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ユリイカ 2010年12月号 感想10

サイボーグ時代の終焉 小泉義之

これまた文章の読みづらい人来たよ。

二一世紀の錬金術師
多能性細胞集団によって、人体の部位を形成する事が可能ならば、これをより上手く応用することによって人体を錬成する事も可能ではない。 というお話。
でもこれだと、魂は作れないし、精神はどこへ?
これはロイが行った生体錬成であって、人体錬成じゃないよなぁ。
 
 
反サイボーグ
機械は機械の作用によって「それらしい」腕の動き、脚の動きをしているだけ。実際に腕にコイルがあるわけじゃない。とかそういう話なんだろうけれど。
「理論的には機械が生体に対して優位になっているために、今度は逆に、四肢や臓器が「複雑で精密な」機械であると見なされるにようになる。」の理屈が分からない。
何をもってして、機械が生体に対して優位としているのか。その「理論」は何なんだ?
だって氏曰く「偶々多少うまく機能」(随分失礼な言い方だが)する程度のものなんだろ?
単純に肉体の機能は「複雑で精密な」為その機能を機械で行う(例えば自ら脈打つ人工心臓を作る)のは難しい、そういう事ではないんだろうか?
 
また、「『鋼の錬金術師』は一貫してサイボーグ表象につい否定的である」
本当にそうかな?

1 エドの機械鎧
「アルの魂と交換して取り戻し」ていない左手でもさんざん殴ってる。
ここは「錬金術ではなく素手で殴る」事に意味があるのであって、「機械鎧ではなく素手」で殴る事に意味はないと思うのだけど。なら左脚で蹴りまくれってか?(笑)
最終的に、エドの左脚は機械鎧のままだ。そりゃ暑い砂漠を渡るのも、雪山で過ごすのも大変だ。けれどそれを受け入れたってことは「否定」はしていないって事だと思う。
 
2 アルの鎧
「原理的にサイボーグは存在しないし転生も不老不死もありえない」 がよくわからない。
これ「人」ではなく「人外の器」での転生や不老不死の意味で言ってると思うのだけど。
そもそもサイボーグは転生や不老不死の道具じゃない。それが出来ないから否定というのもおかしな話だ。
 
3 ローテク
機械の事は詳しくないのだけど。ラジオは電磁波じゃないんだろうか? 
電磁波と光を同一視というのもよく分からない。
MO(光磁気ディスク)を見て「これは「光」そのものだ」と言う人はいないよなぁ。
「光は影を生み出し危機に落としいてる」だけの存在なら、発光弾の立場をどうしてくれる(笑)。光があるからアルはプライドから逃れられたのに。
光は使い方ひとつってことじゃないのか? しかもこれサイボーグから話がズレてない?
 
4 生体の中枢
「心身が完全に離別することはないのである この心身関係の設定は今日の表象文化においては異例」? いや、死ぬときは離別するでしょ、そりゃ。それに幽体離脱もののマンガなんてのは良くある。あれは異例じゃないのかな? 論証を見せてくれないと、どれほど異例なのか分からない。
「脳がさして重要な位置を占めなくなる」
肉体にはもちろん脳がある。だからアルは思考が出来るし過去の記憶もある。鎧アルは確かにアルなんだっていう論証にも一役買っている。これは重要じゃないのか?
「実際、合成獣や人造人間の中枢をなす賢者の意思の座は、脳にあると設定されていない。」
合成獣はそもそも賢者の石を持っていないし。パーフェクトガイドブック3には「体内のどこに賢者の石を持つかはまちまちのようだ」とある。化け物エンヴィーの頭が割れて人型エンヴィーが出てきたってことは、脳とは言わないまでも頭部にいたかもしれない。また、フラスコの中の小人に至っては、リンに賢者の石を植え付けようとした時、額から賢者の石を取り出してる。だってそうだよね、フラスコの中の小人の中身は賢者の石なんだから。どこを切っても、脳の辺りを切っても賢者の石だ。
 
5 死
生き物は死ぬでしょ。普通。それを描いたからサイボーグを否定しているって、そりゃないぜ。サイボーグを肯定していない=サイボーグを否定しているなんて、極論ここに極まりだ(笑)。
それにエドとアルは、生きることに執着しているからこそ、機械鎧を装着してでも、鎧に魂を定着させてでも生きようとしていたんじゃないのか?

