が連載されていた頃ってピー歳だったもんなぁ。
  
えーと。ここまで引っ張りましたので、大丈夫ですよね。
これから行かれる方でネタばれダメな方。回れ右をお願いしますね。
 
荒川先生が描かれていたのは、やっぱりイングラムでした。
が、イングラムの股の向こうに小さく鎧アルが!
胸のでっぱりにイングラムとお揃いの旭日章(警察のマークね)を付けて、クエッションマーク飛ばしておろおろしててかわゆかったですっ。
莫迦みたいに再三言いますが、パトの「アルフォンス」はアニメ版で野明が付けた愛称であり、ゆうき版にはその呼称は出て来てません。ですから正確を期するなら、この絵はWアルフォンスではないのですよ。
勿論、荒川先生もそれを承知で描かれているから、ちゃんとカラーリングはゆうき版(もちろん他にイングラムを描かれた方もっ)でしたともっ。
 
ところで、とり・みきさんの寄稿にこの記念展にて秘蔵映像(「ヤマトタケルの冒険」発売記念サイン会の様子などなど)が公開されているはずとあったもののそんなものは無かったんですが。この時期になって、やっぱり公開されることになったようですよ。
ゆうきまさみ展、とり・みき編集の秘蔵映像を急遽上映 
 

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2011/01/06

ユリイカ 2010年12月号 感想4

『鋼の錬金術師』から読み解く国家と民族 早尾貴紀
 
何かについて知ろうとするとき、人は一番自分にとって近しい一番理解しているものにそれを投影し置き換える事で、それを理解しようとするものなんだろうな。
  
だから、早尾貴紀さんはアメストリスにイスラエルを見て、その次の論考、大田俊寛さんはアメストリスにドイツを見る。
また同じ「戦争」というものを通して語りながらも、早尾さんは「この国のかたち」にこだわり、大田さんはナチズムを背景にマンガやアニメにおける構成について述ベている。
このふたつを並べて掲載出来るってのがまた、この編集の美味しい処なんだろうな。
 
さて本編感想です。
アメストリスとパレスチナが似ていると書かれてるけれど、本当にそうなのかな?
あまり歴史に詳しいわけではないけれど。
 
領土拡大のための戦争、それに伴う民族浄化

それ自体は、氏が述べるまでもなく人間の歴史の中でそして日本でもまた繰り返し行われてきたものであり、さして特殊なものではない。

人為的な建国

おそらくそこだけがパレスチナと他の国の戦争と異なっている箇所なんじゃないだろうか?
 
ではアメストリスのそれは他と何が違うのか?
 
「奴らはこの国を利用して何かをしようとしているわけじゃない 何かをするために一からこの国を作り上げたのか?」
「第67話 この国のかたち」の真骨頂はここにあると思っている。
 
つまりどの国を奪うのでも良かったわけじゃない。
国土錬成陣の大きさをあらかじめ定め、それにふさわしい地形を選んだ。
血の紋を刻むべき焦点がジャングルや海だったら困るよね。
そして国土錬成陣がすっぽりおさまる分だけ占領地下にする。
それを過ぎれば領土を拡張する必要はない。
他国からすれば不気味だったんじゃないのか?
国の一部を奪われ、すわ国家全て飲み込まれるかと思いきやそれ以上には攻めてこないのだから。
民族浄化も、戦地も、全て血を流すべき場所さえ定められていた。
もしその地に人が少なければ、敢えてそこでクーデターを起こさせたり、宗教を広め人をよせ集めたりしたのだろう。
どれだけ裏でホムンクルスが暗躍していたことか。
 
こんな莫迦な真似が現実の戦争で起こるわけがない。
領土拡大は国益の為ではない。国の繁栄、国民が豊かに暮らしていける為のものではない。
アメストリスの不気味さは、ただひたすら国を滅ぼす為に、国民から命を奪う為、国民を増やし国を広げることを、国民自らに行わせていたこの矛盾にある。
  
