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久々のシャンバラで

少し前に地上波で放映されたのを観たけど。
やっぱり劇場で観ると新しい発見が生まれるんだよねぇ。

     
前々から書いている事だけど。
原作で、フラスコの中の小人は、人間の都合で勝手に呼び出して知識だけを要求され、誰にも愛されず与えられずにいたのに。その人間が「お前はコミュニケーションを取ろうとせず他者から奪う。それは間違っている」とする理屈が、すごーく嫌だったんですよ。
じゃあ、あんたらはフラスコの中の小人に何を与えてきた? 自分達が彼にしてこなかった事を何故彼に要求する? というのがもう本当に腹が立って。
  
奪う行為が正しいとは言わないけど、そこは人間側も反省すべき点はあったはず。 どの口が御大層な正論を唱える?
しかも自分達の都合で呼出しておきながら、いらなくなったら元いた場所に戻れという傲慢さも嫌い。
FAではその罪をホーエンハイムが背負うシーンを入れてくれて嬉しかった。
   
で、水島鋼の場合。
水島版は、放映時まだ原作では描いていなかった部分を上手く、配置や様相を変えて描いていたものがたくさんあって原作で描かれてから色々びっくりしたものだけど。
フラスコの中の小人の立ち位置はラースだったんだなぁって今更気付いた。
  
人間の都合で作りだされたラース。だけど彼はイズミに愛され、互いに与え合おうとするエルリック兄弟を目の当たりにし、ウィンリィに機械鎧を与えられた。
だからラースはイズミを愛し、他者に与える事を知り、元いた場所に「帰りたい」と言えるそういう子になった。
  
フラスコの中の小人と真逆な存在。
  
当時、劇場版のラースの行動が唐突に見えて理解出来なかったのだけど。ていうかやっぱり唐突だとは思うのだけど(笑)。
  
ラースが報われ自分のいた場所に帰っていく姿は、あれは私が見たかったフラスコの中の小人の姿だ。
形を変えてそれを見れたことがね、すごく嬉しかった。
 

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