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エドが鋼の錬金術師じゃなくなった日

完全に空気読めてないタイミングですが、原作「鋼の錬金術師」最終回の考察です。
いやだって、ミロス始まったミロスの感想書きたくなるし、そしたら余計書くタイミング外しまくりになるし。
ということで、今のところあと3本予定しています。おいおいUPしていく予定。
ネタ的に、少なくともクロニクル発売前には上げるつもりです。
 
 

最終回のなにが気に入らなかったのか。
さんざんいろいろ書いてきたけどね。

本当の本当に気に入らなかったのは、論理が破綻していることが理由なんかじゃない。
だったら、水島版が好きなわけないじゃん。
FAに満足してるわけないじゃん。
 
荒川鋼にだけ、私の中で引っかかる何かがあった。
ひとつはエドが自分の為に賢者の石を使った過去を、無かった事のようにアルの為には賢者の石の使用を拒絶した事。
それはもうはっきりと分かってる。それは別の記事に書く。
  
そしてもうひとつは。
エドが「鋼の錬金術師」から逃げたこと。
 
まどかマギカの最終回を観て。いいなぁと思った台詞がある。とうとう魔法少女になってしまったまどかが言った台詞だ。
「魔法少女はさ 夢と希望を叶えるんだから」
本当はそんなものじゃないって。夢と希望を叶える代わりにそれと対価の呪いを生むのが魔法少女だって。
それを知って、そんな風に墜ちてしまった親友を目の当たりにもした。それでも尚「魔法少女」を信じるまどかに、まどかは本当の魔法少女になったんだと、そんな事を実感させた台詞だった。
それを観て思い出した芝居がある。
Team発砲B-zin(現在は解散)の公演。変身戦隊ゴメンバーが、変身しないで戦う、変身しない戦隊ゴメンバー(笑)になる物語。
変身をやめパワースーツに頼らず戦うその姿を見て、かつて変身ヒーローに憧れていた男が「あいつはたしかに変身しました」っていう台詞が格好よくてねぇ。
  
まどかを観て、ゴメンバーを思い出して、分かったんだ。
 
真理に「いいのか?」と聞かれてエドは「錬金術が無くてもみんながいるさ」と答える。
でも。
あのとき私が本当に聞きたかったのはそんな台詞じゃなかった。
本当の本当に私が聞きたかったのは。
   
「俺を誰だと思ってる」
   
じゃ、グレンラガンになっちゃうけど(笑)。
   
「錬金術がなくても、機械鎧じゃなくても、俺は鋼の錬金術師だぜ」そんな風に何でもない事のように軽々と自信たっぷりに言ってのけて欲しかったんだ。
  
ちょっと想像しただけでドキドキしてしまった(笑)。
   
錬金術を使えるのが錬金術師じゃない。真理を追い求める者こそが錬金術師だというのなら。そしてエドが真理を追い求める事をやめないというのなら。
錬金術を失って尚、間違うことなくエドは錬金術師だ。
そしてそのあきらめを知らない強情さこそ銘の鋼にふさわしいだろう。

「鋼の心」なんて取って付けた言葉を引っ張り出さなくても。
ただ一言「俺は、鋼の錬金術師だ」。そう言ってくれれば私は満足だったんだ。
(だから、5/21にアップしたあのMADは私のあがきであり希望なんだよ)
  
自己の確立。
自分を半人前だと自覚したとき初めて一人前になるような、失う事で初めて何かが手の中に残るような。
そんなエドの姿を私は見たかったんだ。
 
「自分のやったことに自信を持てない人なんて嫌いよ。今日までホワイトベースを守ってきたのは俺だって言えないアムロなんて男じゃない」
  
じゃ、ファーストガンダムになっちゃうけどw。
  
今まで自分がしてきた事を否定することなく、間違って来た事、人に迷惑をかけた事も含めて尚「鋼の錬金術師」である自分を全て受け止め肯定して欲かった。
   
「今のボクを否定する事は兄さんを…錬金術を否定する事になる」「ボクは錬金術の可能性を信じてる、信じたい」
アルはそう言ったのだから。
ならば尚のこと、そしてだからこそ、エドに錬金術を否定するよう言葉を言って欲しくなかった。
だって逆を返せばつまり、エドはアルを否定したことになる。
 
