0100 鋼原作感想

2012/02/29

鋼の錬金術師 感想 総まとめ

荒川鋼(53話~108話)
シャンバラを征く者(2005.08.05~2007.09.25)(OVA 子供編含む)
FA(1話~64話・OP/ED・DVD特典映像)
荒川鋼 考察
嘆きの丘(ミロス)の聖なる星
ユリイカ 2010年12月号

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2011/08/02

クロニクル読んだ

感想羅列~。

まあ私が書くことなので、ツッコミ(愚痴含む)メインすよ

【追記 8/3 1:11】
最後のインタビューと描き下ろしマンガの感想が抜けていたので付けたしました。

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2011/06/15

ガンガン2011年7月号 鋼の錬金術師プロトタイプ ネタバレ感想

本当は先に、本編の考察をとっととあげたいのにー。
引用先の確認その他もろもろをしている時間が取れず、先にこっちをアップしちゃいます。 
 
えーと、うちの感想をお読みになっている方なら御承知かと思いますが。
やっぱり、ちょっと辛口になりました。そういうのが苦手な方は回れ右でお願いします。

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2010/12/31

鋼の錬金術師 27巻 おまけ 感想

おまけ言っても、4コマについての感想はパスということで(笑)。
最後の3ページ、トリシャとホーエンハイムの話の感想です。 
      
いい話、だとは思うんだけど。
うーん、荒川弘がで描かなくともいいんじゃないかな、と。
この手の話でいいなら同人誌を探せばありそうというか。
もっと、これぞ荒川弘じゃないと描けない話、っていうのが読みたかったなぁ。
     
これ読んだのちょうどゴーストハント1を読み終わった直後だったっていうのも影響してるとは思うんですけど。
最初は2コマ目までを見た時は「ああ、本編の終わった後の話ね」と思いましたよ。ええ。
でも。ホーエンハイムが草を踏んで「サクサク」って。
 
なに? 「サクサク」って。
 
幽霊って普通ーーーーっっに考えて、現世のモノには触れられないっつうのがセオリー、ですよねぇ。
  
何にも触れることが出来なくて自分が幽霊だと気づくとか。
生きている恋人に触れたいのに触れられないとか、そこから物語りが始まっていくのが幽霊もののセオリーってもんだと思うんですよ。
逆に幽霊が触れられる話つったら、怨霊が足首をがしっと掴んだりとか。ねぇ。
 
したら当然こう思うわけです。
 
「ホーエンハイムが生きてる頃の話なのか?」
  
リゼンブールに戻ってエドに再会したあと、ピナコの家を去ったあの辺りのタイミングか? なんて疑ったりね。
 
実はあそこでトリシャの幽霊と出会っていて、触れ合えないままある約束をするとかさぁ(それはそれでその補完具合が同人的ですけど)。
そんな話をものごっつ期待しちゃったわけですよ。
 
ホーエンハイムが幽霊だっていうのならさ。
そこは逆に音を立てない不自然さを演出する事で、幽霊って分からせるってのが定石じゃないかなぁ。
幽霊が音を出しちゃったら、だしちゃったら・・・・・・それってラップ音じゃん・・・・・orz。
 
逆を張って、ホーエンハイムが生きている時系列と見せかけておいて、実は本編後の物語でした。と持っていきたかったのかなとか思ったりもしたのだけど、別にそんな事も無く。
後先考えず安易に描いた感じがして、付け焼き刃というか、適当というか、描く事に対する愛情が見えなくてものすごくがっかりでした。
  
「りほさん、勘ぐり過ぎっ」なんて言葉は聞かんよ。
昔は、そういう勘ぐりする人間を黙らせるほど誤読を絶対にさせない人だったんだから。
 
それに。
そもそも、本編でホーエンハイムの魂は上に昇っていきませんでしたっけ?
「やっぱり死にたくねぇなぁ」って。
鳥より更に上から見下ろすあの俯瞰構図は、ホーエンハイムの昇天を示唆する為のものだったと思っていたんですけど。
まさか、単なる読者から見た神視点による構図であって、ホーエンハイムの魂とは一切関係ない叙述トリックでしたとか言う?
何も本編のいいシーンを、おまけの為に無かった事にしなくてもぉぉぉぉぉぉぉ。
そういうところのちぐはぐさもあったし。
  
トリシャが自縛霊だった(笑)のも意外というか。
キリスト教がないのだから天国という発想はない。ならば。まぁ、ありえない話ではないと、そこは思うんですけど。
成仏できないようなタイプだとは思ってなかったんだろうな。
上にも書いたように、ホーエンハイムも成仏したと思ってましたからね。トリシャは先に行っていてそこでホーエンハイムを待っているものとばかり。
ホーエンハイムが空を見上げてトリシャに「もうすぐだ」って言うシーンもあったし。
    
そりゃあ、小さな子供を残していくのは心配だっただろうけれど。
自縛霊になってまで留まるほど、現世に執着しているタイプには見えなかった、というのと。
あの場にいるって事は、自分のせいでエドやアルがあんな身体になる様をじっと見守っていたって事になるわけで。それが想像できないというか。
 
エドとアルは神様を信じていなかったけれど、本当に神がいないかどうかは分からない、という前提の話として。
神がいるのだとしたら、それってどれだけ残酷な仕打ちなんだ? と思う。
死んでまで、そんなものをまざまざと見せつけられなけばならないほどトリシャってどんな業の人だったの? って。
 
それに。親父が草踏んで音を立てられるくらいなんだから、ピナコの家のドアを叩くとかしてエドとアルを止める事だって出来たかもしれないじゃん(ほら、安易な方法を取るとこんな屁理屈だって思いついちゃう)。
 
