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ユリイカ 2010年12月号 感想9

巧緻の愉楽 佐藤亜紀

あまりにも感想の書きようの無い内容なんでどんな人かちょっと調べてみたら。あの人か。

自著の『鏡の影』が絶版になったのは、芥川賞を獲った平野啓一郎氏の『日蝕』が自著のぱくりだとバレるのを新潮社が恐れたからだと抗議してた作家。当時そんなネタ記事読んだ記憶あるぞ。
 
平野啓一郎氏の『日蝕』は刊行された当初私にしては珍しい「ジャケ買い」で読んだけど。
文章がひっじょーーーにっ読みづらいは、内容がまったくチンプンカンプンだわで、つまんなかったです…orz。
そういえばこれが原因で純文嫌いに拍車かかったんだわ。
で、どんな話だっけ? 神学生だっけ? 確か宗教がらみだったよな。両性具有だとか、巨人が出てきたのはなんとなく覚えているんだけど…と思ってググってみたら。
蝸牛は棘の上に 平野啓一郎『日蝕』
グノーシス主義? 錬金術師? ヘルメス? 賢者の石????
ええ???? そ、そんな内容だったっけ????
いやいや、とはいえさすがにアレにまた金を出す気にはなれないしなぁ。今見ても、この文体とっつき憎いぞ。↓
文学の遠吠え 感想『日蝕』
うーん、図書館で借りるか。本屋で立ち読みするかなぁ。
  
てことは、佐藤亜紀氏の『鏡の影』もそんな話なんだろか? 
だったらそっちで読むわ、と思って調べたけど。
出てこねぇ。そこは被って無いのか? なんだ残念。
 
ということで、佐藤亜紀氏のサイトを見つけだらだらと読んでみるとすげぇ毒舌家。
こりゃファンじゃなかったらお近づきになりたくないタイプだわ。
巨匠、山田正紀、小松左京にまで辛口コメントしてるって?
そんな人が、『鋼』を褒めてるのってある意味すごいや。

んで書いていある内容だけど。
確かに的を射てるけど、そこって重要なんだ? って内容なんだよねぇ。
『鋼』においてパーティチェンジにイベント性はなくインパクトを必要としていない。それは各キャラクターの使い勝手が良くなければ出来ないって事。
確かにパーティチェンジの多さは、年表(しかかり中)を書いていてすごく実感した。並べる順番をどうするか非常に迷った。どう配置しても隣りのキャラとずっと一緒に行動、てのが無いんだもん。
 
でも、この近代小説的な「立体的な人物」ってのが分からん。なにも説明がないけど文壇用語なのかしらん? 
「多面的」って事? 「キャラが立つ」とかそういう話?「人間の立体性を無邪気に信じられるような世界には、我々はもはや生きていない」って言われても「???」
「立体的な人物」てのは現実において夢まぼろし、くらいしか読みとれない。
稀少さを誉められてるのか、古くさいと貶されてるのか。なんか微妙?
  
てことは、誉めているのはもっぱら絵って事になるのか。
しかし肝心の絵については、なんていうか。
「パースの狂いは殆どない」ってそりゃ狂ってる方がマンガ家として問題でしょっていう。
うーん、まあ分かるのよ。
昔、芸大出身の某マンガ家さんの、金網の上で前かがみになっている絵のデッサン? パース? が狂っていて、まるで金網の側面に足をついてるような変な姿勢に見えたのがあってびっくりした事があったんだよねぇ。
荒川先生が金網の上のエドを仰ぎ見る絵を描いた時、あ、この人は絶対そんな絵描かない人だなと安心した記憶がある。
でも、絵描きに「絵上手いですね」ってそれ誉め言葉なのか?
いやいや、同時進行の時系列についても誉めてるし、素直に受け取ればいいんだろうけれど。
うー、いかん。氏のサイト内の文章を読みすぎて、疑心暗鬼にしか読めなくなってしまった。
 

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コメント

通りすがりの者です。私はもともと佐藤亜紀読者で、氏のブロクで言及されていたことがきっかけで鋼ファンに流れたのですが、あの論考は佐藤氏としてはおそらく相当褒めているつもりだと思います。漫画である以上、ストーリーも人物造形も絵を通して表現することになりますので、氏が言う絵が上手いというのはすなわち漫画が上手いということかと。貶しているように見えるとしたら基本的なモチーフは映画などでもよくある型だと言っている箇所ですが、氏は既成のモチーフを使っていても調理法が上手ければOKという立場なので(たぶん)、ここは複数のモチーフを登場人物を介して織りあげる巧みさに着目している点がポイントかと。あと立体的な人間像うんぬんですが、基本的に現代文学はもはや立体的な人間像を描き出すことに一生懸命になったりはしないものなのですが、鋼はあえて立体的な人間像を造形することによって作品として成功している、という指摘であって、べつに現代的じゃないからいかんとかそういう話ではないと私は解釈しました。
確かに話の中身に一切触れていないのはちょっと不審に見えるかもしれませんが…内容的なことについては他の人が書くだろうからここではひたすらテクニックについて述べます、という主旨かと。

>縞瑪瑙さま
コメントありがとうございます。

>相当褒めているつもりだと思います。
おお、「相当」なんですね(笑)。
佐藤氏の文章に慣れ親しんだ読者の方が言われるのであれば安心ですね。
ありがとうございます。
 