同じ台詞でもFAは気にならなかったのはね。
それはエドが己れを知っていたから。
「代価ならここにあるだろ でけぇのがよ」
この台詞。
マンガでは悟りを開いた風だったのに対し、FAのエドはまだ戦いをあきらめていない、そんな様相だった。
「こいつはオレの真理の扉だ てことはどう使おうがオレの自由だ 違うか?」
真理相手にすら喧嘩をふっかける。
鋼の錬金術師の真理の扉なんだからそれ相応の価値があるだろう? そう言わんばかりの、力強い錬金術師としての矜持を捨てていないエドがいたから。
だから、私はFAのエドの行動には納得しているんだ。
 
いつだって格好よく、時には怒りながら、時には自慢げに「鋼の錬金術師だ」と名乗るエドが大好きだった。
  
そして多分、「鋼の錬金術師」という物語が好きだから、そんなもんはなから間違いだったんだ、と言ってしまうような全否定をして欲しくなかったんだ。

「踊らされた」なんて。
 
それじゃあまるで、トリシャを生き返らせようとしたのは自分の意志じゃなかったみたいじゃない?
錬金術に唆されたんです。錬金術が全て悪いんです。自分は踊らされただけなんです、なんて。
そんな自分の行動に対する責任逃れをするような台詞、一言たりと口にして欲しくなかった。初期のエドは、そんな奴じゃなかった。
  
そんな姿がね。私にはそれがまるで、10年描き続けてきた「鋼の錬金術師」という作品に対する荒川先生の言葉のように聞こえてしまう。
まさに私たちファンは、荒川先生に金を排出する錬金術そのものなのだからね(笑)。
もし本当にこの10年間を自分の意志ではない「自分は踊らされ」て描いていたのだと思っているのだとしたら、それが執筆を終えての感想なのだとしたら、こんな寂しい事はない。

だからこそ、そんな言葉で「鋼の錬金術」という物語を閉じて欲しくなかったんだ。
  
そして「踊らされた」と全ての責任を押しつけておきながら、またそれにすがる2年後の手パン。錬金術を求める旅は、ちょっとね、今の状況に重なって見える。
  
なんかね。非常に悪い表現なのだけど。
  
どこまでもつくす女が隣りいることをいい事に、自分はヒモに墜ちてやりたい放題好き放題やったあげく、勝手にヤバいものに首を突っ込んでしょっぴかれる間際。
「俺はあいつに踊らされていたんだ、あいつが悪い。俺を愛してるならなんで止めてくれなかったんだよ。お前が俺をこんな風にしたんだ」って叫んでる感じ?(笑) そのくせシャバに戻ってきたらヒモの生活が忘れられず、またその女に言い寄ろうとする。
 
我ながら的確な表現だと思うのよ(笑)。
だから私は「どうしてエドは錬金術に「ありがとう」が言えないの?」って怒るし、すこぶる錬金術に対して同情的になる。
   
これで、エドは本当に成長したと言えるのかな。
私は首肯出来ない。
  

だからこそ。
まどかマギカで、「どんづまりになったら間違えてやればいい」の台詞が腑に落ちた。
多分、私はエドに間違えて欲しかったんだ。
それが正しくなんかないと理解したうえで、間違えて欲しかったんだ。
   
どんづまりの中で、誰にとっても正しい行動が何なのかを模索するのではなく、それが間違っていてもいい。誰かの恨みを買おうともそれすら背負う覚悟でいた「針のムシロに座る」と言っていたあの頃のように、ただ自分にとって譲れないものをひとつ選んで欲しかった。
って、まさにそれをやったのが水島版なんだけどね(笑)
  
エドが聖人君子に成り下がってしまったのが嫌だった、って前にも書いたけれど。
やっぱりそこにたどり着く。

お父様が、自分の罪を全てホムンクルスに押しつけて全っき存在になろうとしたように。
エドもまた錬金術に全てを押しつけて、聖人君子のような顔をしてみせた。  
なんかね。ホーエンハイムの台詞がよみがえってしまうんだ。
多分、最終話のエドに対して私はこう思ってる。

「おまえ つまらん奴になったなぁ」

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