あ、あと不服をもう一個。
一応夫婦なんだから、手をつなぐだけなんて可愛いことしてないで、最後の1コマくらいトリシャを抱きしめてやれよホーエンハイム、思た(笑)。
 
 
とまあさんざんな事を描きましたけど。
あのトリシャは良かったなぁ。
エドとアルの昔話に出てくるトリシャより、非常にさばさばしていて、マドンナっぽくないところがいいっ。
早くに死んだから、こう儚げなイメージが強いのだけど。
あんなうだうだした男の嫁やって、年子の男の子二人を育てていたのだもの。そんなんじゃやってられないよね。
容姿に騙されがちだけど、肝の据わった竹を割ったような性格でしたって感じがいい。
 
冬コミのあとの飲み会で話をしていて、本編中とキャラ違い過ぎっていう意見が出て、それはそれですごーーーーーーーく納得(笑)な一言なんだけど。
 
トリシャの回想シーンを、神視点ととるとアウトなんだけど、エドやアル、ホーエンハイムによる回想ととるなら。
結局思い出は美化されていたって感じになるんだよね。
あと数年長く生きていれば、エドとアルもあんな事はしなかったかもしれない。
あと数年長く生きていれば。
お母さんの世話焼きを邪険に思ったりする普通の男の子に育って、母さんに怒られるから頑張って二人で生きていこうぜ、そう思えたかもしれない。
あと数年長く生きていれば。
  
そのせつなさがね、いいなと思った。 

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2010/11/27

ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その16

1分で分かるなんとか、みたいな感じでとりあえず今まで感想をまとめてみました。  
  
・もしアルが元の世界に戻れなかったらエドを恨んだ(ネタバレ感想 その1
・いつだってエドは叫び続けていたのかもしれない(ネタバレ感想 その2
・エドの左脚はドコへ行ってしまったんだろう?(鋼の錬金術師FA63話と、鋼の錬金術師108話の狭間で(両方のネタバレ含みます)
・誤読させた構成(ネタバレ感想 その3
・いいシーンを描く事だけを優先した(ネタバレ感想 その4
・エドに錬金術への感謝の念はなかったのか(ネタバレ感想 その5
・エドにとって錬金術は”世界”であり”真理”であり”おまえ”(=自分自身)という考え方(ネタバレ感想 その6
・あの頃エド達は錬金術が世界の全てだと思っていた(ネタバレ感想 その7
・真理の扉はサーバという考え方(ネタバレ感想 その8
・錬丹術を紐解く時アルは父親に出会う(ネタバレ感想 その9
・妄想の隙を与えなかった後日談(ネタバレ感想 その10
・分かりやすさを代償にしたレトリック(ネタバレ感想 その11
・エドが俺、アルが僕になる瞬間(ネタバレ感想 その12
・明確に伝える努力はなされたか(ネタバレ感想 その13
・何故エドの言葉に感謝の念がなかったのだろう(ネタバレ感想 その14
・パワーバランスは崩壊した(物語におけるパワーバランス
・見たかったのは必死にあらがい打ち勝つ姿(喧嘩を売る人(ネタバレあり)
・アルの声はくぎみー以外考えられない(やっぱりアルが好き!
・ちぐはぐで危なっかしいアンバランスに魅了され(マルチタスクの必要性、あるいは閉塞からの脱却(ネタバレあり)
・過去を踏まえて語られなかった物語(
ネタバレ感想 その15
・面白さのピークは何パーセント?(一番酷いファン
  
壮観っ。こうやって並べるとまるで本のサブタイを並べたみたいだわ(笑)。
最終的な感想はあとでこの下に書きます。
書きました。ついでに上のリンクを二つ追加しました。
さて。
    
さんざん色々書いてきましたが。
コミックス27巻が発売されて。改めてそれだけを読んだら、実は結構面白く読めたんですよ。
いや参ったね。
相変わらず、グリードの台詞には受け取れねぇよなぁとか、ここでホーエンハイムが笑うのは解せねぇとか、せめてこのエドの拳に賢者の石を使わない意志がしっかり乗っていればなぁとか。
「あきらめろって言わなかったじゃないか」の台詞はやっぱりイヤだなぁとか。
不満たらたらなのは変わりませんけどね。
なんだちゃんと面白いじゃん。
 
27巻折り返しの「感謝のことばを~」には苦笑するしかなかったですけどね。
私の上の記事の2つは、エドは感謝の念が足りんって内容ですが、何か? みたいな(笑)。
語弊を承知で言うと、書かれている事は立派なんだが行動が伴ってないんだよなぁ。
上記然り。記事中にも書いたけど。
言葉にすることが大切と言いながら、作品自体は言葉不足で上手く伝わらなかったり。
対話が大切と言いながら、途中で対話を放棄しちゃう。
人外を人扱いし「人殺しは勘弁」と言わせておきながら、人外殺しを容認。
   
本当は誰よりも一番「鋼の錬金術師」を理解していなければならないはずの作者が、過去キャラクターに何を言わせ何をさせたのかスコーンと忘れた状態で描いてしまっていたんじゃないかと。
なんだかもう本当に全てにおいて近視的というか。
とりあえず締め切りに間に合わせる事だけで手一杯だったんだなと思う。
  
だから過去は全て横に置いて27巻だけの物語として読む分には申し分無く楽しめる。
ネタバレ感想 その15 に書いたような矛盾も発生しないからモヤモヤしない。ほーら万々歳だ(皮肉か?)。
    