ちなみに、アメストリスは人為的な建国ではない。
実際には年表を調べれば分かるのだけど。
クセルクセスが一夜にして滅びたのはアメストリス建国の後だ。
 
アメストリス建国
クセルクセス崩壊
西の賢者来訪
リヴィエア事変
 
これが正しい順番のはず。
だからお父様は直接建国には立ち会っていない。
その意味でも、パレスチナとは異なっていると言えるだろう。
 
また。
 
国土錬成陣が無化された以上、その国土が、すなわち国家そのものが、「解体」に向かうことがあってもいいし、むしろそうなるのが当然の流れなのではないだろうか。復興の先の少し長い将来においては、きっとそうなってほしいと、読解を超えてそう願わざるをえない。
 
すでにアメストリスという国に統合された国をいまさら解体するなんて事は有り得るんだろうか?
一番最初のリヴィエア事変などもうすでに350年昔に併合されている。
確かに、アメストリスが戦争続きで国自体疲弊している事は、「銀英伝」風に言えば、野良犬の肋骨が見えるほどやせ衰えている様子を見れば明らかだ。
 
それでも今更独立なんて考えるものなんだろうか?
日本でいうなら、今になって沖縄や北海道をひとつの国として独立を認めようとするようなものだろう?

けれど。 スペインのバルセロナでは道端に「We are not Spanish」と書かれた看板を見かけた。
彼らは自分達をスペイン人ではなくカタラン人だと言いカタラン語を話す(勿論スペイン語もしゃべるが)。
今なおスペインに侵略された歴史を彼らは忘れていない。
アメストリスにもそんな地域がもしかしたら有るかもしれない。 
 
西の国境戦線の停戦。イシュヴァールの復興。
それくらいからならもしかしたら出来るのかもしれない。
血の紋は一度使うともう使えなくなるものなんだろうか分からないけれど。
もう二度と国土錬成陣が発動しないよう、錬成陣を描けないよう、この国のかたちを変えてしまうというのは、実はアメストリスにとってもいい事なのかもしれない。そんな事を思った。
  

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2011/01/03

ユリイカ 2010年12月号 感想3

哀しみを背負うものたち 雑賀恵子
 
要約するとこんな感じかな。
錬金術師の罪は物質の循環の流れを等価交換と看做す世界観にある。
そしてそれにより殺害と報復もまたその循環の流れに即した等価交換であると認め殺害を容認してしまう処にある。
錬金術師であるエルリック兄弟もまたその罪を背負っていくのだろう。
 
 
アレ? 読んでいる時は結構的を射た面白い記事書いてるなぁと思ったのだけど。
百姓貴族とか、ホムンクルスとか、導入や例であって結論に直接加味しない部分を全部とっぱらって。
要約しちゃうと。
????????
 
スカーの錬金術師殺しが始まった時、ロイは「復讐には正統性がある」と容認した。
ロイの復讐を止めたのはリザ、スカーの復讐を止めたのはウィンリィ。
二人とも錬金術を持たない人間だった。 
 
なるほど確かに、ああそうだったよなと思うのだけど。
 
けれど。あれが反坐法でありそれもまた等価交換であるというのならば、それを用いたのは他でもないリザであって彼女は錬金術師ではない。
そして、錬金術師のエドはスカーを「醜い復讐心を「神の代行人」ってオブラートに包んで崇高ぶっているだけ」と言いきり復讐を容認していない。
 
なんかちょっと外してないか? 単に私が要約し過ぎただけか?
……あ、そうか。
    
このタイトル「哀しみを背負うものたち」はレトリックか。
著者が本当に言いたかったのは錬金術師の事ではなく、ゆえに荒川弘は農業における等価交換を容認しながらも、本当は等価交換こそが最良の方法ではない事を示唆しようとしている、という部分なんだなぁ。
 
著者の肩書に農学原論(がどんなもんかは知らんけど)とある事に納得した。 
 
 
あと、面白いなと思った処っ。
 
かれらの錬金術は、無から有を創り出すのではなく、再構築なのだから、存在していない死者を構築するのは不可能である、ということなのだろう。
 
いきなり腑に落ちた。「再構築なのだから」。だから出来無かったのか。
 
いまさらかもしれないけどストンと胸の仕えが落ちた。
「錬金術は、無から有を創り出す」ことが出来ない、ゆえに人体は錬成出来ない。
それは分かっていたはずなのに、「錬金術とは再構築でしかない」って部分が自分の中で欠落してた。
いや、兄さんが自分を再構築した事で分かっていたはずなんだけど、理解して無かったのかな。
 