「構築式」について   
サイボーグにおいての構築式は数式であり、それはサイボーグを動かすための外的要因とすることは出来るが、サイボーグそのものを作る事は出来ない。
対して『鋼』は「私自身が構築式」であり、自分で自分を錬成することも可能。
これを読み抜くのは難しいがそれが『鋼』のドラマの核心である。

要約はこんな感じでしょうか。
なんか、「難しいけど難しいから素晴らしい」言われてるようだよ(笑)。
自分にとっては難しいとは言わず、それでいて答えは提示しない。
「読み抜く」って言葉が大辞林(yahoo excite)、大辞泉(infoseek goo)、三省堂WEB DICIONARYで調べても無くて。ググって唯一まともに理解出来たのは、将棋の盤面から相手の考えを全て見抜く、読み切る事だった。それでこの言葉が合ってるのだとしたら。
 
「サイボーグと錬金術における、構築式の意味合いの違いに気づいた自分、偉いっ。これ見抜ける奴そうそういないんだよね。実はこれが『鋼』の核なんだけど」と言ってる風に取れますが?
 
まあいいや。「読み抜く」事は出来ないけど、「読み解く」ぐらいはしてみましょうかね。さて。
 
サイボーグの構築式は外在的であり、錬金術の構築式は体内にある。この違いについて。
ここに書くより、サイボーグがすでに、構築式を内在的にもっていることは、次に掲載されている原克氏の論考を読めば明らか。
 
錬金術の構築式が体内にあるとするのは、あくまでも真理の扉を見たものだけ。普通の錬金術師にとって構築式は外在的なものである。

例えばエドが手パンで機械鎧を手甲に変えるのは機械鎧に対して外在的に行っているアクションだ。
それはサイボーグだってボタンひとつでミサイル発射とか(笑)、それは冗談にしても、外在的なアクションによって用途を変える事は可能だ。


そこから何故、サイボーグにサイボーグは錬成出来ない事からダメ的な話にすり替わるのかが良く分からない。
何故サイボーグでサイボーグを作れなければならないんだ?
エドにだってサイボーグ(=機械鎧)を一から作る事は出来ない。錬金術は「理解、分解、再構築」なのだから。
機械鎧の成分「理解」が欠けていたら出来ない。それはバッカニアの機械鎧を破壊出来なかった事でも証明されている。
  
なのに、何故このふたつを同列に並べて語ろうとするのかが分からない。
  
これは人間と植物を並べて、同じく呼吸する生き物なのに何故植物は動けないのか。植物は動けないから劣っていると。そう言っているようなものじゃないのか?
  
サイボーグはサイボーグを再構築する為に作られたものではない。
そしてサイボーグは欠けた肉体を補完するためだけのものでもない。装着者が引け目を持たず、何かをあきらめることなく生きていけるよう、心を補完するために作られたものじゃないのか?
  
対して錬金術は欠けた部分を補完する為にあるのではなく、もともとそこにあったものを再構築する為のものだ。用途が違う。
そもそも欠けたものを錬金術で元に戻そうとした事が、エルリック兄弟の誤りでは無かったのか? ゼロから再構築出来るものなんて無い。
そこにまで詰めて語るのならば納得がいくんだが。
   
氏は『鋼』を絶賛しているように見せているが。『鋼』が人体錬成を扱ったからこそ誉めそやし、そうすることで、ES細胞やiPS細胞といった、再生医学を誉めそやしたいだけなんじゃないのか?
そのために『鋼』を恰好の餌にして、サイボーグを否定する屁理屈をこねているように見える。
  
  
そして。
人体錬成には代価が伴う。
エドは、脚を失い、腕を失い、他人の魂を使い、真理の扉を失った。
手や足を失っても人間は人間だ。
けれど、エドの身体は、一度は分解され再構築された代物だ。
そしてさらに、他人の命を犠牲にし、人なら誰もが持っているはずの真理の扉を失った。
それでもまだ自分は人間と呼べる生き物なんだろうかと。
それを疑問視しなかったエドを、私は不思議に思ったくらいなのだけどね。
    
現実の再生医学についても同じ事が言える。
ES細胞は人の元となるものを殺さなければ使えず、iPS細胞は遺伝子操作が必要だ。
遺伝子組換えを行ったジャガイモのポテトチップすら食えない人間が、自分の身体に遺伝子操作した手足を付ける日が本当に来るんだろうか? 自分が人間ならざるものになる事への拒絶意識はないものなんだろうか?
   
ならば、サイボーグでも再生医学でもどちらでも選びたい方を人は選べばいい。
それではいけないんだろうか?
  