私が毎月楽しみに読んでいた頃、毎月「あれ?」と思える箇所があった。「今なんか引っ掛かったぞ」。そう思うと。必ずそれは伏線として作用し次号で回収されていた。
その感覚がさ。もう本当に感動だったのよっ。まさかうちのブログの感想記事を読んでいるのか? と思うくらい的確で。
「まさに打てば響くってこういう事を言うんだぁ」って当時本当にゾクゾクするくらいその幸福を噛みしめてた。
毎月作者とのタイマン勝負のようで本当に楽しかった。
ところがだんだん「あれ?」と思っても次号でそれは回収されなくなっていった。
じゃあ来月号なのかな? その次かな?
そうやって待っているうちに「それは伏線ではなく作者のミスだったんじゃないのか?」そんな考えが過ぎっては否定して否定して、いつかきっと伏線が回収される事を信じて。
決定打をくだされたのが最終話。
矛盾は矛盾のまま何事も無かったように物語は終わった。
  
FAはね、そんな荒川先生のミスを、物語を壊さないギリギリの範囲で丁寧に拾って回収してくれた。
だから大好きっ。
私の中で荒川弘の大好きだったもの、そして荒川弘が失ったものをFAが引き継いでくれた。
私が「鋼の錬金術師」に幻滅しないで済んだのは絶対FAのおかげ。
それは本当に本当にささいな一言の追加だったり削除だったり表現の変更だったり。
「ほんのちょっとこう変えれば納得いくんだから。鋼を全否定しなさんな」
毎回そう言われている気分だった。
だから本当にFAには感謝してる。どんなに言葉を尽くしても足りないくらい感謝してる。
閑話休題。
 
過去からの矛盾全部に目を瞑れば充分楽しめる事は分かった。
それでも引っ掛かってしまったのはラストシーンだなぁ。
「終わりよければすべて善し」とはよく言ったもので。
小説とか、映画とか、舞台とか、マンガとか、アニメでもいい。
話の流れとか、大まかな流れすら記憶になくとも、最後の1文、最後のワンシーンだけは覚えているものってない?
あたしはあるぞ。すごくある。
 
「オリエント急行の殺人」(映画)の最後にグラスを交わすシーン、「十二人の優しい日本人」(映画)の部屋から出ていくシーン、「フランス白粉の謎」(小説)の最後にみんなが犯人に飛びかかるシーン、「ストレート・チェイサー」(小説)で明かされる一人称の意味。「魔術はささやく」(小説)の「うちに帰るんだよ」。「火星年代記」(小説)の百万年ピクニック。「JSA」(映画)の二人が偶然一緒に写っていた写真。「ダンバイン」(アニメ)のチャム・ファウが飛び立つシーン、「シャンバラ」(アニメ)の二人で空を見上げるシーン、「ポーの一族」(マンガ)で日記を綴り始めるシーン、「はみだしっこ」(マンガ)のグレアムの告白。「スケッチブック・ボイジャー」(舞台)の「夕顔なんて大嫌いよ。でも私はね。世界中の片思いの女の子の味方!」、「アローン・アゲイン」(舞台)の「ひとりで行けるさ もっと遠くへ」。
  
どんなエピソードが連なっていたかは思い出せなくても、ただひとつ。
辿り着いた結果により得た感情が描かれているあるいは想像出来る。ただそれだけでいい。
何の変哲もない平凡極まりない台詞やシーンでいい。
物語が終わりそこから日常がはじまる(銀英のパクリのようだ・笑)のだから。
だからこそ。物語の最後にそこに到達した時ずしっと重みを増す。
それが私にとって最高のラストシーンなんだと思う。
  
「痛みを伴わない云々」のナレーションが矛盾をはらんだ捻じれ文である点を差し引いたとしても。
プロポーズは別に物語が最終的に産み出した結果じゃないし、写真達は本編で描かれていない物語の結末だ。そしてエドがこの物語の結果により得た感情は描かれていない。
だから私の趣味には合わないんだろうな。残念だ。
  
だからホーエンハイムの死がラストシーンだったら良かったと思うし。
そうじゃないならせめてFAの「でも 兄さんも僕もそれだけじゃないんだよ。見てみたいんだ、世界の広さを」がラストシーンだったら良かったのになぁ、とまだ言ってみる(爆)。
      

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2010/11/26

一番酷いファン

単なる言葉遊びです。
  
最終話を読んでの感想。
ある友人曰く、こっちが勝手に幻想を抱いてしまったから「ひどいっ。○○君がそんな人だなんて思わなかったっ」的な(笑)女子高生みたいな反応になってしまったのかもしれない、のだそうだ。
また「これが映画だったら泣いたかもしれない」と言った友人は、私が気に入っていない理由を話すと「そこまで読み込んでいるわけじゃないから気にならなかった」と言った。
またある友人は「もともとそこまで作品を評価していたわけじゃないから、この程度が妥当だと思った」。
     
私にとって鋼の面白さがピークだった時期を100%としてみると、それは約束の日の前日まで、かなぁ(多少そのあとも入り混じるけど)。
それ以降は70%? いや60%? だけど107話でまた久しぶりに100%のものが見れてすごく嬉しくて最終話を楽しみにしたのに。最終話はまた60%に戻ってしまった。
  
では、最終話が掛け値無しに100%良かったという人達にとって。約束の日の前日までは何%に映っているんだろう。
  
ずっと不思議に思ってた。まさか同等じゃない、よねぇ。
構成、伏線の張り方、絵の安定度、どれを取っても、どう客観的にみたってあの頃の方が断然面白かった。そこに異論は無いと個人的には思っているのだけど。
でももしそこであの頃は140%だったと答えられたなら。
あれはもう二度と出せないミラクル、カスカスになるまで絞り出した火事場のなんとか、あるいは偶然が引き起こした相乗効果。そういった類のものだったとファン自らが認めたって事になってしまう。
  