ラジオを元に戻す。
機械鎧をナイフに変える。
アルの鎧の欠けた部分を直す。
土で壁を作る。
砂から槍を、血液からナイフを作る。
壊れた小屋を直す。
 
これら2人が錬金術でやって来た事はどれもこれも、手をかけ時間をかけさえすれば錬金術を使えない人間にだって出来る事ばかりだったんだ。
ただ一瞬で出来るか、時間がかかるか、その違いだけ。
戦いに使うのにはそんな呑気な事してられないから、人の手で出来るのを待ってはいられらないけどね。
でもそれだって、戦うだけなら錬金術がなくたって頭使って拳使って勝つ事は出来る。
 
だから「手間がかかるのもいいもんだよな」なんだなぁ。
 
まあ、ロイの空気調整とか、兄さんを再構築とかは、出来ないけどな(笑)。
 
 
ただ気になったのが。
 
したがって、あるひとつのまとまりを微分していき、要素に還元させたものを、再構築しても、運動を再現できる訳ではないのだから、全く同じものとはならないはずである。もちろん、錬金術であるのだから、生命体の場合、魂という固有性なるものを設定し、さらに、魂と物質の集合である肉体を結合させるものを精神として、その運動を保障しようとしているのだけれども。
 
一応兄さんの再構築は問題が無かったはず、という形に落とし込んでいるのだけど。
本当にそうなんだろうか?
 
年末に大掃除しながら「ゼーガペイン」を流し観していてふと気になった。
この物語は、人がサーバに詰め込まれたデータでしかない世界の話なのだけど。
エンタングル(量子テレポーテーションだと思いねぇ)を繰り返す事で、データが少しずつ欠け落ちついには消滅する恐れがあるという設定がある。
 
エドは再構築した際に情報が抜け落ちたりしなかったんだろうか?
昔、バッカニアの機械鎧をエドが破壊出来なかった事から、錬金術についてこんな記事を書いた。
   
機械鎧に使われている金属って?
「錬成する時ってまさか、0.何パーセントの含有物まで理解していないとダメって事は多分ないですよね。
それだと、例えば土くれを錬成するにもその中に蟻が一匹入っていたら不可能って事になるし。
スカーの人体破壊だって、ちょっと糖尿気味とか、亜鉛不足とか、そんなのまで分からないと出来ないって事になるし。
だから例えば機械鎧でも鉄にのみ破壊をかければ、他の物質との融合も解けるから、必然的に機械鎧の破壊が可能になる。
そのくらいの感覚なんじゃないかな?
ただ含有物を理解すれば理解した分だけ綺麗に錬成出来るとか。」
  
ならエドは自分をどう理解し分解し再構築したんだろう?
その前まで戦いっぱなしだから血は流れてるし、ろくなもの食べてないし、手足が機械鎧だし。
いわゆる15歳の少年の健康体の構成物とは質量が大なり小なり違っていたはずだ。
含有物を理解せず目で見えたままから想定しても機械鎧を破壊出来なかったように、自分に見える部分から想定してエドの知識を総動員したとしても、本当にまったく同じエドは再構築出来なかったんじゃないだろうか?
  
まあ例えばそれが足の小指がちょっと短くなるとか、色素が多少濃くなるとか。人間の血液や細胞がある程度の周期で入れ替わるのが一気にきてしまったとか。その程度なのかもしれないけど。
 
錬成物には錬成痕が残る。それは錬成の際に理解していなかった含有物や、原子の配置が多少違ってしまった事などにより全く同じには錬成出来ない事の現れだと思っているのだけど。
エドには勿論その錬成痕は無い。
 
いや待て、同じく最構築されたホーエンハイムは死ぬ前に錬成痕が出たよなぁ。
ならばやっぱり、エドもまた死の直前、身体機能が停止し循環が止まる事によって錬成痕が出るって事か?
ということは。
グラトニーの腹の中から戻って来たエドワード・エルリックは、さっきまでいた確かにいたはずのエドワード・エルリックとはまったく同じ者では無くなってしまった、という事なんじゃないだろうか。そんな事を思った。
  

