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ユリイカ 2010年12月号 感想13

パラケルススの「裔」として 八代嘉美

iPS細胞はなんともタイムリーで。最近こんな記事が踊ってます。
iPS細胞特許、京大に一本化 米企業、係争避け開発加速
iPS細胞「初期化は不完全」 米研究所
京大と島津製作所 iPS共同研究で契約

シャンバラ初期化への道は遠いらしい。

iPS細胞とはどんなものなのか? それはこの辺りを読んで貰うとして(iPS細胞とは? iPS細胞基本情報)。
ようは再生医療の要となり得る細胞であるということ。
エドの腕や脚、イズミの内臓、ハボックの脊髄といった、「失ったもの」(「壊れたもの」ではなく)を元に戻す事は錬金術では出来ない。
それすらも可能にするのがiPS細胞だと言われている。
 
『鋼』が連載開始した2001年当初、再生医療については『鋼』の方が現実よりも先を行っていた。
「人体錬成」が成功すれば、失ったものを取り戻す事は可能なのだと。
至極マンガ的発想のはずだった。
ところが、本編が終了した2010年になってみれば、もう現実は『鋼』を飛び越えつつある。
iPS細胞が使えるようになれば、失ったものを取り戻す事は可能なのだ。
 
もちろん、マンガにだってストーリー展開ってものがある。
もし今でもご実家の地域でクローン牛の研究がされているのだとしたら情報ぐらい入っていただろう。
内心ヤバイな、と思っていたかもしれない。
けれど「現実がこうだから」といっておいそれと物語を方向転換する事なんてそうそう出来るものでもない。
ならばここで、「それ見たことか」と言ってしまうのはフェアじゃない。
 
だけど。
荒川先生は「よくわからないけれどもなにかしら自然に反しているということも感じていた」と言われていた。
 
その「わからなさ」を最後まで突き詰めることはできなかったのだろうか。「賢者の石」たるES/iPS細胞を身体に取り込むことは是か、非か。どこからがモノで、どこからが命か。(略)違和感の姿を描ききれなかったことは作品のために惜しまざるを得ない。
 
そうだよな、と思う。思わざるを得ない。
「思考を止めるな」と。そう描き続けてきた荒川先生自身がそこで思考停止してしまっていた事が残念でならない。
  
「生きて生きて生きのびて、もっと錬金術を研究すればボク達が元の身体に戻る方法も…ニーナみたいな不幸な娘を救う方法もみつかるかもしれないのに!! それなのにその可能性を投げ捨てて死ぬ方を選ぶなんてそんなマネ絶対に許さない!!」
 
アルの心に共感した。アルは荒川先生の代弁者だと思っていた。けれどそれは思い違いだったんだろう。
  
「狗だ悪魔だとののしられても アルと二人 元の身体に戻ってやるさ だけどな オレたちは悪魔でもましてや神でもない 人間なんだよ たった一人の女の子さえ助けてやれないちっぽけな人間だ」
 
人は神の領域を越えてはいけない。神ではないのだから。命を勝手に作ってはいけないのだと。
だからこそ物語の中でもまた、他人の命を勝手に扱う神のごとき賢者の石というものを諦めさせてしまったのだろう。
それは何かしら自然に反しているものだから。
 
 
それでも。
  
読むものの心を揺り動かしたのは、(略)人はどこまで生命のあり方に迫ることができるのか、その行為を行うことは、果たして正しいことなのかを問いかける作品であったからだろう。運命に抗うがごとく、生命のありようを求めてあがき続ける少年たちの姿、その「あがき」こそが作品の魅力として光り輝いていた。だが、物語が進むにつれ、「あがきの物語」は少年たちの成長譚へと重心を移し
 
アルのこと、ニーナのこと、キメラのこと、イシュヴァール人のこと、ホムンクルスのこと。
色んな生命のあり方があった。
ニーナのことがあり、キメラ達に出会い、その生き方を好ましく思った。それでも。アルは「それでも元の身体に戻りたい」と言った。
それもひとつの終着点だと思う。でも。
 
「あがき」こそが作品の魅力として光り輝いていた。
 
胸にストンと落ちた。
「元の身体に戻りたい」最初はそれだけだった。「狗だ悪魔だとののしられても」必ず元の身体に戻ると。
「目的を果たすまでは、針のムシロだろうが座り続けなきゃならないんだ」と語り、
後ろ指さされようと、石にかじりついてでも、誰を敵に回してでも。
唾棄されようが、脚蹴にされようが、頭一つ下げて情報が手に入るなら喜んで土下座する。
何がなんでも元の身体に戻ってやる。

そう思っているのだと思っていた。
その姿に惚れた。偽悪的なまでのガムシャラさ。あるいはその背徳心に酔いしれたと言い換えてもいい。
軍属に入ったということは、たとえそれが人を殺すような事になっても、ということだ。
初期のエドはそれを確かに意識していた。
いつ国家兵器として召集されるか怖いと語るイズミとの会話でもそれが分かる。
 