となると、やっぱりどちらも100%と答えるんだろうか? んー、なんか解せないなぁ。
  
「あんたは、もっといい話が描けたはずだろ?」そう憤り実力を上方に固定したままのファンと、
「あれは偶然の産物。でも普段だって充分面白いよ」と実力を下方修整したファンと、
「どれも同じ。甲乙付けがたし」と返す、作者の力量に興味のない(?)ファンと。
果たしてどれが一番酷いファンなんだろうなぁ(笑)。
  
  

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ガンガン2010年7月号 鋼の錬金術師第108話「旅路の果て」ネタバレ感想 その15

すでにタイトルを「ガンガン」に固定する意味がなくなってしまったよ(笑)。
これが最後。次回は総括でガンガンの感想は〆。多分(結局もう一個増えたっ!)。
そう思って書き始めたせいか、語る内容を入れ込み過ぎてちょっとあちらこちらに話が飛んでいますね。
言いたいことはひとつなんだけどな。
ではいきます。 
 
 
対話の必要性、その漫画とアニメの差異
    
痛みを伴わない教訓に意義はない。
それが等価交換であり、それを乗り越えることで人は強くなれる。
世界がそんなふうに出来ていると言うのなら。
その機会は万人に与えられなければならない。
    
自分の行動が人を傷つける事を知り、悔い改め乗り越える。それを繰り返しエド達は強くなっていった。
いつだってそうやって犯してきた罪は許されてきた。
だけど。
「フラスコの中の小人」にその機会は許されなかった。
   
他の記事の繰り返しになるが。
罪があるのは「フラスコの中の小人」だけじゃない。それを生み出した人間にだってあったはずだ。
「お父様の罪は、対話をしなかった事」?
ご冗談を。欲しがるばかりでその対話する暇すら与えなかったのは誰? そこに罪はなかったのか? 
ホーエンハイム、ホーエンハイムの主人、そしてクセルクセス王。彼らは何故その罪を咎められない?
  
だからFAでホーエンハイムが「そうだよな フラスコの中の小人、ホムンクルス。おまえは俺の血から生まれたんだ」と言った事に私は救われた気がしたんだ。 
  
荒川鋼のホーエンハイムはどこまでも「フラスコの中の小人」を悪と見なし切り捨て、「53万6329人全員との対話を終えている!」と朗々と語った。
「対話の必要性」が暗に民主性を説いてるであろう事は百も承知。でも。
  
これってそんなにドえらく大事なシーンなのか?
だって、おかしいじゃないか。
確かに猛り狂う魂をなだめるのは大変だっただろう。
だけど。だったら何故「フラスコの中の小人」にも同じ事がしてやれない?
何故ホーエンハイムは彼の話を聞いてやれなかったんだ?
ホーエンハイムの話を遮って攻撃を仕掛けたのは確かに彼の方だけど。
それさえ宥めて尚対話を選ぶのが民主性であり、そうであってはじめて「対話」の大切さを語れるってものじゃないのか?
「対話することが大切なんです。だけど相手が聞く耳持たないなら武力行使は許可します」ではどうにもね。
 
それならば。FA63話の「私はどうすれば良かったのだ?」の台詞の方がよっぽど有意義に感じられる。
「フラスコの中の小人」が初めて他人に意見を求めたこと。
たとえそれに答えられる人がいなくとも。
もう遅すぎた芽生えであったとしても。
あれは「フラスコの中の小人」が最期に示した対話だった。
 
 
かつて語られた人の定義
 
初期のエドは、スライサーをアルと同じだから人間だと言い放ち「人殺しは勘弁しろ」と言った。
エドは自分が「人間」と定義した者は殺せない。ここでそれを明文化したはずだった。
 
身体に張りついた魂の声にエンヴィーを殺せなかったエド。
自分達が錬成した化物すら人間として扱った。
プライドすら殺さなかった。
 
エドにとって「人体錬成」によって作られたものは「人間」の定義に当てはまるということだ。
逆説的に言えば、エドが殺したあるいは殺しを容認した者達は、エドにとって人間の定義から外れているという理屈になる。
 
では。
エドが同じホムンクルスでありながら「フラスコの中の小人」を人間の定義にあらずとした理由は何だろう?
「魂乗せ」た人形を「アルフォンスみたい」としながら人間ではないと定義づけた理由は何なんだろう?
 
人形をロイが殺したあのシーン。エドの反応にギャグ色を入れてしまった辺りからもう「割り切る」とか「割り切れない」とかエドの中にあったはずの葛藤が無造作に扱われた。
「生まれた場所へ帰れ」と。「フラスコの中の小人」に事実上の死を与える事に躊躇しないエドを描くと決めた、その作者の信念はいったいどこにあるのだろう。
  
インタビューでも必要性を強調していた「対話」も最後には頓挫し、勧善懲悪の線が引かれた。
人になら与えられた慈悲も、エドが人でないと定義したものには与えない。
人でないものであっても「人間」と定義し殺せなかったはずのエドの信念は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
  
エドの行動は一貫性を欠き、その信念がどこにあるのか分からなくなった。
  
 
言葉の信憑性
  
結局エドのように人間の定義が広すぎる人間など存在しやしないということなんだろうか。
所詮自己矛盾の出る思想だと言いたいのか。
作者が言いたかったのはそこなのか? 違うだろう?
それは分かる。
でもそれは、話の流れからみてそんな物語を構成して「いない」からそう分かるのであって、作者自身が物語上でそれを「語った」からではない。
きっちり否定して欲しかった。そして理由を明示して欲しかった。
   