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ユリイカ 2010年12月号 感想2

"生き物の感触"を持った少年マンガ 藤本由香里

「それが禁忌だと知っていても」にダイナマイトを挙げているけれど。
そもそもダイナマイトは殺戮兵器として発明されたものではなかったはず。
鉱山での発破目的だったと思ったけどな。
ちょっと調べてみただけなのだけど。
 
禁忌どころか、その際に使うニトログリセリンをダイナマイトによって安全化した。
だからのこそ発明者の名をとった「ノーベル賞」が生まれたんじゃないのか?
ダイナイト-Wikipedia
ダイナマイト
 
核だってそもそもエネルギー開発であって、第二次世界大戦によって兵器としての開発に切り替わったんだよねぇ?
核兵器-Wikipedia
原子力-Wikipedia
 
なんか適当な事書いてないかなぁ。それが第一印象。
 
「もし誤って(あるいは故意に)ヒトと他の動物との合成獣が誕生してしまったら」とあるのだけど。
この人がいう「合成獣」って何なんだろう? 誤って作れてしまう状況というのがよく分からない。
 
豚の細胞ってこれのことだよね。
彼女にとって移植は合成じゃないらしい。
イノブタなんてものもあるけれど、異種の掛け合わせは合成と違うのか?
ならばぶっちゃけ彼女にとって、人間の卵子に動物の精子を体外受精させたものも「合成獣」ではないのだろうなぁ。
これが例えばさ。
 
すでに現実社会において合成獣の片鱗は存在していると言える。
けれど、自分がヒトの境界にあると思えばそれはヒトなんじゃないのか?
ホーエンハイムだって言わば、ヒトと賢者の石の合成獣だ。
けれどホーエンハイムはアルに「核はあくまで俺という人間だから」そう言いきっている。
境界は自分が選ぶんだ。
 
とかね。そんな風に持っていくのなら分かるのだけど。
 
彼女の語る「合成獣」は、鋼同様のファンタジー世界か、マッドサイエンティストの物語でしかない。
蝿男とか、女神転生の悪魔合成システムみたいな感じ?
ここでいきなりそんな非現実的なものが「誤って」行われると言われてもなぁ。
   
自分で理解しきれていないものを付け焼刃で語っているような感じがしてならない。
そんな事せず、自分の専門分野だけにこだわって論じれば良かったのに、と思ったのだけど。
藤本さんの専門分野ってマンガ評論だものね。内容を掘り下げるのは難しいか。
何せマンガとひとくくりにするには、ファンタジー、SF、スポ根、恋愛、エロ などなどマンガのジャンルは幅広過ぎる。
小説には、ミステリ評論家や、ファンタシー評論家がいるのに、何故かマンガにはそれが無い。
一人で全ジャンルの知識を語るなんてまず無理でしょう。
 
なら、マンガ史全体からみて鋼がどのような位置にあるのかとか。
その辺りから切り崩して貰った方がもっと楽しいものが読めたんじゃないだろうか?
   
そして後半は、「輪郭」という言葉が新たに使われただけで、前回の「ユリイカ」のインタビューの焼き増しでしかなかった。

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2011/01/02

ユリイカ 2010年12月号 感想1

対談 ”兄弟”たちの絆と闘争 荒川弘×三宅乱丈
   
最近の荒川先生の発言には不信感を持っているので、あんまりというか、まったくいい事書いてないです。
そういうのが苦手な方は飛ばした方がいいと思います。ごめんなさい。
荒川ファンの方の反論が、今から怖いよ。
  
 
  
  
  
  
 
  
  
 
  
  
  
  
 
  
   
  
  
三宅 でも残酷だとは思わせない演出になっていましたよ。
荒川 断面以外にも内蔵をなるべく見せるなとか縛りはあるんですけど。あ、人間の内臓です。ホムンクルスは見せても大丈夫という不思議な縛り。それを描くかどうかで話の本筋が変わることはないので、断面や内臓にこだわりはありません。

