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小説 因果論 感想?

會川さんてつくづく奇特な人だよなぁ。
一見ほとんどアニメ通りなのに、実はまったく別天王の設定が違っている。
この別天王の設定だと、劇場版のあの台詞で世良田は死なない。

「真犯人は撃たれて死ぬ」だっけ?

この台詞で新十郎が殺せるはずだった。
教組大野は殺していないが、本物の大野を殺したのは新十郎なのだから。
しかし世良田の知らない処で警察は「牧田殺しの真犯人」捜査へとシフトしていた。
結果。

牧田を殺した世良田が撃たれた。

劇場版における別天王の設定は、世良田の言葉を相手側がどう受け止めるか、だ。
幻視化(?)されるのは「聞いた側」にとっての「真実」。
星玄にとって真犯人は世良田だった。だから世良田が撃たれた。
もし星玄がDNA鑑定を行わず未だ新十郎を追いかけていたなら、新十郎が撃たれていたはずだ。

ヤミヨセの会も同様。
やましい処のある人物を選んで世良田が獣に襲わせているわけじゃない。
自身にやましい処があるから獣に襲われる。
だから、潜入捜査の牧田は獣に襲われなかった。
彼は当時信仰心の必要性を感じていなかった。
潜入は警察官として必要なものであり、そこにやましさなど感じていなかっただろうから。


ところが。
小説版ではこんな台詞が出てきた。
「かつての友の命をつけねらう、薄汚れた豚の喉笛をかききる」

世良田のこの言葉によって、新十郎を殺そうとした矢田は獣に襲われ死ぬ。

劇場版の設定に則るなら。
聞いた側にとっての真実。つまり。
大矢が自身を「薄汚れた豚」と思っていた。
だから獣に襲われた、ということになってしまう。
そんな阿呆な。

さらに、新十郎が世良田を「友」と思っていなかったら。
あるいは、「かつて」ではなく「今」も世良田を「友」と思っていたなら。
「かつての友」ではない新十郎を「つけねらう」人物なら、獣による攻撃は行なわれな方だろう。

固有名詞・具体性にある言葉で言わない事には危なっかしいことこのうえない。

まるで「猿の左手」だ。
金が欲しいと願えば息子の死により見舞金が支払われ、息子に戻ってきて欲しいと願えばゾンビとなって現れる。
言った言葉は確かに叶っているが、それが本当に望み通りのものである保障は無い。


だが。
小説版は、「友」「薄汚れた豚」といったあいまいな表現であっても彼の望みは叶えられる。
劇場版とでは別天王の能力の根幹が違うんだ。

世良田の言った言葉が叶うわけじゃない。
世良田が言った言葉に乗せた思いが叶うんだ。

ならばそれは日本語である必要すらなく。
だからこそ日本語を知らないテロリストであってもこの催眠術は通じた。

小説版の別天王は人の言葉ではなく人のミダマを幻視化する。
そんな生き物なのかもしれない。


だから。この「豚」の台詞が出た時。
え? それじゃあ「真犯人」の台詞使えないじゃん。どうするつもりなんだ? と思って読み進めていったら。
しっかりラストを変えてきたよ、この人(笑)。
こういう処は絶対外さないよなぁ。

「あなたの罪は消えない。あなたは、必ず信者たちによってその命を奪われるだろう」

これが世良田の本心だったなら、今まで同様その場で「信者に殺される」という幻視によって新十郎は死んでいたはずだ。
世良田の中に本当は死んで欲しくないという思いがあったから別天王の力が発動しなかったんじゃないのか。
自分にとって邪魔な存在だからいなくなって欲しい。けれど死んで欲しくない。そんな気持ちもあったんじゃないだろうか。
それは友人だからかもしれないし。
高校の頃からずっと新十郎に言ってやりたかった言葉のせいだったかもしれない。
何が本心かなんてきっと本人にだって分からない。真実はたくさんあるのかもしれない。

新十郎は「おまえの言葉を現実に見せかけただけだ」そう言った。
うん。全て私の勘繰りすぎなのかもしれない。でも。

「別天王は、最後までおまえに忠実だったんだよ」
その台詞がね。
心から殺したいと思えない人間は殺せない。そんな世良田の良心に忠実だったんじゃないか。
まるでそう言っているようで、この台詞が胸を打つんだ。


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