水島監督の言葉にもあった。本当に伝えたい大切な事は言葉にしなければだめなんだ。
特に鋼ではウィンリィに「口で言わなきゃ伝わらない事もありますよね」と言わせているのだから。作品がそれを裏切ってしまっては台詞の信憑性を薄れさせるだけなのに。
  
キャラクターの言っている事と、作品が語っている事とに矛盾が生じ、誰あろう作者が、キャラクターの語る言葉を絵空事にしていないだろうか。
  
 
行間を読ませるセンスと書く事で伝える無骨さ
 
昔の「鋼の錬金術師」の良さは、読者の想像の余地を残した部分にさえ、その余地は読者ごとにブレさせない一本道の思考へと読者を導ける技巧的手腕にあった。
描かれたシーン、語られる言葉についてはもちろん、描かれないシーン、語られない言葉の意味まですべてコントロールし提供出来る事がこの作者の強みだと、ずっと思っていた。
もちろん「こんな事があったのかもしれない、あんな事があったのかもしれない」、その振り幅はある程度持たせることはしていた。
けれど、決定的な所で、その先に見えるものが希望なのか絶望なのか、怒っているのか笑っているのか、そこを見誤らせるようなそんな誤誘導は絶対させない。
それが荒川弘だと信じていた。
  
だから多少の言葉不足があろうが内容の理解に困った事などなかった。
しかし何故か後半に行くに従いその特化していた技術力は消え、あるいは行使しなくなった。
だからこそ。
ならば描いて欲しかったんだ。 
  
例えば人形をロイが殺すシーンや、お父様をエドが殺すシーンに。
エドが自分の信念を無理矢理捻曲げた苦渋の選択だったのか。
すでにエドはそんな信念などもうどうでも良かったのか。
信念も理性もふっ飛ぶくらい感情が高ぶっていたのか。
何だっていい。
納得させるワンエピソードを一つ描いて欲しかっただけなんだ。
作者は昔のエドの信念など忘れてしまったんじゃないのか? そんな事を思わせないでくれる何かを。
        
「人殺しは勘弁しろ」、スライサー兄弟に言った台詞を回想させたらどうなっただろう?
ロイの復讐をみんなで止めたあの台詞達がエドの頭によみがえったらどうなっていただろう。       
そのうえでエドがどう行動を取るのかが知りたかった。   
 
 
過去を切り離す
     
「ここで回想シーンが入っていれば」。
他の記事でも同じような事を言った。
    
結局そう見えるって事は、過去をふまえて物語が語られていないって事なんだ。
過去の行動や経験の積み重ねの結果として最終回が成立しているわけでもなければ、過去の行動や経験に裏切られるあるいは意図的に主人公が裏切るカタルシスがあるわけでもない。
        
ただの駒のように過去があり、ただの駒のように未来がある。
積み重ねるでも、そこにホットラインを引くでもない。
だから過去に言っていた事やっていた事とに矛盾がでた。
      
人の定義が広すぎて敵すら殺せなかったエド。
なのに、人形を焼き殺す仲間の攻撃におののくことなく、「フラスコの中の小人」も殺してしまえたエド。
   
「誰もあきらめろと言わな「いでくれた」」とすら言えないエドの、未だ人に守られているという自覚の無さ。
こちらとしては、今まで守られていたからこそ今度は守りたいのだと、今は元の身体に戻る事を棚上げしてでも、お父様との戦いに挑んだのだと思っていたのだけどね。
    
今まで語ってきた物語と、今作者の語る物語とにブレがでた。
もう彼らは成長していると思っていたのに、「何を今更?」そう言いたくなる台詞の数々。
もし「実は途中から「荒川弘」は交代していた」なんて事実が発覚したとしても、私は「ああ、やっぱりね」と思ってしまうんだろうな。
  
 
矛盾の上に重ねた矛盾
     
友人曰く「鋼の最終回もモヤモヤするけど、00の劇場版もモヤモヤする。でも00はまた見たいと思わせる。同じモヤモヤなのに何が違うか分からない」のだそうだ。
00の劇場版は見ていないけど、何となく分かる気がする。
もしも、水島監督の作風がシャンバラの頃から変わっていないなら。おそらく答えはこうだろう。
そのモヤモヤは計算され意図的に作られたもの。
それがどことは分からずとも、自分が何か読み落としている気がする事にモヤモヤする。
思わせぶりに張られた伏線はない。それでも何かその言葉にそのシーンにも意味があるんじゃないだろうかと。 
そういう気持ちにさせるからモヤモヤするし、また見直したいと思わせる。
 
対して鋼のモヤモヤは意図的なものではない。
キャラクターの信念の齟齬
キャラクターの台詞の信憑性欠如
過去の物語と、今の物語とのブレ
言ってること(=キャラクター)とやってること(=作品の構成・世界観)の矛盾
これらをそうと認識せずとも、肯定なの否定なのか齟齬や矛盾が空回りし、結局何が言いたかったのか、過去の物語を覚えていれば覚えているほど、気に入っていれば気に入っているほど、ストンと胸の真ん中に落ちて来ない。
だからきっとモヤモヤする。
 

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2010/11/24

27巻で修正された箇所

27巻でトーン以外に修正された箇所は(私が気づいた範囲では)一か所でした。
まあ、そうなるだろうなとは分かっていたけどね。うん。
108話はご自身でも絵が粗いと言っていたくらいだから、せめて絵には多少手を加えるかと期待したんですけどね。
はかない夢だったなぁ。
 
んでもって修正された箇所。
107話p24とp26
雑誌掲載時
Ca3g0033_2
 
コミック収録時
Ca3g0031

「時間がない」の意味が、エドの危機だけでなく、アルが鎧に定着していられるリミットについても差していた事を明確にするよう付け加えられたようですね。
 
うん。それ自体はいい修正だなと思うんですよ。
雑誌で読んだ時もこれって気付かない人は気づけないままなんだろうなぁと思いながら読んだ記憶があるし。
  
んでもね。
その2つのコマの修正の必要性に気づいたならさぁ。そのコマを比較して。
何故、p24では錬成陣の内側まで入っていた亀裂が、p26では錬成陣の外側で途切れてるのか、その理由を明確化するか、修正するかしても良かったんじゃないすかぁ???????
 