またしても前言撤回というか、なんかなぁ。
前のユリイカの対談ではこう言ってました。
 
藤田 (略)最悪にぐちゃぐちゃの一歩手前の、しかも逃げてはいないっていう状態を提示している。(略)代替させないで、全部見せるといような香港映画的、もしくはB級ホラー的なところもあって、内臓を見せたりもしますしね。
荒川 見えるときもありますね。人間の内臓はなるべく見えないようにはしているんですけど、「でもホムンクルスは人間じゃないから」みたいなへんな決まりみたいなものはあるんですよ。
 
藤田さんの内容はいわば、顔のアップなどでごまかさずに、スプラッタに見えるギリギリ手前までしっかりその悲惨さは伝えていると。
それに対し荒川先生は、人間の内臓はなるべく見えないようにしているけれど、ホムンクルスは人間じゃないからマイルールとして内臓まで描いてその悲惨さまで描いていますと、そう答えていた。少なくとも私はそう受け取ったんですけど。
 
今回の対談では、逆に三宅さんに悲惨性を見せず上手く処理していると言われ、出版社側からホムンクルスなら内臓を描いてもOKが出ているけれど、自分的にはとくに描く必要がなければ描かずに処理している、と取れる。
 
人と話を合わせるのは大事ですよね。うん。それは分かる。
自分がどう思いながらそれを描いたのか。その気持ちが複数あったとしてもおかしかない。
切れば内臓が出るのは当たり前。だから描く。だけど必要以上に悲惨にした処で物語の大筋に影響が出るわけではないからグロテスクには描かなかった。
双方ともそう答えればいいだけですよね。
片やマイルールでギリギリまで挑戦しました、片やそこは規制されていないけれど綺麗に処理しました、それでは話が違う。

なんか、新しいインタビューが出る度に前回言った言葉を撤回するような言葉が付加されていっているようで。読んでいてどうしても不信感がなぁ。
 
 
荒川 最後のほうはこれもネタばらしできるぞ、これもできるぞ、と風呂敷を畳む楽しさを味わいましたね。
 
なるほどね。だからなのか。
この言葉をそのまま真正直に受け取る。
「風呂敷を畳む」というのはネタばらしをする事ではなく。ネタばらししたそれをどう回収するか、収束させるか、だと私は思っている。
そこからして物語の構成に対する考え方が違うんだなぁ。
だからあの最終回に座りの悪さを感じたんだ。
 
例えば。
セリムが実はプライドであり「はじまりのホムンクルス」と呼ばれるホムンクルスだった、ここまではネタばらし。だけど結局、この「はじまりの」が何を差すのか(念のために、一番最初のとかそういう単純な事を言っているわけではないよ)、なぜプライドだけが他のホムンクルスと違うのかは回収されていない。
リザの背中の錬成陣はロイに受け継がれていた、ここまではネタばらし。ロイの錬成陣とリザの背中の錬成陣が何故合致していないのかは回収されていない。
とかね。最終話までに回収されなかった事がたくさんある。
 
また「ネタばらしをすること=風呂敷を畳む」だと思っているのであれば。なるほど確かに520センズもアップルパイもネタばらしではないからそこは畳む必要が無かったわけだ。
 
そういう描き方が荒川弘のマンガだというのなら、これから先描かれであろう最新作の最終回でもきっと同じような終り方になるんだろうなぁ。
 
 
荒川 一般人が頑張るのが好きなんですよ。超人は頑張るというか、出来て当たり前なので、一般人が頑張ると嬉しくなっちゃう
 
ちょ、それ、作者自らが言ったらマズいでしょっ!
鋼は主人公が超人設定なんだからっ。
エドは出来て当たり前? そう思いながら描いていたわけ????
 
一般人が頑張ると嬉しいって。
そりゃ、読む側としてもそれが嬉しくないとは言わないよ。
でも読者はエドやアルが頑張っていてこそ嬉しいんだからっ。
あの二人が頑張っているのを見て元気貰って、よし頑張ろうって、それがマンガってもんじゃないの???
 