   
生体の差異と反復
ここまでが外因的注釈であり、ここからは内容の読解だという。
つまりサイボーグの終焉なんてのは注釈で。これからは生体練成の時代だ、というのが氏にとっての主体だったわけだ(その為に「荒川弘もサイボーグを否定している」という言質が欲しかったのだろうけれど。言質がとれているとはとても思えないのだけどね)。そして。
   
1 七人の人造人間の差異
2 構築式の血肉化の差異
3 賢者の石の機能の差異
4 生殖の差異
生体における疑問や問題がずらりと並べられた。
   
4点の列挙時には「難しい」「問題がある」とし、著者自身を「読み手として(略)非力」とし、「問題を喚起してくるからこそ『鋼の錬金術師』は重要」と解きながら。
これら「一連の疑問や問題はすべて、作品によって読み手に課されるものであるが、作品において内在的・芸術的に解決されており」とある。
   
結局、著者にとってこれらは問題の喚起なのか? それとも解決済みの事象なのか?
どうにもはっきりしない。
ここでもまた「なんだかよく分からないけど、よく分からないから素晴らしい」とでも言われているような気分になる。
何せ初読の感想は「いきなり結論で逃げやがったな、こいつ」でしたから(笑)。
 
それに、問題喚起などと言うが、別に解けないレベルのものでもないと思う。
「読み抜く」とは言わんが、著者の意図と合っているかは別として、とりあえず推測くらいは立つだろう。
  
1 七人の人造人間の差異
人体錬成の失敗例だからじゃ無いのか?
人柱に使う為の優れた人間の生成。
魂の着脱、擬似心臓、人体構成物操作、屈強な肉体、生体エネルギーの強化、真理の扉の接合。
けれど、結局どれも「優れた人間」ではなく「人ならざる者」しか作れず。
人は人でしか作れないという結論。
最後には「人」に賢者の石を入れてホムンクルスを作ったが、それも失敗だったのか、あるいは人から人柱を収集する事にシフトチェンジし、その為に上に立つ人間を作る必要があったのか。
どちらかなのだろう。
   
2 構築式の血肉化の差異
何を持っていかれるかは真理の判断。それは「真理は残酷だが正しい」ではいけないのか?
「真理」は、「神」は「神」でも「荒神」だ。「荒神」は「自然」の具象化。
祈っても信じても救ってなんかくれない。供物を捧げ奉り、神をなだめ怒りに触れないよう人々は慎ましく暮らす。
一度事が起きれば何が起こるか、神のみぞ知りたもう人の身では分からない。
それが「真理」だと思っている。
差異が出るのは真理の気まぐれ。それではいけないんだろうか?
   
3 賢者の石の機能の差異
同じ錬成を行うのでも人によって構築式は違う。プログラミングだって同じだ。
エドとアルが人体錬成の際に体蛋白の構造から人体錬成を考えていたことからも分かる。
その際にはきっと違った結果が出ていただろう。
また、同じ塩でも、岩塩と海塩では見た目も含有物も違う。
雪の結晶だってその時の気温や湿度などによって形は変わる。
賢者の石を作った人間の構築式、その場の環境、などで変わるのでは?
余談だが。
駝鳥だったかな。駝鳥は恐怖のまま死ぬと肉の味が落ちるのだとか。だから締めるときは駝鳥に気づかれないよう殺さないといけない、なんてのをどこかのマンガで読んだな。賢者の石にもそんな影響があったりしてね。
      
4 生殖の差異
「子供が産めない」とは一言も言っていない。
ホーエンハイムの理屈が正しいなら、最後に残った魂が人間ならブラッドレイにも子種はあったはずだ。
そして魂がなくなっても彼の身体は消えなかったのだから、彼の最後の魂は人間のものだったのだろう。
ならば、セリムの保護者的立場としてブラッドレイが適材だったからこそ、軍上層部は自分の子供など持たせなかったと考える事だって出来る。
跡目争いなど起これば面倒だし、常に子供が側にいることでセリムの違和感に感付かれる事なども避けたかっただろう。
ぶっちゃけ、夫人に病名を偽り卵巣摘出くらいしていてもおかしくないと思う。
そして。フラスコの中の小人が子供を産んで見せたのだって、あれは賢者の石で錬成したホムンクルスであって人間ではない。グラトニーだってあれと同じように腹から産まれてくるシーンが合ったよな。
  
  
これらはみな、単に回収されなかった伏線というだけではないのか?
確かに物語の中に答えは出ていないが、上のように「推測」レベルなら答えを出す事は可能だ。
けれど、もっと有機的に使えば、もっともっと物語が広くなったであろう伏線のタネ。
いやー、書くも書いたり。よくこんな量の伏線を捨てたものだ。私にはそんな風にしか見えないのだけど。
   
そして。「多数多様な生体の描き分け、しかもその差異によってドラマを構成して駆動させている」
うん、だから。その為の存在なんじゃない?
差異は問題提起に在らず。
伏線として機能させず、ただ物語にバリエーションを添える為に使用された。そう思うんだけどなぁ。
  

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