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「戦場で歌う会」

「戦場で歌う会」と言う言葉が出て、最初に浮かんだのは。
「リリー・マルレーン」。
次に浮かんだのは。
「風に吹かれて」。

戦場慰問、反戦歌。そんなものを想像した。

 

ところがどっこい(笑)。
「セーラー服と機関銃」だの「あの素晴らしい愛をもう一度」だの。
戦場で「セーラー」?「機関銃」?
あまりにもノンキ過ぎでしょ?
こいつらいい年して何考えてるんだ?

正直、こんなやつらが戦争に巻き込まれて死亡したとしても「自己責任」で終わりそう。
たとえあの映像に一時、人々は嘆き悲しんだとしても、ただそれだけだろう。
そんな風にしか思えなかった。
現実に、日本人の戦場カメラマンが殺されたり拉致されりという事件があっても、ニュースが流れるだけでなんら人々の日常が変わらないように。

でも。「ヴァルハラ処女ヶ丘」を聞いて。あぁ、そうか、と思った。
あの歌に出てくる「少女・処女」は倉田由子なんだ。


小説因果論によると、もともと「戦場で歌う会」は女性がいることで、世良田達のターゲットになったのだという。
そしてマスコミの取材は全て彼女の元へと向かった。
  
色々表向きの理由はあっただろうけれど、おそらく誘導もあったのだろう。
美人だし、父親はなく、母親とのつましい二人暮らし。
視聴者のお涙を誘うには申し分のない人材だった。

マスコミには、顔写真が出てプロフィールが載る。
さらに「戦場で歌う会」と言われれば、やっぱり私みたいに人は戦場慰問や反戦歌を想像するんじゃないだろうか?
なんて献身的な心やさしい女性なんだろう!! 
マスコミはこぞってそう持ちあげただろう。
実際にどんな歌を歌っていたかなんて記す必要なんてない。秘すれば花だ(笑)。

由子は、マスコミによって世界の平和を「祈り続ける少女」、世界の悲劇を「嘆き続ける少女」にされた。
実際は処女どころかとんだビッチだったわけだけど(爆)。

「戦場で歌う会」は死を恐れず世界を正しい方向へ導こうとして道半ばで倒れた救世主。
マスコミが打ち出したのはそんなところだろう。
 
ここまで来て、第5話「幻の像」で英雄に祭り上げられた青年達が浮かんだ。
 
新十郎には彼らが「戦場で歌う会」に重なって見えたんだろうな。
そして「戦場で歌う会」のみんなのミダマを聞いていたからこそ、日輪の会の彼らのミダマもまたそこに重ねて見たのだろう。

「戦場で歌う会」は英雄なんかじゃなかった。
彼らはみなぼろぼろの劣等感を抱え、歌うことで何かから逃げ、死を恐れていた。
どこの誰とも変わらない平凡な人間だった。それを新十郎は目にしていたから。
日輪の会の若者達を必用に祭り上げようとする島田を嫌悪した。

けれど。
本心では死にたくないと思っていたとしてもそこから逃げ出さず大勢の人々を救う事を選んだのだと島田が語る彼らの姿は、ミダマを食まれる前に命を断ち自分を助けた由子の姿と、重なって見えたのだろう。

彼らにとって本心ではないかもしれない。
もしあの時にミダマを食まれたなら、語る言葉はもっと薄汚いものだったかもしれない。

例えそれが本心からの行動では無かったとしても、腹に一物もニ物もあったとしても。
それによって救われたのが事実なら、彼らは間違いなく人々にとって英雄なんだ。

その先も生きていれば「実はあのとき本当は…」なんて知りたくもない事実が語られる事があったかもしれない。けれどこの世にいないならそれを聞く機会は永遠に無くなり、綺麗な思い出だけが手元に残る。

だから1話「舞踏会の殺人」で、夫人は自分が英雄と信じる夫を殺した。
この先きっと出てくるであろう見たくもない真実を見なくてすむように。

おお、すごい。ちゃんと繋がった。

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