どこまで期待を裏切られつづけなきゃいけんのよ、泣くぞ?


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2010/10/26

マルチタスクの必要性、あるいは閉塞からの脱却(ネタバレあり)

当時、會川さんが、小野不由美を天才と言い、なぜ荒川弘を天才と言わないのか、それがとてつもなく不満だった時期がある。
だけど今、それを納得してしまっている自分がいる事は、やっぱりちょっと辛い。 
    
なぜ自分はあの最終話の中でこうも納得出来ない箇所が多いのか。
   
ブログなどで「すごくよかった、感動した、ありがとう」などなど大満足の記事を読むと、純粋にうらやましいなぁと思うし、私もああなりたかったなぁと思う。
     
同じように賛否両論のあった「吼えペン」の最終話が、実は出版社側の圧力によって急遽差し替えられたものだったと知り、そのボツになった幻の最終話を読んだ時あまりの島本節炸裂の面白さに、つい思ってしまった。
    
「鋼も実は上から圧力がかかって総ボツになった幻の最終話がある、とかだったらいいのになぁ」
りほさん、それドリーム入り過ぎですってばっ(爆)。
 
  
いいシーンは確かにある。それは認めている。
だけど、なぜ自分はあの最終話に感動出来なかったのか。
結局ずっとそれを書き散らす形になってしまった。
         
「マンガ夜話」では「すでに出来上がった絵」と言われていた荒川先生の絵。でも。
デビュー前の同人誌を見れば、ペンを持った時から出来上がった絵を描いていた人ではなかった事が分かる。
努力して、描いて描いて描き倒して、今の絵を手に入れた人だ。
 
ならば同じように最終話を、描いて描いて描き倒していれば…。
多少なりとも違っていたのかな?
  
デビューして10年と言えばもう新人とは言えない。
けれど、それだけマンガ家をやっていても、彼女には最終話を描くというスキルが絶望的に足りていない。
荒川作品の中で鋼以外に、1話完結していない作品て、前後編で描いた「上海~」くらいじゃないのか?(「RAIDEN」は読み切り連作。「獣」はストーリーは別の人なので除外)
おそらく同期のマンガ家でここまで物語を畳むこと無く過ごしてきたマンガ家は本当に少いと思う。
    
最初から最後まで一気に描ききるのと、一度大きく開いた物語を閉じるのとでは、そのペース配分や、ページ配分はやっぱり違うだろう。
    
もし鋼の最終話がデビュー初ではなく、短期集中や1年単位の連載を鋼の合間にいくつかこなした後に描かれたものだったなら、多少なりとも違うものになっていたんじゃないだろうか?
 
 
 
どういう最終話だったら自分は納得しただろうか。
テクニカル面、ロジック面について、ひとつひとつ気になった点を検証し。何が自分の中で引っかかっていたのかその問題点、作品内における矛盾点などをより具体的に洗い出してきた。
 
おそらくそれらは、もっと練り込む時間、担当と相談する時間さえあれば多少なりとも改善されたものだったと思ってる(願わくば最終話からコミックス発売までのこの期間が、加筆修正にあてがわれていますように)。
  
でも本当にそれだけなのか。
 
水島版のOPもEDも荒川鋼にそぐわなくなるくらい世界観が変わっていって。
完全に分岐したのだな、と感慨深いものがあって、どう転ぶのかワクワクして。
確かにそれを望んでいたはずなのに。
  
なのに何故、水島版の終わり方は良かったなぁと思ってしまったのか。
FA63話で事実上物語を締め、64話を後日談として扱った事に「よくぞやってくれた」と喝采をあげてしまったのか。
  
107話を読んだとき、確かにみんなの幸せな様子が見たいと思ったはずなのに。
どうして、こんなにも鋼にカタルシスを求めてしまうのか。 
  
今まで、描いてきた外伝を思い返す。
「盲目の錬金術師」
「師匠物語」
「長い夜」
「シンプルな人々」
「それもまた彼の戦場」 
「おまけのエルリック家」
 
ギャグテイストの「師匠物語」は置くとして。
それ以外に共通して言える事は。
物語の終わりは総じてハーフビター、セミスイートなものが多いということ。
「今は暗くともきっとその先には……」そう思わせるものが多い、かな。 
   
「おまけのエルリック家」のように終始ほっこりした物語もあるけれど。その何年後かには…と思ってしまうと、それだけで余韻に重さが生まれた。
  
    
ダークファンタジー。そのキャッチコピーが的を射ていたかどうかは別として。
ギャグテイストはあっても、鋼の根底は後悔や苦悩の物語だった。
母親の笑顔がもう一度見たくて、腕と脚、身体の全てを失った子供が、涙の代わりに血を流す。
いつも眉間に皺を寄せ満面の笑みの少ないエドと、表情の無い鎧のアル。
閉鎖的な依存した絆。
シンが出てきて世界が広がるまでは、特にその傾向は顕著で。
やっぱりその第一印象があるんだと思う。
「鋼の錬金術師」のテイストは、「鋼の錬金術師」という物語は、「そういうものなんだ」って。
そして、私はそこに惚れて、惚れ込んでファンになったんだ。
  