他の寄稿者は象徴哲学関係の方が多く、そういった方々が物語の構成について書かれるとはまず思えない。
それに、作家だからこそ話の内容についてあれやこれやと言いたい事があるものではないのか? と思いました。なのにそういった視点からの話が来ない。
自身の得意分野とは思えない絵について語っている部分も多くある。
それは物語の内容について敢えてスルーしてみせることで、そこには褒める部分がないと言っていると深読みすべきなのか、つい頭を巡らせてしまいました(笑)。
  
作品を読んだ事がないので判断のしようがないのですが。
佐藤氏は作品を書くに辺り、テクニックに拘りをもたれているのでしょうか?
そのうえで褒められているのだとすれば、さらに嬉しいでのですが。

こんにちは。また通りすがりました。こちらこそコメントレスありがとうございます。

はい、佐藤氏はテクニック至上主義者です。心とか中身とかテクニック以外の何を通じて表現するのだ、くらいの勢いで(笑)

ここから先は私の妄想なのですが、私にはあの論考は、なぜ多くの読者が作者の意図に反して(?)登場人物に萌えたのかという謎を解く手掛かりとしても読めました。すなわち、複雑なプロットを人間関係を介して織り上げるために、登場人物たちには人間的な実在感を備えていることが要求された。それは結果的にキャラクターに対する読者の熱い思い入れを誘発した、と。
鋼における人間関係は、物語にとっては副次的な彩りなどではなく、物語の推進力そのものであった。だからこそ最初からキャラ萌え狙いでキャラが配置された作品にはない魅力が発生した、と。
…くだらない話だったら申し訳ありません(汗)

>縞瑪瑙さま

こんにちは いらっしゃいませ。
レスが遅れてすみません。
 
>はい、佐藤氏はテクニック至上主義者です。
>心とか中身とかテクニック以外の何を通じて表現するのだ、くらいの勢いで(笑)
 
おおぉ、なるほど(笑)。

>ここから先は私の妄想なのですが、

ああ、なるほど。前に他の記事で。
荒川先生はどう話が転んでもいいように、あらかじめ必要以上に伏線を用意し、結果使われないままの伏線を残してしまったのではないか、という事を話題にしたのですが。
登場人物についてもおそらく同じ方法を取っているという事なのでしょうね。
 
ただ。
物語の構成としては、このやりかたは不満を残す形になりましたが。
人物像の構成の場合、それが物語の中で有効利用されなくとも、それは伏線ではなく個性である為問題にはならない。
 
例えば、バトルに話を持っていきやすくする為、エドは短気であるという性格付けをする。それを分かりやすく説明する為、NGワードを設ける。
エドが「小さい」と言われて何故そこまでブチ切れるか説明する話を作る事は可能だろうけれど、無くとも特に困らない。
けれど、そういう性格であると設定することで、キャラクターに味が出る。
おそらくそういった事の積み重ねが、佐藤氏が言うところの「立体性」に繋がったという事なのかもしれませんね。

こんばんは。
ええとなんか私すでに通りすがりじゃなくなってますけど(笑)チビと言われると怒るというのはいかにもマンガ的なキャラ設定だと思うんですが、私が「立体性」という言葉で想定していたのは、もっと人間的な多面性のことでした。例えば短気なだけでなく計算高い面もあったり、豪放磊落に見えて繊細な面もあったり、青臭い理想主義とシビアな現実認識が同居していたり…というような。で、そういったキャラの人格は話の展開のためにあるというのは、バトルに持っていくためとかいうミクロな部分ではなくて、例えばグリリンがお父様から離反したり、大佐とアームストロング少将が手を組んだり、スカー達と協力関係になったりというような、もっとストーリーの根幹に関わる部分のことを考えていました。

登場人物にはそれぞれに人格があり、各自の個人的な思惑に従って行動しているのですが、それは作者としては感情レベルでの共感を誘う意図ではなく、この人たちがこういう人格の持ち主でなかったらこういう話の展開にはならなかったから、ではないのかなと。…私のつたない文章ではうまく表現できませんが。

私としては、りほ様が「立体性」の例として、私の目には逆に「マンガチックな記号化」に見えるチビと呼ばれてブチ切れる話を挙げられたのが興味深かったです。これって岩下朋世氏の論とも微妙にリンクしている気がするのですが。

最後になりましたが、私のような得体の知れない(笑)人間に丁寧なレスありがとうございます。

>縞瑪瑙さま

こんばんは レスが遅くなってすみません。

縞瑪瑙さまの発想は、キャラクターの多面性が物語を作っていくという感じでしょうか。
多分私は、縞瑪瑙さまとは逆の発想なのかも。
  
まず物語ありきで、その展開に持って行く為の要素をキャラクターに持たせて配置する。
ただしその際の要素は固定させない。根幹だけを決める。
縞瑪瑙さまは「ミクロ」と表現されましたが、どちらかというと「アバウト」(笑)かもしれません。
 
例えば「短気」というワード1つと「チビ」というNGワードを作る事で。
バトルに持っていきやすくする。その中でチビと舐められない為の虚勢を張る、リーチの足りなさを補う為に機転の良さを持つ、なども派生させる事が出来る。
そうやってあらかじめ種だけを配置し中身を決定付けておかない事で逆に、どんな形に物語が進んでいてもその要素から使えそうなものを自在に引っぱりだし物語の牽引力に出来る。
1つのワードでこれだけ広げられるのだから、色んなワードを持たせる事でさらに多面性を作れる。
そんな事を想像しました。
 
こちらこそコメントありがとうございました。

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