それダメ、作者が言ったら絶対ダメ。
 
ていうか、エドってそんなに作者に愛されてなかったの?
エドの最後の頑張りは作者にとって嬉しい事じゃなかったの? 出来て当たり前の事だったの?
だから、こっちも、エドの最後の頑張りにこっちも感情移入出来なかったのか?(FAでは感情移入したのにっ!)
とか思うと、もうなんか色々凹む。
 
 
荒川 (略)部下にやらせなかったというのはそれだけ一生懸命ってことですよね。(略)自分の命を張ったということを皇帝は評価して、リンは皇帝になったんでしょうね。
 
「アルスラーン戦記」や「十二国記」や「ファラオの墓」を読んだ身としては、それは頷けないし理解出来ないっ。
いや単純に会社とか軍に置き換えてもいいが。
部下にやらせなかったっということは、部下を信頼していなかったって事でしょ?
部下を信頼していない王の下に付く者なんていないと思うぞ。
 
リンが命を張ってもし死んだら民はどうすればいい? 皇帝がいるということは民主制じゃない。
ヤオ族の民の中から新たに長を立てる事は出来ない(もしリンに同腹の兄弟がいないのなら)。
一家どころか一族離散。
国で待っている民がリンの身を案じているのならそれはリンが信頼されているからという部分があったとしても、それ以上にリンが死ねば自分達の身すら危うくなるからだっただろう。
 
単純にリンは無謀な子供だと思っていた。
そのせいで、フーが死に、ランファンが腕を失い、上に立つ者がすべき事は何かをそこから学ぶと思っていたのに、その無謀さを評価されちゃうってのはちょっと。
いくらなんでもおとぎ話じゃないんだからっ。マジ冗談だと思いたい。
 
そういえば。マリア・ロスが王に越権した際に暗殺を止めた事で皇帝に気にいられたなんて裏設定を読んだ時も単なる冗談だと思っていたのだけど、あれもマジだったのか?(余所者が皇帝に越権する際に武器を携帯するなんて有り得ないっしょ?)
 
 
荒川 (略)農家のスケジュールに比べたらマンガ家は楽だなぁと思います。好きなものを描いて、あったかい家の中で仕事ができるっていいなあと(笑)
 
命かけて魂こめて作品を描いていると思うからこそファンはファンでいられるわけで。
こんな仕事へのかっぱですよなんて言われて(いや、そこまで言ってない)いい気分、しないなぁ。
農家のスケジュールは大変でしたけど、マンガ家はマンガ家で別の苦労がありますね、くらい言えばいいのに。
マンガ家である事よりも、未だ農業をやっていた事により誇りを持っているのなら、一読者としてこんなに寂しいことはないよ。
    

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2011/01/01

一番くじの画像あっぷ その2

すみません。完全に趣味の写真です。
ドールとかピンキーとか、そういうもっとかわゆい趣味に走ればいいものを。
こういうジオラマっぽい写真を撮る方が好きなんですよー。
自分、絵の描けない人間だから、それを3Dで何とかしようと思うのかなぁ。
本当はここからさらに画像ソフト使って、光入れたりとかやればまた違うと思うんですけど根性無しなので。
とりあえず撮りっぱなしの写真です。
  
Ca3g0138
 
Ca3g0139
 
Ca3g0137
 
Ca3g0134
 
 
これで満足。
さーて、明日からはユリイカの感想記事書くぞー。

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一番くじ画像あっぷ

かなり時期を外しましたが。
あたった分の一番くじの画像です。
クリックすると元の画像サイズになりますが、却って見づらいだけなのでそのままで充分かと。
っていうかG賞まで縮小するの忘れました(笑)。
  
 
A賞 エドワード・エルリック フィギュア
結構どの角度から撮っても様になるポーズなので撮りやすいんだけど。
アップにし過ぎると布の質感じゃないのがバレバレになっちゃうんですよねぇ。
三枚目はちょっとマンガの構図に似せてみたつもりです。
 
Ca3g0040 
 
Ca3g0042
 
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B賞 アルフォンス・エルリック フィギュア
普段、アルのフィギュアはポーズがしっかりしてるからとっても撮りやすいんだけど、何故か今回はどうとっても鉄人28号風になってしまって、いや参りました。
一番没にした枚数が多いです。
ちょっとどれもこれも似たようなアングルになっちゃったなぁ。
 
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E賞 シャオメイぬいぐるみ
見た目も触った感触もすごくかわいいのに、写真に撮ろうとするとどこから見ても可愛くない……orz。
何故なんだ? 
結局、一番カメラを引いた画像が可愛く見えるっては、なんかなぁ。
 