ダークファンタジーというより、むしろGOTHのニュアンスか。
孫引きになるが、GOTHについてこんな風に説明された文がある。
「光より闇が気になる、正統より異端、体制より反体制、反時代、(略) ホラー・怪奇・残酷さなどに強く反応する、自分を異形と感じる」といった傾向にゴスのスピリットがある」(ミステリーズ! 43号 原作と映像の交叉光線 千街晶之)
 
闇、異端、反体制。合致とは言わないけれど頷けるキーワードはあるだろう。
なのに、キャラクターは馬鹿が付くほど熱いのだから笑ってしまう。
そのちぐはぐな危なっかしいアンバランスさに魅了された。
話が進むにつれて、物語は健全さを取り戻していった。
それが頼もしくもあり寂しくもあった。
物語が進むことは、閉塞からの解放を意味した。
主人公には徐々に仲間が増え人として成長し、フィナーレは閉塞からの完全な脱却の瞬間。
そう思っていた。 
  
ところが。それよりも先に「熱さ」が消えた。
そして閉塞から解放された後もまだ物語は終わらず。
大団円という後日談がついた。
そこには、私がはじめて「鋼の錬金術師」を読んだ時に感じいり惚れ込み魅了したものはなかった。
皆無とは言わない。
けれど、やっぱり。
アップルパイも520センズも、一切の伏線を回収するつもりのない後日談を見せられてもなぁ~。
 
 
私を魅了した「鋼の錬金術師」像から想像していたのは、おそらくこんな結末だったんだ。
 
先の見えない暗闇をずっと走り続けてやっと光が見えてくる。
笑いあって光に向かって走り出し闇を抜け出す。
今はまだ幸福とは言えなくとも、その先に幸福は見えている。
幸福になれると思った瞬間、もしかしたら横っ面をひっぱたかれるような何かが起こるかもしれない。それは分からない。
けれど、それすらも今はまだ見えない。
だから今は幸せ。
きっと彼らは幸せになれる。
 
そう信じながら本を閉じ、彼らの未来に思いを馳せる。

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2010/10/22

喧嘩を売る人(ネタバレあり)

友人から、アフィに「百姓貴族」使われたーというメールを貰って。
アフィ? アフィリエイト?? それが何??? なんてクエッションマークいっぱいな状態で、添えられたURLを読んで見ると。すごいすごい。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/09/post_0c06.html
「農家は自分の身内にしかいい土地は渡さん」云々。
浅学なもので、それがどこまで正しいのやら正しくないのやら分からないものだから、ふーん、ほー、へー、ってな感じのネタでした。
なもので。
それは違うよねとも、確かにそんな一面もあるかもねとも言い難く。リプライには。
        
「まあ実際農家以外の読者にケンカを売るネタで、全般描かれているようなものだから」
   
自分で書いて驚いた。
そうか、荒川弘はまだ喧嘩を売るマンガを描ける人だったのか。
      
あたしが鋼を好きな理由のひとつは、読者に喧嘩を売ってくれる処、ずっとそう思っていたから。
なんつうか、あたしにとって読書の楽しみのひとつは作者とのガチンコ勝負というか。
常に作者の2手、3手先を読む事が最重要課題?
「さあ、読んでみやがれっ」ときたら手の内を開かされる前に「おうよ、裏まで読み解いてやろうじゃねぇのっ」と思うし、「こんな事許されてたまるかよっ」と書かれれば、自分はどうだろうと考える。
物語を読む事はあたしにとって作者との対話だ。
    
ところが。気がつくと、世界中に喧嘩を売ているみたいだったあのどこか尖った処が鋼から見えなくなってしまった。
喧嘩を売るというのが、しばしば「若書き」と言われるものであることも知っている。
ほとばしりとか、情熱とか、パトスとか。
たぎるような何かを気負っていて、暑苦しくて、ちょっと鬱陶しい(笑)。
でもそれがなんか心地いい。
自分が世界を変えてみせる、そんな気概。
鋼連載開始当時、どうすれば他の作品より目立つか、カラー絵に薄い色使いの作品が多いから自分は厚塗りを、そんな事まで考えていたとインタビューで答えていた。
そういった気持ちが絵から溢れ出ていたんだと思う。
翻って、後半はどうだったろう?
上手い構図、面白い構図、綺麗な絵、それなら思い浮かぶ。
けれど「熱い絵」、と言われるとちょっと戸惑う。
再利用率の問題はあるだろうけれど、後半のカラー絵にそういった印象が薄い気がするのは、あたしの気のせいだろうか?
  
そんな時に。
子供がいる、15歳になった時に自分のマンガを読ませて絶対面白いって言わせる作品が描きたい。そう語る対談記事を読んで、納得してしまった。
 
そりゃそうだよね。誰だって我が子相手に喧嘩は売れない。
 
作品が妙に丸くなってしまったのは、その辺りが理由だったのかな、そう思った。
荒川弘は守りに入ってしまった。そんな風にも。
もう、荒川弘は読者に喧嘩を売れない。
   
対談の中にあった「戦い方も変わってくる」の文字が恨めしかった。
それはきっと、外へ向けた戦闘ではなく、自分の内側に向かう奮闘に変わったって事なんだろうな、と。
      
108話の感想、ぱふの感想と、色々書き連ねて見えてきた、私の目に見えている荒川弘像に、あたしはきっとこう言いたいんだ。
 
あなたは、「立派な大人が描くマンガ」を描こうとしてはいませんか?
我が子が読んで誇らしいと思えるようにと。
  
「聖人君子」これは感想コメントにいただいた言葉なのだけど。
本当に。
いつから鋼は聖人君子なマンガになってしまったんだろう。
     
「人間の内臓は見えないようにはしている」?
内臓がダメでも骨なら問題ないの?
1話のしょっぱな1ページ目から、エドの足の断面を、骨までしっかり描きっていたのはだあれ?
 