それが途中から変わってしまった。
予兆はあった。
「あんな奴に頼るのだけはごめんだ」。この子は、父親を頼るくらいなら国家兵器として人を殺す方がマシなんだろうか? 最初に感じた違和感だった。
「悪党はボコる!!どつく!!吐かせる!! もぎ取る!!すなわちオレの総取り!! 悪党とは等価交換の必要無し!!!!!」
元の身体に戻れるかもしれないと期待したアルの目の前でそれを潰し、その方法を聞くよりも先に自分の怒りを優先した。
 
両方とも頭に血が昇っていた時の発言だ。エドは冷静さを欠いていた。そう受け取る事は確かに可能だ。でも。
元の身体に戻ることにそれほど熱心じゃないんだな。エドはアルほど切実じゃないものな。そう思えてしまった事は否めない。
それでもそこから目を逸らす事が可能なくらいエドの「あがき」は随所で見えていたから目を瞑るくらいの事は出来た。
 
 
明らかに変わったのはヒューズの死を知った時。
「なにが何でも元の身体に戻る」に「けれど誰かを犠牲にするならあきらめる」が追加された。
クセルクセスでさらに「誰も殺さない覚悟」が追加された。
   
もしここで。
もし、あがいてみせたらどうなっただろう。
ヒューズの死が自分達のせいだと分かっていてもなお、
「それでもオレ達は元の身体に戻りたいんです」そうあがいてみせたなら。
元の身体に戻れたら、その時には人でなしと罵られようがどんな罵倒も罪も全て受け入れるからと。
そんな最初の頃の二人のままだったなら。

「絶対元の身体に戻りたい」でも「誰も殺したくない」。
賢者の石を使って元の身体に戻るのならこの考えは矛盾する。
でも、その中で二人があがき続けるならその二律背反した心を描く事で物語は成立する。
それではダメだったんだろうか?

誰も殺させないと誓ったエドを格好いいと思った。その気持ちは否定しない。
だけど。今なら分かる。
私が本当に見たかったのは「人を殺さない覚悟」じゃない。
 
「人を殺す覚悟」だったんだ。
 
いつだって「人を殺す覚悟」を胸に秘め、自分達を責め、それでも互いの身体を元に戻してやりたいと己を叱咤し歯を食いしばりあがき苦しむ。
そんな二人だ。そんな莫迦な二人を私は愛しく思っていたんだ。
他人の犠牲のうえにしか成り立たない幸福を、それでも手にしたいと思ってしまう気持ちを。
最後まであがいてあがき抜いてそのうえで。
その時にはじめて。
 
誰かを犠牲に出来ない自分に気づいて欲しかった。
 
 
そのムシロからおりたことは、彼らの生命観の成熟と捉えることも可能ではあろう。だが、iPS細胞からの生殖細胞の樹立研究すら取り沙汰される時期にあって、エルリック兄弟だからこそ、技術と生命の関係を再定義することができたはずなのだ。
 
・「元の身体に戻ることをあきらめない」
・「誰かを犠牲にするならあきらめる」
・「誰も殺させない」
それら全てをフィックスしようとすれば、それはもう「何がなんでも元の身体に戻る」では無い。
「あきらめるな」と言いながら、すでに「あきらめ」ている。
100%の可能性の中で1%の可能性を捜していたわけじゃない。
100%の可能性の中ですでに20%を諦めて、残りの80%から可能性の1%を捜そうとしている。
そうやって過去に言っていたことを否定するかのように「可能性を投げ捨てて」しまうことが私はたまらなく嫌だったんだ。
  
エドはあきらめる事を覚えた事で、その根っこの部分がどんどんブレていった。
それを成長と呼ぶならば確かにそうなのだろう。
誰だっていつまでも、月を取ってと泣き叫ぶ子供ではいられない。
空を見上げる事をやめて、他の遊びを覚える子がほとんどだろう。
だけど、月を望遠鏡で眺めたり宇宙飛行士を目指したりそういうシフトチェンジがあるように。
「仕方がない」とあきらめて欲しく無かったんだ。
アルが言っていたように、生きて生きて生きのびて、人体錬成や賢者の石から目を逸らさず、その仕組みをつぶさに研究して、そこから二人が出した結論だったなら、例えそれがどんなものであれ(例えそれがアルが元に戻れない結論だったとしても)きっと私は納得したんだと思う。
  
 
  
補足として
iPS細胞が、錬丹術だったのでは? そう答える向きもあるかもしれない。
もしかしたら物語の後に、錬丹術を学んだアルがそこへ辿り着く日が来るかもしれない。
でもそれはまた別の話だ。タラレバの物語でしかない。
結局習得出来ないまま消化不良で終わっているのだからそこに意味などない。
荒川先生自身が答えている通り、錬丹術で欲しかったのは龍脈と遠隔操作だけだったのだろう。
  

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