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ユリイカ 2010年12月号 感想1

対談 ”兄弟”たちの絆と闘争 荒川弘×三宅乱丈
   
最近の荒川先生の発言には不信感を持っているので、あんまりというか、まったくいい事書いてないです。
そういうのが苦手な方は飛ばした方がいいと思います。ごめんなさい。
荒川ファンの方の反論が、今から怖いよ。
  
 
  
  
  
  
 
  
  
 
  
  
  
  
 
  
   
  
  
三宅 でも残酷だとは思わせない演出になっていましたよ。
荒川 断面以外にも内蔵をなるべく見せるなとか縛りはあるんですけど。あ、人間の内臓です。ホムンクルスは見せても大丈夫という不思議な縛り。それを描くかどうかで話の本筋が変わることはないので、断面や内臓にこだわりはありません。

またしても前言撤回というか、なんかなぁ。
前のユリイカの対談ではこう言ってました。
 
藤田 (略)最悪にぐちゃぐちゃの一歩手前の、しかも逃げてはいないっていう状態を提示している。(略)代替させないで、全部見せるといような香港映画的、もしくはB級ホラー的なところもあって、内臓を見せたりもしますしね。
荒川 見えるときもありますね。人間の内臓はなるべく見えないようにはしているんですけど、「でもホムンクルスは人間じゃないから」みたいなへんな決まりみたいなものはあるんですよ。
 
藤田さんの内容はいわば、顔のアップなどでごまかさずに、スプラッタに見えるギリギリ手前までしっかりその悲惨さは伝えていると。
それに対し荒川先生は、人間の内臓はなるべく見えないようにしているけれど、ホムンクルスは人間じゃないからマイルールとして内臓まで描いてその悲惨さまで描いていますと、そう答えていた。少なくとも私はそう受け取ったんですけど。
 
今回の対談では、逆に三宅さんに悲惨性を見せず上手く処理していると言われ、出版社側からホムンクルスなら内臓を描いてもOKが出ているけれど、自分的にはとくに描く必要がなければ描かずに処理している、と取れる。
 
人と話を合わせるのは大事ですよね。うん。それは分かる。
自分がどう思いながらそれを描いたのか。その気持ちが複数あったとしてもおかしかない。
切れば内臓が出るのは当たり前。だから描く。だけど必要以上に悲惨にした処で物語の大筋に影響が出るわけではないからグロテスクには描かなかった。
双方ともそう答えればいいだけですよね。
片やマイルールでギリギリまで挑戦しました、片やそこは規制されていないけれど綺麗に処理しました、それでは話が違う。

なんか、新しいインタビューが出る度に前回言った言葉を撤回するような言葉が付加されていっているようで。読んでいてどうしても不信感がなぁ。
 
 
荒川 最後のほうはこれもネタばらしできるぞ、これもできるぞ、と風呂敷を畳む楽しさを味わいましたね。
 
なるほどね。だからなのか。
この言葉をそのまま真正直に受け取る。
「風呂敷を畳む」というのはネタばらしをする事ではなく。ネタばらししたそれをどう回収するか、収束させるか、だと私は思っている。
そこからして物語の構成に対する考え方が違うんだなぁ。
だからあの最終回に座りの悪さを感じたんだ。
 
例えば。
セリムが実はプライドであり「はじまりのホムンクルス」と呼ばれるホムンクルスだった、ここまではネタばらし。だけど結局、この「はじまりの」が何を差すのか(念のために、一番最初のとかそういう単純な事を言っているわけではないよ)、なぜプライドだけが他のホムンクルスと違うのかは回収されていない。
リザの背中の錬成陣はロイに受け継がれていた、ここまではネタばらし。ロイの錬成陣とリザの背中の錬成陣が何故合致していないのかは回収されていない。
とかね。最終話までに回収されなかった事がたくさんある。
 
また「ネタばらしをすること=風呂敷を畳む」だと思っているのであれば。なるほど確かに520センズもアップルパイもネタばらしではないからそこは畳む必要が無かったわけだ。
 
そういう描き方が荒川弘のマンガだというのなら、これから先描かれであろう最新作の最終回でもきっと同じような終り方になるんだろうなぁ。
 
 
荒川 一般人が頑張るのが好きなんですよ。超人は頑張るというか、出来て当たり前なので、一般人が頑張ると嬉しくなっちゃう
 
ちょ、それ、作者自らが言ったらマズいでしょっ!
鋼は主人公が超人設定なんだからっ。
エドは出来て当たり前? そう思いながら描いていたわけ????
 
一般人が頑張ると嬉しいって。
そりゃ、読む側としてもそれが嬉しくないとは言わないよ。
でも読者はエドやアルが頑張っていてこそ嬉しいんだからっ。
あの二人が頑張っているのを見て元気貰って、よし頑張ろうって、それがマンガってもんじゃないの???
 
それダメ、作者が言ったら絶対ダメ。
 
ていうか、エドってそんなに作者に愛されてなかったの?
エドの最後の頑張りは作者にとって嬉しい事じゃなかったの? 出来て当たり前の事だったの?
だから、こっちも、エドの最後の頑張りにこっちも感情移入出来なかったのか?(FAでは感情移入したのにっ!)
とか思うと、もうなんか色々凹む。
 
 
荒川 (略)部下にやらせなかったというのはそれだけ一生懸命ってことですよね。(略)自分の命を張ったということを皇帝は評価して、リンは皇帝になったんでしょうね。
 
「アルスラーン戦記」や「十二国記」や「ファラオの墓」を読んだ身としては、それは頷けないし理解出来ないっ。
いや単純に会社とか軍に置き換えてもいいが。
部下にやらせなかったっということは、部下を信頼していなかったって事でしょ?
部下を信頼していない王の下に付く者なんていないと思うぞ。
 
リンが命を張ってもし死んだら民はどうすればいい? 皇帝がいるということは民主制じゃない。
ヤオ族の民の中から新たに長を立てる事は出来ない(もしリンに同腹の兄弟がいないのなら)。
一家どころか一族離散。
国で待っている民がリンの身を案じているのならそれはリンが信頼されているからという部分があったとしても、それ以上にリンが死ねば自分達の身すら危うくなるからだっただろう。
 
単純にリンは無謀な子供だと思っていた。
そのせいで、フーが死に、ランファンが腕を失い、上に立つ者がすべき事は何かをそこから学ぶと思っていたのに、その無謀さを評価されちゃうってのはちょっと。
いくらなんでもおとぎ話じゃないんだからっ。マジ冗談だと思いたい。
 
そういえば。マリア・ロスが王に越権した際に暗殺を止めた事で皇帝に気にいられたなんて裏設定を読んだ時も単なる冗談だと思っていたのだけど、あれもマジだったのか?(余所者が皇帝に越権する際に武器を携帯するなんて有り得ないっしょ?)
 
 
荒川 (略)農家のスケジュールに比べたらマンガ家は楽だなぁと思います。好きなものを描いて、あったかい家の中で仕事ができるっていいなあと(笑)
 
命かけて魂こめて作品を描いていると思うからこそファンはファンでいられるわけで。
こんな仕事へのかっぱですよなんて言われて(いや、そこまで言ってない)いい気分、しないなぁ。
農家のスケジュールは大変でしたけど、マンガ家はマンガ家で別の苦労がありますね、くらい言えばいいのに。
マンガ家である事よりも、未だ農業をやっていた事により誇りを持っているのなら、一読者としてこんなに寂しいことはないよ。
    

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