そう。少なくとも昔はそのくらいのヤンチャは、やってのけていたんだ。
  
大切な人の笑顔をもう一度見たかった、そのために禁忌を犯した子供。
自分たちにとっては大切な行動が、ヒューズを殺しマリア・ロスを巻き込み、人に被害を与えた。
キメラ化されたニーナに幸福の道があるのか考えもせず、ただ殺したスカーを闇雲に責め立てた。
 
物事の裏表。
自分達にとって正しい行為の裏に苦しむ人がいる。
そんなことは世の中にいくらだってある。
そんな。生きていくうえで当たり前の事。
まずはそれに気付けること。
そのうえで「じゃあ自分はどうすれば良かったのか?」それを問い、同じ事を繰り返さない努力を忘れない。それが鋼だと思っていた。
 
荒川弘は、いつからそこに蓋をしてしまったんだろう。
否、いい方を変える。
鋼は、いつからそれを否定する物語になってしまったんだろう。
   
 
ロイの復讐を止めた事に、本当にこれでいいのかモヤモヤしたというのなら、そのモヤモヤした感情を原稿にありったけ叩きつけて欲しかった。
何故それを飲み込んでしまった?
    
エンヴィーを殺さなかった事をこれで本当に良かったのか悩むロイが見たかった。
それでも一度はアルの為に賢者の石を欲しようと手を伸ばしかけるエドを。
重責ばかりに捕らわれず、もっと純粋に旅を楽しみにするアルを。
権利など無い事も自己満足も全て自覚して尚賢者の石を使うマルコーを、地位向上へ向け暗躍に走るオリヴィエやリンを。
そういったもっと生々しく荒々しい感情が見たかった。
    
霞食って生きてる正義の味方が見たかったわけじゃない。
他の生き物の死の上に自分の「生」が成り立つ事を自覚出来る、当たり前の「人間」が見たかったんだ。
       
一人ひとりは強くなんかなくていい。
弱くて、愚かで、進歩がなくて。それが人間ってものであってもいい。
  
ただ、正念場ってものさえ分かっていれば。
そこさえ「人」として外さないでいられるなら。
 
越えたらいけないもの、耐えなければいけないもの。
踏みとどまらなければいけないもの。
エド達も、スカーも、一度は踏み越えてしまったけれど、だからこそ二度目はない。許されてはいけない。
     
神が人を許すんじゃない、人が人を許すんだ。
ウィンリィがスカーを治療したように、スカーがマルコーに手を貸したように、ロイがエンヴィーを殺さなかったように、エドがプライドの本体を生かしたように。
そして、エドがあきらめない事をみんなに許されたように。
       
こんなにも少年マンガらしくない世界観の物語を、少年マンガたらしめていたのは、そんな風に世界にあらがい、熱苦しく作者自身が叫び続けていたからではなかったのか?
ねじ伏せようとする世界に喧嘩を売るその熱さが、読者を引きつけていたんじゃなかったのか?
 
 
仇を殺したいと思おうが、誰かを犠牲にしてでも取り戻したいと思おうがいいじゃないか。それが人なんだ。
思うことと実行すること。そのボーダーラインを見極め引き留める、そんな誰かがそばにいてくれるから、人は「人」として踏みとどまれるんだろ?
  
そんな風に。
きっと、そんな風に、あたしは荒川弘に最後まで叫び続けて欲しかったんだ。
     
 
今は。
まるで牙を抜かれた虎のようじゃないか。 
   
ウィンリィは一度目は銃を向け、二度目は「理不尽を許したわけではない」と言い切った。
人はすぐに許せるものではない。それでも自分の中で少しずつ昇華させていくしかない。
そんなウィンリィの憤りを、あれほどまで丁寧に描いていたのに。
 
ロイは復讐心にさいなまれることなく、エドは賢者の石を使わない事に決意すら必要としなかった。
あっさりと世界に従容と従ったロイとエドに、その居心地の悪さを拭えない。
リンから賢者の石を差し出され、ホーエンハイムから命を差し出され、畳みかけられる誘惑に喉から手が出るほど欲しながら、母親の事を思い、アルの事を思い、みんなの事を思い、必死であらがい打ち勝つエドが見たかった。うん、本当に。そんなエドが見たかったなぁ。
    
人は成長する生き物かもしれない。けれど。
成長した人間は欲を持たず常に正しく誤ちを犯さない、なんて。
そんな嘘、どうやって信じればいい?
  
   
さて。
 
ところがどっこい。
「百姓貴族」ではまだ元気に喧嘩を売っている、となれば。
こちとら、をいをいそれってどういう事よ、となってしまうわけで(笑)。
  
もちろんその売り方事態はまったく違う。
世界というよりは社会とか政治とかちょっとそっちよりで。だけどその鬱陶しさは今尚ご健勝(笑)。
本人は、百姓の日常を笑ってもらえればと謳っているが。
そうかな。その喧嘩の矛先は俄然シニカルじゃね?
  
自分の子どもに読ませるとしても、もっと分別の付く年齢になってからと思っているのかな。
結構言いたい放題描いてくれる。
   
向いている方向は確かに違う。けれど。
どうやら、その牙は、鷹の爪のように出したり隠したり自在だったらしい。いや、それとも伸びたり縮んだりするのかな? 
個人的には一生出しっぱなしのフルスロットでお願いしたい。
   
果たして。
あたしにとってこれが光明となる、といいなぁ。
  
  

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