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Ca3g0061
 
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F賞 グラス 軍部
一度に撮ろうと思えば全員撮れるんですけど。両サイドの二人がゆがむので2つに分けて。
軍の紋章は中に暗目の色のハンカチを入れて撮ってみました。
 
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Ca3g0112
  
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F賞 グラス シャオメイ
シャオメイ4ショット。撮るのすごい楽チンでしたよ。
 
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G賞 ハンディノート&しおり アル
前回撮り忘れた裏表紙も撮ってみました。やっぱり可愛いなぁ。
 
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G賞 ハンディノート&しおり シャオメイ
多少のボケはご勘弁を。分かりづらいかもしれませんが閉じた状態だとみんな正面向いているんだけど、開けると後ろを向いているんですよー。
で、中はとってもファンシー。一番普通に使えるノートですね(笑)。
 
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H賞 クリアファイル3枚セット  エルリック兄弟/アームストロング姉弟/イズミ夫妻
表と裏と両方を。 
裏を意識しているのかいないのか分かりづらいのが特徴です(笑)。
アームストロングとイズミのとにはサイドに飾り模様が入っているんですが、ほとんど正面からも裏からも見えないっていうのは一体……。
 
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H賞 クリアファイル3枚セット  ホーエンハイム/おさななじみーず/シャオメイ
おさななじみーずは背景までしっかり入っているので裏がまったく効果になってません(笑)。
シャオメイは意外と騙されそうですが、裏から見えるのは表のが透けているのではなくちゃんと裏の絵として描かれているんですよー。
 
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H賞 クリアファイル3枚セット  ロイ/リン/エンヴィー
ロイの裏はイシュヴァール、エンヴィーの裏は化物エンヴィー、なのにリンだけは中華風な模様が微かに見えるだけ。
デザインさんが複数いたのかなぁ。
 
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I賞 ストラップ「鋼の錬金術師FA」 エド
口元があまり可愛くなかった(色が付いてないせい?)のでちょっと上目から。
 
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I賞 ストラップ「鋼の錬金術師FA」 シャオメイ
アルのチャームはヒエラルキーです。
 
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I賞 ストラップ「鋼の錬金術師FA」 リザ
狙ったわけじゃないんですがブラハと一緒に写ってるリザが色っぽい?
  
Ca3g0127

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劇場公開日決定

劇場公開日決定!!
7月2日(土)に劇場公開が決まったそうです。
  
あたりまえだけど土曜日だよね。うん、そうだよなぁ。
レッスンおさぼりが、今決定したよ(笑)。

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鋼の錬金術師 FESTIVAL 2011 開催決定

鋼の錬金術師 FESTIVAL 2011 開催決定!!
5月22日(日)に国立代々木競技場・第一体育館にて鋼の錬金術師FESTIVAL 2011が開催されます。
出演: 豪華声優陣&歴代OP/EDを飾ったアーティスト陣

現在e-plusにて先行予約受付中です
11/1/1(土)00:00~11/1/16(日)23:59

ところで気になるのがこの「豪華声優陣&歴代OP/EDを飾ったアーティスト陣」。
「歴代」の文字につい期待してしまう。
ミロスの声優陣がFAからの継続になることは発表されたけど。
監督が違うわけだし、原作準拠なわけじゃないんだから、もうFAなわけでもないわけですよね。
そもそもこの鋼のFESTIVALであってて「FA」がついているわけじゃないんだから。過去を遡ったってそう。
・鋼の錬金術師FESTIVAL Tales of anotherもうひとつの物語
・鋼の錬金術師 Festival '09
 
んならさ、もう水島版もFAもいい加減とっぱらって、ぐわっとどちらの声優もアーティストも出てきてくれて、ミロスを応援するって形をとってくれたらすんごく嬉しいんだけどなぁ。
 
【追加】1/1 21:00
某掲示板からパクってきた。
870cba11


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ご挨拶

1月1日となりました。本年もよろしくお願い致します。
さて。 
色々宿題ためまくりなので、今年はきりきり行きますよっ(希望的観測)。 
 

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